上ったのでございます。是が真《まこと》に怪我の功名と申すものかと存じます。文政《ぶんせい》の頃江戸の東両国|大徳院《だいとくいん》前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。是は京都で指物の名人と呼ばれた利齋《りさい》の一番弟子で、江戸にまいって一時《いちじ》に名を揚げ、箱清《はこせい》といえば誰《たれ》知らぬ者もないほどの名人で、当今にても箱清の指した物は好事《こうず》の人が珍重いたすことで、文政十年の十一月五日に八十三歳で歿しました。墓は深川|亀住町《かめずみちょう》閻魔堂《えんまどう》地中《じちゅう》の不動院に遺《のこ》って、戒名を參清自空信士《さんせいじくうしんし》と申します。この清兵衛が追々年を取り、六十を越して思うように仕事も出来ず、女房が歿《なくな》りましたので、弟子の恒太郎《つねたろう》という器用な柔順《おとな》しい若者を養子にして、娘のお政《まさ》を娶《めあ》わせましたが、恒太の伎倆《うでまえ》はまだ鈍うございますから、念入の仕事やむずかしい注文を受けた時は、皆《みん》な長二にさせます。長二は其の頃両親とも亡《なくな》りましたので、煮焚《にたき》をさせる雇婆《やといばあ》さんを置いて、独身で本所|〆切《しめきり》[#「〆切」に校注、「枕橋の架してある堀の奥のところ」、ただし底本では校注が脱落、底本の親本にて確認]に世帯《しょたい》を持って居りましたが、何ういうものですか弟子を置きませんから、下働きをする者に困り、師匠の末の弟子の兼松《かねまつ》という気軽者を借りて、これを相手に仕事をいたして居りますところが、誰《たれ》いうとなく長二のことを不器用長二と申しますから、何所《どこ》か仕事に下手なところがあるのかと思いますに、左様《そう》ではありません。仕事によっては師匠の清兵衛より優れた所があります。是は長二が他の職人に仕事を指図するに、何《なん》でも不器用に造るが宜《い》い、見かけが器用に出来た物に永持《ながもち》をする物はない、永持をしない物は道具にならないから、表面《うわべ》は不細工《ぶざいく》に見えても、十百年《とッぴゃくねん》の後までも毀《こわ》れないように拵えなけりゃ本当の職人ではない、早く造りあげて早く銭を取りたいと思うような卑しい了簡で拵えた道具は、何処《どこ》にか卑しい細工が出て、立派な座敷の道具にはならない、是は指物ばかりではない、画
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