ざいません」
 と仏壇を持出しそうにする心底の潔白なのに、助七は益々感服いたしまして、
 助「まア待ってください……親方……私《わし》がお前の仕事を疑ぐって、折角丹誠の仏壇を瑕物にしたのは重々わるかった、其処んところは幾重にもお詫をしますから、何卒《どうぞ》仏壇は置いて行ってください」
 長「だって此様《こんな》に瑕が付いてるものは上げられねえ」
 助「それが却って貴いのだ、聖堂の林様はお出入だから殿様にお願い申して、私《わし》が才槌で瑕をつけた因由《いわれ》を記《か》いて戴いて、其の書面を此の仏壇に添えて子孫に譲ろうと思いますから、親方機嫌を直して下さい」
 と只管《ひたすら》に頼みますから、長二も其の考えを面白く思い、打解けて仏壇を持帰るのを見合せましたから、助七は大喜びで、無類の仏壇が出来た慶《よろこ》びの印として手間料の外に金百両を添えて出しましたが、長二は何うしてもこれを受けませんで、手間料だけ貰って帰りました。助七は直《すぐ》に林大學頭《はやしだいがくのかみ》様の邸《やしき》へ参り、殿様に右の次第を申上げますと、殿様も長二の潔白なる心底と伎倆《ぎりょう》の非凡なるに感服されましたから、直に筆を執《と》って前の始末を文章に認《したゝ》めて下さいました。其の文章は四角な文字ばかりで私《わたくし》どもには読めませんが、是も亦《また》名文で、今日《こんにち》になっては其の書物《かきもの》ばかりでも大層な価値《ねうち》があると申す事でございます。斯様に林大學頭様の折紙が付いている宝物《ほうもつ》で、私も一度拝見しましたが御維新後坂倉屋が零落《おちぶ》れまして、本所|横網《よこあみ》辺へ引込《ひっこ》みました時隣家より出た火事に仏壇も折紙も一緒に焼いてしまったそうで、如何にも残念な事でございます。それは後《のち》の話で此の仏壇の事が江戸市中の評判となり、大學頭様も感心なされて、諸大名や御旗下《おはたもと》衆へ吹聴をなされましたから、長二の名が一時に広まって、指物師の名人と云えば、あゝ不器用長二かというように名高くなりまして、諸方から夥《おびたゞ》しく注文がまいりますが、手伝の兼松は足の疵《きず》で悩み、自分も此の頃の寒気のため背中の旧疵《ふるきず》が疼《いた》み、当分仕事が出来ないと云って諸方の注文を断り、親方清兵衛に後《あと》を頼んで、文政三|辰年《たつどし》の十一月の初旬《はじめ》、兼松を引連れ、湯治のため相州湯河原の温泉へ出立いたしました。

        六

 湯河原の温泉は、相州足柄下郡|宮上村《みやかみむら》と申す処にございまして、当今は土肥次郎實平《どいじろうさねひら》の出た処というので土肥村と改まりまして、城堀村《しろほりむら》にある實平の城山は、真鶴港《まなづるみなと》から上陸して、吉浜《よしはま》を四五丁まいると向うに見えます。吉浜から宮上村まで此の間は爪先上りの路《みち》で一里四丁ほどです。温泉宿は湯屋(加藤廣吉《かとうひろきち》)藤屋(加藤文左衛門《かとうぶんざえもん》)藤田屋(加藤林平《かとうりんぺい》)上野屋(渡邊定吉《わたなべさだきち》)伊豆屋(八龜藤吉《やかめとうきち》)などで、当今は伊藤周造に天野《あまの》某《なにがし》などいう立派な宿も出来まして、何《いず》れも繁昌いたしますが、文政の頃は藤屋が盛んでしたから、長二と兼松は此の藤屋へ宿を取りました。温泉は川岸から湧出《わきだ》しまして、石垣で積上げてある所を惣湯《そうゆ》と申しますが、追々|開《ひら》けて、当今は河中《かわなか》の湯、河下《かわしも》の湯、儘根《まゝね》の湯、下《しも》の湯、南岸《みなみぎし》の湯、川原《かわら》の湯、薬師《やくし》の湯と七湯《しちとう》に分れて、内湯を引いた宿が多くなりました。湯の温度は百六十三度|乃至《ないし》百五度ぐらいで、打撲《うちみ》金瘡《きりきず》は勿論、胃病、便秘、子宮病、僂麻質私《りょうまちす》などの諸病に効能《きゝめ》があると申します。西は西山、東は上野山、南は向山《むこうやま》、北は藤木山《ふじきやま》という山で囲まれている山間《やまあい》の村で、総名《そうみょう》を本沢《ほんざわ》と申して、藤木川、千歳川《ちとせがわ》などいう川が通っております。此の藤木川の流《ながれ》が、当今静岡県と神奈川県の境界《さかい》になって居ります。千歳川の下《しも》に五所《ごしょ》明神という古い社《やしろ》があります。此の社を境にして下の方《かた》を宮下村《みやしたむら》と申し、上《かみ》の方を宮上村と申すので、宮下の方《ほう》は戸数八十|余《あまり》、人口五百七十ばかり、宮上村は湯河原のことで、此の方は戸数三十余、人口二百七十ばかりで、田畑が少のうございますから、温泉宿の外は近傍《もより》の山々から石を切
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