意し、玄石を頼み、主人半右衞門を殺害《せつがい》いたさせたる段、主殺《しゅうころし》同罪、磔《はりつけ》にも行うべき処、主人柳の頼み是非なく同意いたしたる儀に付《つき》、格別の御慈悲《ごじひ》をもって十四ヶ年遠島を申付くる、有難く心得ませい」
 二人「有難うござります」
 奉「下谷稲荷町茂二作家主徳平、並に浅草鳥越片町龜甲屋差配|簑七《みのしち》、其の方斯様なる悪人どもが自分の差配中に住居いたすを存ぜざる段、不取締に付|咎《とが》め申付くべき処、此の度《たび》は免《ゆる》し置く、以後屹度心得ませい」
 奉「恒太郎其の方父清兵衞儀、永々《なが/\》長二郎を世話いたし、此の度の一件に付長二郎|平生《へいせい》の所業心懸|等《とう》逐一申立てたるに付、上《かみ》の御都合にも相成り、且《かつ》師弟の情合《じょうあい》厚き段神妙の至り誉め置くぞ」
 恒「へい、有難う存じます」
 奉「玄石其の方儀、半右衞門妻柳より金百両を貰い受け、半右衞門を鍼術《しんじゅつ》にて殺害に及びし段、不届に付死罪申付くべきの処、格別の御慈悲をもって十四年遠島を申付くる、有難う心得ませい」
 玄「有難うござります」
 奉「長二郎親の仇討《あだうち》一件|今日《こんにち》にて落着、一同立ちませい」
 これで此の事件は落着になり、玄石と茂二作夫婦は八丈島へ遠島になって、玄石は三年目に死去し、茂二作夫婦も四五年の内に死去いたしたのは天罰、斯《か》くあるべき筈でございます。さて長二郎は死罪を覚悟で駈込訴えをいたしました処、もとより毛筋程《けすじほど》も悪心のないのは天道様が御照覧になって居りますから、筒井様のお調べ、清兵衛のお慈悲願いから、林大學頭様の御理解等にて到頭実父の復讐《かたきうち》となり、御褒美を戴いた上、計らず大身代《おおしんだい》の龜甲屋を相続いたす事になりまして、公儀から指物|御用達《ごようたし》を仰付けられましたので、長二郎は名前を幼名の半之助と改め、非業に死んだ実父半右衞門と、悪人なれど腹を借りた縁故により、お柳の菩提を葬《とむら》うため、紀州の高野山へ供養塔を建立《こんりゅう》し、また相州足柄郡湯河原の向山の墓地にも、養父母のため墓碑を建てゝ手厚く供養をいたしました。右様《みぎよう》の事がなくとも、長二郎の名は先年林大學頭様の折紙が付いた仏壇で、江戸中に響き渡りました処、又今度林大學頭様
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