い」
女「有難うございます、どんなに悦ぶか知れません、東京の知った方がお出でになると帰りたいと涙ぐんで話すので、中には連れて行《ゆ》こうと云う人もありますが、私があるから行《い》く訳にも往《ゆ》きません、私も行《ゆ》きたいと云うと、婆《ばゞア》が一緒じゃア困ると仰しゃる、それゆえまア此処に居ります……お前さんは相変らずお元気で」
幸「何うも仕方がありません、親父が死んでからは何も為《し》ません、只遊び一方で仕様がない、怠惰者《なまけもの》になって仕様がありません」
由「御苦労なすった御様子ですが、まだ御新造さんなどは宜しいので、先刻木暮へ漬物を売りに来た方は五百石取ったとか云う、ソレ彼《あ》の色の白い伊香保の木瓜《きうり》見たいな人で、彼の人が元はお旗下だてえから、人間の行末《ゆくすえ》は分りません……じゃア御新造さん私も種々お話もありますから翌《あす》の晩」
女「屹度《きっと》見世を仕舞うと参ります、もう仕舞いましょうと思います」
由「翌の晩ですよ、左様なら」
と其処《そこ》を出て暗くなって帰って来ましたが、木暮八郎の三階の八畳と六畳の座敷を借りて居る二人連れ、婦人の若い方《かた》の女中が癪《しゃく》が起って、お附の女中が落着《おちつ》く様に押して居《お》るが、一人では間に合いません、次の間に居た車夫の峰松が手伝ってバタ/\して居《お》る処へ帰って来ました。
二十二
峰「由さん、今手こずったよ」
由「何うした」
峰「今お癪で困りますから、早々障子を開けて這入っておくんなせえ」
由「なにを」
峰「癪が起ったので」
由「男が癪を起すのは珍らしいじゃアねえか」
峰「私じゃアねえ、隣座敷の御新造様が起したので」
由「なに御新造がお癪」
とガラリ障子を明けて見ると、御新造は歯を噛〆《くいし》め反《そ》って居《お》るを女中が押して居《お》るが力の強いもので男の二三人ぐらい跳《はね》かえしますから、由兵衞が飛込んで押えます。
女「有難うございます、此方様《こなたさま》で助かります、女一人では仕様がございません」
由「宜しゅうございます、此方《こなた》へ首をおかけなさいまして、脊割《せわり》を脛《すね》で押せば宜しいので、何しろお薬を……旦那お薬を」
幸「ナニ薬……峰公、床の間に己のカバンがあるから、あれを持って来な」
峰「カバン」
幸「早く/\」
峰「カバンはございません……貴方が其処《そこ》に持って居らっしゃる」
幸「おゝ、そうか……神薬《しんやく》がある、早く水を」
というので薬を飲ませると好《いゝ》塩梅に薬も通って下《さが》る様子
「反らしちゃアいけない……」
由「あ痛《いて》え石頭を打付《ぶッつ》けて……旦那ナニを……咒《まじな》いでげすから貴方の下帯を外して貸して下さい下帯で釣りを掛けると好《い》いので、私のは越中でいけませんが、貴君《あなた》のは絹でげしょう」
幸「失礼な、僕の下帯で奥様方を……」
由「だッて御病気の時は、そんなことを云ったって仕方がありません、咒いでげすから、失礼だって構いません」
幸「じゃアまだ締めないのがあるからあれを」
由「締めないのではいけません、締めたのが宜しいので」
幸「だって此処で脱《と》れるものか」
とやがて新しい絹の下帯を持って来て釣りをかけ漸くに治まりも着きました。
女「なに好《よ》いよ、もう宜しい、岩《いわ》や治まったから心配せんで宜しいよ」
岩「貴方どんなに心配したか知れません、お隣のお客様お三方がお出で下すって、結構なお薬を戴き治まりが着いたのでございます、確《しっ》かり遊ばせ」
女「宜《よ》いよ、あゝ……有難うございます、皆さんもう宜しゅうござります」
由「恐れ入りました、お癪は治まると後《あと》はケロ/\致します……中々お強いお癪で」
峰「私の拇指《おやゆび》はこんなになりました……随分強いお癪で」
幸「お薬はまだ私の方にありますから、これは此処へ置いて参ります、お構いなくおあがりなすって」
岩「誠に有難う存じます、お若衆様《わかいしゅさま》に一と通りならんお世話になりまして恐れ入ります……貴方能くお礼を仰しゃいな」
女「有難うございます」
幸「左様にお礼では痛み入ります」
と是から自分の座敷へ帰りまして、
幸「強《ひど》いお癪だねえ」
由「強いたって癪の起るような身体つきであるよ、痩せぎすで、歯を噛《く》い〆めて居る処は人情本にあるようでげす、好《よ》い女でげすな、伊香保で運動して居る奥様方や御新造さん方を見るに一番別嬪はお隣の御新造で、彼《あ》のくれえ品が宜くって、あのくれえ身体つきの好いのはありません、外のは随分お形装《なり》は結構で、出るたんびに変り、でこ/\の姿で居ても感心しない、起《た》って歩く処を見ると、丈《せい》がづんづら低かったり、
前へ
次へ
全71ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング