何でもてんでに稼ぐのが一番だ、稼いで親に安心をさせなさるが宜《い》い、私の体に何様《どん》な事があろうと、他人だから心配《しんぺい》なせいやすな……兼、手前《てめえ》とも最《も》う兄弟《きょうでい》じゃアねえぞ」
 と云放って立上り、勝手口へ出てまいりますから、お政も呆れまして、
 政「そんなら何うでもお前は」
 長「もう参りません」
 清「長二」
 長「何《なん》か用かえ」
 清「用はねい」
 長「左様《そう》だろう、耄碌爺には己も用はねえ」
 と表へ出て腰障子を手荒く締切りましたから、恒太郎は堪《こら》えきれず、
 恒「何を云いやがる」
 と拳骨《げんこ》を固めて飛出そうとするのを清兵衛が押止めまして、
 清「打棄っておけ」
 恒「だッて余《あんま》りだ」
 清「いゝや左様でねえ、是には深い仔細《わけ》のある事だろう」
 恒「何様な仔細があるかア知らねえが、父《とっ》さんの拵《こせ》えた棚を打《たゝ》き毀して縁切の書付を出すとア、話にならねえ始末だ」
 清「それがサ、彼奴《あいつ》己の拵《こせ》えた棚の外から三つや四つ擲ったッて毀れねえことを知ってるから、先刻《さっき》打擲《ぶんなぐ》った時、故《わざ》ッと行灯の陰《かげ》になって、暗《くれ》い所で内の方から打《たゝ》きやアがったのは、無理に己を怒らせて縁切の書付を取ろうと企《たく》んだのに相違ねえが、縁を切って何うするのか、十一月を十月と書いたのにも仔細《しさい》のある事だろう、二三日経ったら何《なん》か様子が知れようから打棄っておきねえ」
 と一同をなだめて案じながら寝床に入りました。其の頃南の町奉行は筒井和泉守《つゝいいずみのかみ》様で、お慈悲深くて御裁きが公平という評判で、名奉行でございました。丁度今月はお月番ですから、お慈悲のお裁きにあずかろうと公事訴訟が沢山に出ます。今日《こんにち》は十一月の十一日で、追々白洲へ呼込みになる時刻に相成りましたから、公事の引合に呼出された者は五人十人と一群《ひとむれ》になって、御承知の通り数寄屋橋|内《うち》の奉行所の腰掛茶屋に集っていますを、やがて奉行屋敷の鉄網《かなあみ》の張ってある窓から同心が大きな声をして、
 「芝《しば》新門前町《しんもんぜんちょう》高井利兵衛《たかいりへえ》貸金催促一件一同入りましょう」
 などゝ呼込みますと、その訴訟の本人相手方、只今では原告被告と申します、双方の家主《いえぬし》五人組は勿論、関係の者一同がごた/\白洲へ這入ります。此の白洲の入口の戸を締切る音ががら/\ピシャーリッと凄《すさま》じく脳天に響けますので、大抵の者は仰天して怖くなりますから、嘘を吐《つ》くことが出来なくなって、有体《ありてい》に白状をいたすようになるという事でございます。今大勢の者が白洲へ呼込みになる混雑の中を推分《おしわ》けて、一人の男が御門内へ駈込んで、当番所の前へ平伏いたしました。此の男は長二でございます。

        二十六

 当番所には同心|一人《いちにん》と書役《かきやく》一人が詰めておりまして、
 同「何だ」
 長「へい、お訴えがございます」
 同「ならない」
 と叱りつけて、小者に門外《もんそと》へ逐出《おいだ》させました。この駈込訴訟と申しますものは、其の筋の手を経て出訴《しゅっそ》せいといって、三度までは逐返すのが御定法でございますから、長二も三度逐出されましたが、三度目に、此の訴訟をお採上《とりあ》げになりませんと私《わたくし》の一命に拘《かゝ》わりますと申したので、お採上げになって、直に松右衛門《まつえもん》の手で腰縄をかけさせまして入牢《じゅろう》と相成り、年寄へ其の趣きを届け、一通り取調べて奉行附の用人へ申達《しんたつ》して、吟味与力へ引渡し、下調《したしらべ》をいたします、これが只今の予審で、それから奉行へ申立てゝ本調になるという次第でございます。通常の訴訟は出訴の順によってお調べになりますが、駈込訴訟は猶予の出来ない急ぎの事件というので、他の訴訟が幾許《いくら》あっても、それを後《あと》へ廻して此の方を先へ調べるのが例でありますから、奉行は吟味与力の申立てにより、他の調を後廻しにして、いよ/\長二の事件の本調をいたす事に相成りました。指物師清兵衛は長二が先夜の挙動《ふるまい》を常事《たゞごと》でないと勘付きましたから、恒太郎と兼松に言付けて様子を探らせると、長二が押上堤で幸兵衛夫婦を殺害《せつがい》したと南の町奉行へ駈込訴訟《かけこみうったえ》をしたので、元町の家主は大騒ぎで心配をして居るという兼松の注進で、さては無理に喧嘩を吹《ふっ》かけて弟子師匠の縁を切り、書付の日附を先月にしたのは、恩ある己達を此の引合に出すまいとの心配であろうが、此の事を知っては打棄って置かれない、何《なん》
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