の遺恨で殺したのか仔細は分らないが、無闇な事をする長二でないから、お採上《とりあ》げにならないまでも、彼奴《あいつ》が親孝心の次第から平常《ふだん》の心がけと行いの善《よ》い所を委《くわ》しく書面に認《したゝ》めて、お慈悲|願《ねがい》をしなけりゃア彼奴の志に対して済まないとは思いましたが、清兵衛は無筆で、自分の細工をした物の箱書は毎《いつ》でも其の表に住居いたす相撲の行司で、相撲膏《すもうこう》を売る式守伊之助《しきもりいのすけ》に頼んで書いて貰う事でありますから、伊之助に委細のことを話して右の願書を認めて貰い、家主同道で恒太郎が奉行所へお慈悲願に出ました。今日《きょう》は龜甲屋幸兵衛夫婦|殺害《せつがい》一件の本調というので、関係人一同|町役人《ちょうやくにん》家主五人組|差添《さしそえ》で、奉行所の腰掛茶屋に待って居ります。やがて例の通り呼込になって一同白洲に入り、溜《たまり》と申す所に控えます。奉行の座の左右には継肩衣《つぎかたぎぬ》をつけた目安方公用人が控え、縁前《えんさき》のつくばいと申す所には、羽織なしで袴《はかま》を穿《は》いた見習同心が二人控えて居りまして、目安方が呼出すに従って、一同が溜から出て白洲へ列《なら》びきると、腰縄で長二が引出され、中央《まんなか》へ坐らせられると、間もなくシイーという制止の声と共に、刀持のお小姓が随《つ》いて、奉行が出座になりました。
二十七
白洲をずうッと見渡されますと、目安方が朗《ほがら》かに訴状を読上げる、奉行はこれを篤《とく》と聞き了《おわ》りまして、
奉「浅草鳥越片町幸兵衛手代|萬助《まんすけ》、本所元町|與兵衛《よへえ》店《たな》恒太郎、訴訟人長二郎並びに家主|源八《げんぱち》、其の外名主代組合の者残らず出ましたか」
町「一同附添いましてござります」
奉「訴人《うったえにん》長二郎、其の方は何歳に相成る」
長「へい、二十九でござります」
奉「其の方当月九日の夜《よ》五つ半時、鳥越片町龜甲屋幸兵衛並に妻《さい》柳を柳島押上堤において殺害《せつがい》いたしたる段、訴え出たが、何故《なにゆえ》に殺害いたしたのじゃ、包まず申上げい」
長「へい、只殺しましたので」
奉「只殺したでは相済まんぞ、殺した仔細を申せ」
長「其の事を申しますと両親の恥になりますから、何と仰しゃっても申上げる事は出来ません……何卒《どうぞ》只人を殺しました廉《かど》で御処刑《おしおき》をお願い申します」
奉「幸兵衛手代萬助」
萬「へい」
奉「これなる長二郎は幸兵衛方へ出入《でいり》をいたしおった由じゃが、何か遺恨を挟《さしはさ》むような事はなかったか、何うじゃ」
萬「へい、恐れながら申上げます、長二郎は指物屋でございますから、昨年の夏頃から度々《たび/″\》誂《あつら》え物をいたし、多分の手間代を払い、主人夫婦が格別贔屓にいたして、度々長二郎の宅へも参りました、其の夜死骸の側に五十両の金包が落ちて居りましたのをもって見ますと、長二郎が其の金を奪《と》ろうとして殺しまして、何かに慌てゝ金を奪らずに遁《に》げたものと考えます」
奉「長二郎どうじゃ、左様《さよう》か」
長「其の金は私《わたくし》が貰ったのを返したので、金なぞに目をくれるような私じゃアございません」
奉「然《しか》らば何故に殺したのじゃ、其の方の為になる得意先の夫婦を殺すとは、何か仔細がなければ相成らん、有体《ありてい》に申せ」
恒「恐れながら申上げます、長二は差上げました書面の通り、私《わたくし》親共の弟子でございまして[#「ございまして」は底本では「ございましで」と誤記]、幼少の時から親孝心で実直で、道楽ということは怪我にもいたしませんで、余計な金があると正直な貧乏人に施すくらいで、仕事にかけては江戸一番という評判を取って居りますから、金銭に不自由をするような男ではござりませんから、悪心があってした事では無いと存じます」
源「申上げます、只今恒太郎から申上げました通り、長二郎は六年ほど私《わたくし》店内《たなうち》に住居いたしましたが只の一度夜|宅《うち》を明けたことの無い、実体《じってい》な辛抱人で、店賃は毎月十日前に納めて、時々釣は宜《い》いから一杯飲めなぞと申しまして、心立《こゝろだて》の優しい慈悲深い性《たち》で、人なぞ殺すような男ではござりません」
萬「へい申上げます、私《わたくし》主人方で昨年の夏から長二に払いました手間料は、二百両足らずに相成ります、此の帳面を御覧を願います」
と差出す帳面を同心が取次いで、目安方が読上げます。
奉「この帳面は幸兵衛の自筆か」
萬「へい左様でございます、此の通り格別贔屓にいたしまして、主人の妻《さい》は長二郎に女房の世話を致したいと申
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