いませんから、切《せ》めては懇《ねんごろ》に供養でもして恩を返そうと思いまして、両親の墓のある谷中|三崎《さんさき》の天竜院《てんりゅういん》へまいり、和尚に特別の回向を頼み、供養のために丹誠をこらして経机《きょうづくえ》磐台《きんだい》など造って、本堂に納め、両親の命日には、雨風を厭《いと》わず必ず墓まいりをいたしました。

        十一

 斯様な次第でございますから、何となく気分が勝《すぐ》れませんので、諸方から種々《いろ/\》注文がありましても身にしみて仕事を致さず、其の年も暮れて文政四|巳年《みどし》と相成り、正月二月と過ぎて三月の十七日は母親《おふくろ》の十三年忌に当りますから、天竜院に於《おい》て立派に法事を営み、親方の養子夫婦は勿論兄弟弟子一同を天竜院へ招待《しょうだい》して斎《とき》を饗《ふるま》い、万事|滞《とゞこお》りなく相済みまして、呼ばれて来た人々は残らず帰りましたから、長二は跡に残って和尚に厚く礼を述べて帰ろうといたすを、和尚が引留めて、自分の室《へや》に通して茶などを侑《すゝ》めながら、長二が仏事に心を用いるは至極|奇特《きどく》な事ではあるが、昨年の暮頃から俄かに仏|三昧《ざんまい》を初め、殊に今日の法事は職人の身分には過ぎて居《お》るほど立派に営みしなど、近頃|合点《がてん》のいかぬ事種々あるが是には何か仔細のある事ならん、次第によっては別に供養の仕方もあれば、苦しからずば仔細を話されよと懇《ねんごろ》に申されますゆえ、長二も予《かね》て機《おり》もあらば和尚にだけは身の上の一伍一什《いちぶしじゅう》を打明けようと思って居りました所でございますから、幸いのことと、自分は斯々《かく/\》の棄児《すてご》にて、長左衛門夫婦に救われて養育を受けし本末《もとすえ》を委《くわ》しく話して居りますところへ、小坊主が案内して通しました男は、年の頃五十一二で、色の白い鼻準《はなすじ》の高い、眼の力んだ丸顔で、中肉中背、衣服は糸織藍万《いとおりあいまん》の袷《あわせ》に、琉球紬《りゅうきゅうつむぎ》の下着を袷重ねにして、茶献上の帯で、小紋の絽《ろ》の一重羽織を着て、珊瑚《さんご》の六分珠《ろくぶだま》の緒締《おじめ》に、金無垢の前金物《まえがなもの》を打った金革の煙草入は長門の筒差《つゝざし》という、賤《いや》しからぬ拵えですから、長二は遠慮
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