が目くばせで止めましたから、慌てゝ咳払いに紛らし、
由「いゝえ、あの私《わたくし》は存じません」
奉「隠すな、隠すと其の方の為にならんぞ、奉行は宜《よ》く知って居《お》るぞ、幸兵衛が障子の張替えなどに度々まいったであろう」
由「はい、まいりました」
奉「左様《そう》であろう、して、幸兵衛が其の方の宅に居った時は経師職はいたさなんだと申す事じゃが、其の方共の家業の手伝でもいたして居ったのか、何うじゃ」
由「へい、証文を書いたり催促や何かを致して居りました」
奉「ムヽ、それでは貸附金の証文の書役《しょやく》などを致して居ったのじゃな、して其の貸付金は誰《たれ》の金《きん》じゃ」
茂「それは、へい私《わたくし》の所持金で」
奉「余ほど多分に貸付けてある趣じゃが、其の方|如何《いかゞ》して所持いたし居《お》るぞ、これは多分何者か其の方どもの[#「どもの」は底本では「もどの」と誤記]実体《じってい》なるを見込んで、貸付方を頼んだのであろう、いや由、何も怖がることは無い、存じて居《お》ることを真直《まっすぐ》に申せばよいのじゃ」
三十三
由「はい、その金《かね》は、へい先《せん》の旦那がお達者の時分から、御新造様がお小遣の内を少しずつ貸付けになさったので」
奉「フム、然《しか》らば半右衛門の妻《さい》柳が、出入の経師職幸兵衛を正直な手堅い者と見込んだゆえ、其の方の宅において貸付金の世話をいたさせたのじゃな、左様《そう》であろう、何うじゃ」
茂「左様《さよう》でございます」
奉「由其の方は女の事ゆえ覚えて居《お》るであろう、柳が初めて産をいたしたのは何年の何月で、男子であったか、女子であったか、間違えんように能く勘考して申せ」
由「はい」
と両手の指を折って頻りに年を数えながら、茂二作と何か囁《さゝ》やきまして、
由「申上げます……あれは今年から二十九年前で、慥か御新造が十九の時で、四月の二十日《はつか》に奥州へ行くと云って暇乞《いとまごい》にまいりました人に、旦那様が塩釜様《しおがまさま》のお符《ふだ》をお頼みなさったので、私《わたくし》は初めて御新造様が懐妊《みもち》におなりなさったのを知ったのでございます、御誕生は正月十一日お蔵開きの日で、お坊さんでございますから、目出たいと申して御祝儀《ごしゅうぎ》を戴いたのを覚えて居ります」
奉「ムヽ、柳が懐妊《かいにん》と分った月を存じて居《お》るか」
と奉行は暫らく眼《まなこ》を閉じて思案をいたされまして、
奉「由其の方はなか/\物覚えが宜いな、然らば幸兵衛が龜甲屋方へ初めてまいったのは何年の何月頃じゃか、それを覚えて居らんか」
由「はい、左様《さよう》」
と暫らく考えて居りましたが、突然《いきなり》に大きな声で、
由「思い出しました」
と奉行の顔を見上げて、
由「幸兵衛が初めてまいりましたのは、其の年の五月|絹張《きぬばり》の行灯《あんどん》が一対出来るので」
と茂二作の顔を見て、
由「それ、お前さんが桃山を呼びに行ったら、其の時幸兵衛さんが来たんだよ、御新造が美《い》い男だと云って、それ、あの」
と喋るのを茂二作が目くばせで止《とゞ》めても、お由は少しも気がつかずに、
由「別段に御祝儀をお遣んなさったのを、お前さんがソレ」
と余計なことを喋り出そうといたしますから、茂二作が気を揉んで睨《にら》めたので、お由も気が付いたと見えて、
由「へい、マア左様《そう》いうことで、それから私共《わたくしども》まで心安くなったので、其の初めは五月の二日でございます」
奉「して見ると柳の懐妊の分ったのは、寛政四年の四月で、幸兵衛が初めて龜甲屋へまいったのは同年五月二日じゃな、それに相違あるまいな」
茂「へい」
由「間違いございません」
奉「そうして其の出生《しゅっしょう》いたした小児は無事に成長致したか、何うじゃ」
由「くり/\肥《ふと》った好《い》いお坊さんでございましたが、御新造のお乳が出ませんので、八王子のお家《うち》へ頼んで里におやんなさいましたが、間も無く歿《なくな》ったそうでございます」
奉「その小児を八王子へ遣る時、誰《たれ》がまいった、親半右衛門でも連れてまいったか」
由「いゝえ、旦那様はお産があると間もなく、慥か二十日正月の日でございました、急な御用で京都へお出でになりましたから、御新造が御自分でお連れなされたのでござります」
奉「柳|一人《いちにん》ではあるまい、誰《たれ》か供をいたして参ったであろう」
由「はい、供には良人《やど》が」
奉「やどとは誰《だれ》の事じゃ」
茂「へい私《わたくし》が附いてまいりました」
奉「帰りにも其の方同道いたしたか」
茂「旦那が留守で宅《うち》が案じら
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