お父《とっ》さんは義理が有るから、おくのさんに彼《あれ》は宅へ寄せ附けないと云う、又おくのさんは、舅の機嫌を取って、貴方《あんた》の借金の方を附けるてえ事を、僕は此間《こなえだ》聞いてゝ落涙をしましたが、本当に感心な心掛だと思《おめ》えました、貴方《あんた》も子は可愛いだろうね」
茂「ヘヽヽ子の可愛く無いものは有りません」
治「それはね君も惚れて、大金を出してからに身請までした女を、よせと云うのは僕が強気《ごうぎ》に失敬な事を云うと君思うかは知れんが、彼《あ》のお瀧を、君に持たして置くのをよさせ度《た》いね、廃《よ》し給え、君の為に成らんから」
茂「誰も然《そ》う云うが、何うも自分の好いた女と、一《ひ》ト処《とこ》で取膳《とりぜん》で飯でも喰わなけりゃア詰らんからね、何も熱く成ってると云う訳じゃア無いが、僕の方からおくのを好いて持った訳でも無い、親の意を背かずに厭な女だけれども仕方なしに持ったが、自分の好いた女を愛して居るのがマア男の楽しみだからね」
治「それは楽しみさ、何も僕が君の楽しみを止《とゞ》めるてえ訳では無いが、如何にも君の細君の心に成って見ると、僕は君の楽しみを止《と》めたいね、彼《あ》のお瀧なるものは……君の前でお瀧と云っては済みませんが、僕も彼《あれ》が芸者で居る時分二三度買った事も有るが、おくのさんのように、あゝ遣って留守を守って固くして、亭主の借金|済《な》しまでして、留守を守って居るようなら宜しいが、中々彼は守らんぜ、密夫《みっぷ》の有る事を君知りませんかえ」
茂「え……誰か/\」
治「誰かと云うて顔色を変えて……迂濶《うっか》りした事は云えない、確《しか》と是はと云う証《しょう》もなし、何も僕がその密夫と同衾《ひとつね》を為《し》ていた処を見定めた訳では無いけれども、何うも怪しいと云うのは、疾《と》うから馴染の情夫《おとこ》に相違ないようだ、君の前で云うのは何《な》んだが、本当に彼《あれ》が君を思って貞女を立て通す気かも知れないが、君の処へ松《まつ》五|郎《ろう》と云うものが遊びに来ましょう」
茂「なに彼《あれ》は東京の駿河台《するがだい》あたりの士族で、まだ若《わか》え男だが、お瀧が東京の猿若町で芸者を為《し》て居た時分に贔屓に成った人で、今|零落《おちぶ》れて此地《こっち》へ来て居ると云うので、福井町《ふくいまち》に居ると云って時々遊びに来るから僕も酒を飲合って居るのさ」
四
治「君は気い附かずに居るんだかね、君の留守へ彼《あ》の松五郎が来て、お瀧と差向いで飲んでゝ、僕の這入ろうと為《し》たのを、気い附かないようだったから、すーッと外して出たが、其の後《ご》両度ほど松五郎と差向いで酒を飲んで居た処を見たが、何も差向いで酒を飲んで居たから密通をして居ると云う訳でも無いが、実は色を売って居た芸者の事だから、何んとも云えないのさ、それに君も細君に苦労を掛けて、子まで有る身の上で、負債も嵩《かさ》んで居《い》られる事だから、日頃御懇意に致すに依って申すのだが、入らざる事を云うと君に愛想を尽《つか》されて立腹を受け、再び取引せんと云われゝば止むを得んが、全く君のお為を心得るから云いますので」
茂「有難う……然《そ》う云えば彼《あ》の松五郎は度々《たび/\》来ます」
治「度々来ましょう」
茂「私|彼奴《あいつ》たゞア置きませんヘエ……」
治「それは悪い……顔の色を変えて、たゞア置きませんなんて、刃物三昧をするのは時節が違いますよ、成程あんたは素《も》と戸田さまの御藩中だが、今は機屋だから機屋らしい事を為《し》なければなりませんよ、御近所に原與左衞門《はらよざえもん》も居りますから、誰《たれ》か解るものを頼んで、体能《ていよ》く彼《あれ》を東京へ帰すとか、又は他《た》へ縁付けるとかして、話合いで別れなえといけませんぜ、先方《むこう》で君に惚れて何処《どこ》まで居る了簡か、又は出てえ了簡なのかそれは分りませんが、君も然う思っては最う添っちゃア居られますまい、岡目八目だが」
