して居りましたから、私《わたくし》の考えますには、其の事を長二郎に話しましたのを長二郎が訝《おか》しく暁《さと》って、無礼な事でも申しかけたのを幸兵衛に告げましたので、幸兵衛が立腹いたして、身分が身分でございますから、後《あと》で紛紜《いさくさ》の起らないように、出入留《でいりどめ》の手切金を夫婦で持ってまいったもんですから、此の事が世間へ知れては外聞にもなり、殊に恋のかなわない口惜紛《くやしまぎ》れに、両人を殺したんであろうかとも存じます」
 奉「長二郎、此の帳面の通り其の方手間料を受取ったか而《そう》して柳が其の方へ嫁の口入《くにゅう》をいたしたか何うじゃ」
 長「へい、よくは覚えませんが、其の位受取ったかも知れませんが、決して余計な物は貰やアしません、又嫁を貰えと云った事はありましたが、私《わたくし》が無礼なことを云いかけたなぞとは飛んでもない事でございます」
 奉「それはそれで宜しいが、何故《なぜ》斯様に贔屓になる得意の恩人を殺したのじゃ、何ういう恨《うらみ》か有体に申せ」
 長「別に恨というはございませんが、只あの夫婦を殺したくなりましたから殺したのでございます」
 奉「黙れ……其の方天下の御法度《ごはっと》を心得ぬか」
 長「へい心得て居りますから、遁《に》げ隠れもせずにお訴え申したのでございます」
 奉「黙れ……有体に申上げぬは御法に背くのじゃ、こりゃ何じゃな、其の方狂気いたして居《お》るな」
 恒「申上げます、仰せの通り長二郎は全く逆上《のぼ》せて居《お》ると存じます、平常《ふだん》斯ういう男ではございません、私《わたくし》親共は今年《こんねん》六十七歳の老体で、子供の時分から江戸一番の職人にまで仕上げました長二郎の身を案じて、夜も碌に眠りません程でございますによって、何卒《なにとぞ》老体の親共を不便《ふびん》と思召して、お慈悲の御沙汰《ごさた》をお願い申します、全く気違に相違ございませんから」
 萬「成程気違だろう、主《ぬし》のある女に無理を云いかけて、此方《こっち》で内証にしようと云うのを肯《き》かずに、大恩のある出入場の旦那夫婦を殺すとア、正気の沙汰ではございますまい」
 奉「萬助……其の方の主人夫婦を殺害いたした長二郎は狂人で、前後の弁《わきま》えなくいたした事と相見えるが何うじゃ」
 萬「へい、左様でございましょう」
 奉「町役人共は何と思う、奉行は狂気じゃと思うが何うじゃ」
 一同「お鑑定《めがね》の通りと存じます」
 とお受けをいたしました。仔細を知りませんから、長二が人を殺したのは全く一時発狂をいたした事と思うたのでございましょうが、奉行は予《かね》て邸《やしき》へ出入をする蔵前の坂倉屋の主人から、長二の身持の善《よ》き事と伎倆《うでまえ》の非凡なることを聞いても居り、且《かつ》長二が最初に親の恥になるから仔細は云えぬと申した口上に意味がありそうに思われますから悪意があって、殺したので無いということは推察いたし、何卒《どうか》此の名人を殺したく無いとの考えで取調べると、仔細を白状しませんから、これを幸いに狂人にして命を助けたいと、語《ことば》を其の方へ向けて調べるのを、怜悧《りこう》な恒太郎が呑込んで、気違に相違ないと合槌《あいづち》を打つに、引込まれるとは知らず萬助までが長二を悪くする積りで、正気の沙汰でないと申しますから、奉行は心の内で窃《ひそ》かに喜んで、一同に念を押して、愈々《いよ/\》狂人の取扱いにしようと致しますと、長二は案外に立腹をいたしまして、両眼《りょうがん》に血を濺《そゝ》ぎ、額に青筋を現わし拳を握りつめて、白洲の隅まで響くような鋭き声で、
 長[#「長」は底本では「奉」と誤記]「御奉行《ごぶぎょう》様へ申上げます」
 と云って奉行の顔を見上げました。

        二十八

 さて長二郎が言葉を更《あらた》めて奉行に向いましたので、恒太郎を始め家主源八其の他《た》の人々は、何事を云出すか、お奉行のお慈悲で助命になるものを今さら余計なことを云っては困る、而《し》て見ると愈々本当の気違であるかと一方《ひとかた》ならず心配をして居りますと、長二は奉行の顔を見上げまして、
 長「私《わたくし》は固《もと》より重い御処刑《おしおき》になるのを覚悟で、お訴え申しましたので、又此の儘生延びては天道様《てんとうさま》へ済みません、現在親を殺して気違だと云われるを幸いに、助かろうなぞという了簡は毛頭ございません、親殺しの私ですから、何卒《どうぞ》御法通りお処刑《しおき》をお願い申します」
 奉「フム……然《しか》らば幸兵衛夫婦を其の方は親と申すのか」
 長「左様でございます」
 奉「何ういう仔細で幸兵衛夫婦を親と申すのじゃ、其の仔細を申せ」
 長「此の事ばかりは親の恥になりますから申さず
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