茂「いえ何うも御真実|辱《かたじ》けない、成程浮気稼業の芸妓《げいしゃ》だからちっとは為《し》ましょうけれども、私《わし》が大金を出して、多分の金も有る身の上では無いが、彼《あれ》の借財を返して遣り、請出した恩誼《おんぎ》も有るからよもや[#「よもや」に傍点]と思います、彼《あ》の時など手を合せて、私《わたし》は生涯|此地《こゝ》に芸妓を為て居る事かと思いましたが、貴方のお蔭で足を洗って素人に成れまして、斯《こ》んな嬉しい事は無い、時節が違うからべん/″\と何時までも芸妓をして居る心は有りませんと云って拝んだ事も有りますから、此の恩誼は忘れまいかと思いますが、何う為たら宜かろう……二人の悪事を見定め、何うかして松五郎と密通して居る処へ踏み込んで遣りたいね」
治「じゃア斯う為《し》たら何うだろう、君は時々松五郎を家《うち》へ呼んで酒を飲み合うだろう、じゃア何うだえ、今夜は淋しくって夫婦差向いで酒を飲んでも面白くないが、東京の人の云う事は面白いから松さんを呼んで来なと云って、遅くまで飲んで、夜短《よみじ》かの時分だから泊ってお出《いで》な、是から帰るったって一人身の事だから、女郎買でも始めると宜くないと云って無理に止めてサ、貴方《あんた》が端の方へ寝て、中央《まんなか》へお瀧を寝かして、向うの端へ松五郎を寝かして、貴方が寝た振をして鼾《いびき》を掻いて居る、其の中《うち》にお瀧が中央に居るから、若《も》し情実《わけ》が有ればソレ夜中に向うの床の中へ這入るとか、男の方からお瀧の方へ足でも突込《つッこ》めば、貴方が跳起《はねお》きて両人《ふたり》をおさえ付け、実は斯ういう訳の有る事を知って居《お》るから汝《てめえ》を呼んだのだと云って、長熨斗《ながのし》を付けて呉れて遣る、己《おれ》も男だ、素《もと》より芸妓《げいしゃ》の浮気は知って居るから汝に呉れて遣ると云えば、銭入らずに事が済むから、然うしてあんなものは早く追出して仕舞って、何うかおくのさんを可愛がって上げなんし、宜くねえよ」
茂「誠に有難う」
治「然《しか》し僕が云ったと云ってはなりません」
茂「いや御親切誠に有難う」
と真実な治平の言葉に感じて宅へ帰りました。
五
其の翌日は丁度所の休み日で、
茂「今日は松五郎を呼んで一|盃《ぱい》飲みたい」
と手紙を以て松五郎を呼びに遣ると、早速まいりました。
茂「何ぞ旨い肴は無いか」
と云うので是から三人で酒を飲み合って居る中《うち》に、茂之助が気を付けて見ると、何うも二人の様子が訝《おか》しい、気が付かずに居《お》れば然《そ》うでもないが、疑心を起して見ると、すること成すこと訝しく見えます。ちょいと見る眼遣《めづか》いの時に、眼の球が同じ横に往《ゆ》きながらも、松五郎の方《かた》を見る時は上の方《ほう》へ往くが、僕の方を見る時は、下眼《さがりめ》で、何んだか軽蔑して見るような眼つきだ、鰌《どじょう》の骨抜を皿へとりわけるにも、僕の方には玉子の掛らない処を探して、松五郎の方へばかり沢山玉子の掛った処が往くと、一々気になって来ます。斯う遣って僕にばかり盃を差すのは、僕に酒を勧め酔わして置いて寝かしてから彼奴《あいつ》の方へ往く了簡だろう、と思いましたから、成《なる》たけ酒を飲まぬようにして、お膳の隅へあけて、お瀧に盃を差し、女を酔わして堕落させようと思い、頻《しき》りに酒を勧める。其の心の中《うち》の戦《たゝかい》は実に[#「実に」は底本では「実た」]修羅道地獄の境界《きょうがい》で、三人で酒を飲んで居りましたが、松五郎は調子の好《い》い男で、
松「何うも大きに酩酊しました、もうお暇をしましょう、お暇をしましょう」
茂「まア宜《い》いじゃア無いか、今夜は泊って往《い》き給え、是から福井町へ帰れば、貸座敷と云っても余《あんま》り好《い》いのは無いが色を売る処、殊《こと》に君は独身者《ひとりもの》だから遊女にでも引ッかゝると詰らんよ、一つ蚊帳《かや》の中へ這入って三人|混雑《ごった》にお泊りよ」
瀧「お泊んなさいよ、お前さんは独身《ひとりみ》だから余程《よほど》遊ぶてえ事を聞いたが、詰らないお銭《あし》を費《つか》って損が立つ計《ばか》りではなく、第一身体でも悪くするといけないし、それに余程《よっぽど》もう遅いよ、慥《たし》か一時でしょう」
茂「だからさ、泊って往《い》きたまえ」
と無理に引止め、片端へ茂之助が寝て、中央《まんなか》へお瀧、向うの端へ松五郎が寝まして、互に枕を附けると、茂之助は胸に一物《いちもつ》有りますからわざとグウー/″\と鼾を掻いて居りますが、少しも寝ない。何うして居やアがるか見て遣りたいと、眼を瞑《ねむ》って居ながらも時々細目に開いて、態《わざ》とムニャ/\と云いながら、足をバタァリと遣る次手《ついで》にグルリと寝転《ねがえ》りを打ち、仰向《あおむけ》に成って、横目でジイとお瀧の方へ見当を附けると、お瀧はスヤリ/\と寝て居る様子、松五郎もグウー/\と鼾を掻いて居ますから、いまにお瀧が彼方《あっち》へ往《い》くに相違ないと思って居る中《うち》に、次第/\に夜が更けて来る、渡良瀬川《わたらせがわ》の水音高く聞えるように成ると、我慢して起きて居たいが飲める口へ少し過したので、ツイとろ/\と茂之助が寝まして、不図《ふと》眼を覚して見ると、お瀧が竈《へッつい》の下を焚《た》き附けて居て、もう夜が白んで、松五郎は居りませんから、アヽ失策《しま》ったと思い、
茂「お瀧/\」
瀧「あい」
茂「松さんは何うしたえ」
瀧「あの誠になにだがお暇乞《いとまごい》をしなければ成りませんけれども、少し用が有ると云って早アく帰りました、又四五日内に来ると云いましたよ」
茂「はアー然うか、少し頼みたい事が有ったのに……アヽー眠い/\、何故此の頃は斯んなに眠いんだろう」
と瞞《ごま》かして居りましたが、何んでも己がトロリと寝た間《ま》に逢引をしたに違いねえ、と疑心が晴れませんから、又一日|隔《お》いて松五郎を呼び、酒を飲まして例《いつも》の通り蚊帳を釣って三人の床を展《の》べ、茂之助は仰臥《あおむけ》になって横目で二人の様子を見ながら、空鼾《そらいびき》を掻く中《うち》に、余《あと》の二人もグウー/\と寝て居ます。時々細目に開いては見ますけれども、二人とも側へ寄る様子も有りません。お瀧は茂之助の方を向いて寝て居ります。
六
茂之助は、二人の様子に目を付けて居るが、何うしても知れない。何んでも是は明方人の起る時分に何うかするに違い無い、今夜こそは、と心を締めて居る中《うち》に、漸々《だん/″\》眠くなって来たから、腿《もゝ》を摘《つめ》ッたり鼻を捻《ねじ》ったりして忍耐《がまん》しても次第に眠くなる、酒を飲んで居るからいけません。明方になると、トロ/\と寝ました。……アヽ失策《しま》ったと眼を開《あ》いて見ると、お瀧は竈《へッつい》の下を焚付けて居ますが松五郎は居りません。
茂「お瀧/\」
たき「あい」
茂「松公は何うした」
たき「早く帰りました」
茂「少し用が有るんだッけ……アヽーまた明日《あした》呼ぼう」
と云って同じく遣って見たがいけません。口惜《くやし》い/\と思って不図考え付いてお瀧を呼び、
茂「お瀧、己は東京へ金策に往って事に寄ると横浜へ廻って来る」
と宅《うち》を出まして、直《じき》近村の太田の知己《しるべ》の家に居て、日の暮れるを待って、ソッと土手伝いに我家へ忍んで来ました。畠には桐を作り、大樹が何十本となく植込んで有り、下は一杯の畠に成って居ります。裏手の灰小屋へ身を潜め、耳を引立《ひった》て宅の様子を聞いて居りますると、お瀧が爪弾《つめびき》で何か弾いて居ります。此の爪弾が合図に相違ないと思って居る中《うち》に、夜《よ》は次第に更けわたり、しんと致すと、何処《どこ》の寺の鐘か幽《かす》かにボーンと聞え、もう十二時少し廻ったかと思う時刻に、這入って来たのは村上松五
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