盆《くりぼん》で。
女「此方《こちら》へお掛けなさいまし」
幸「好《い》い景色だな、ちょうど今頃は好い景色に向う時だ」
女「はい、御緩《ごゆる》りとお休みなさいまし……おや、貴方《あんた》は橋本の幸《こう》さんじゃアございませんか」
幸「おや、これは御新造《ごしんぞ》さん……何うして貴方《あなた》が此処に」
女「誠にどうもお珍らしいたって久しくお目に懸りませんが、まア御承知の通りお上《かみ》も亡《なく》なりまして、私も此様《こん》な処で、お茶を売るまでに零落《おちぶ》れましたが貴方《あなた》はまア大層お立派におなりなすって、見違いますようで……おや由兵衞さん」
由「これは御新造《ごしんぞ》さん……これはどうも村上の御新造《ごしんぞう》さん、此処でお茶を売って居らっしゃるとは何様《どんな》探報者《たんぽうしゃ》でも気が付きません……どうしてまア」
女「どうもお恥かしくって……実は貴方《あんた》さんも御存じの通り、旦那様も彼《あ》ア云う訳になりましてねえ、仕方なく私ももう段々身体も悪し、微禄《よわり》まして[#「微禄《よわり》まして」は底本では「微碌《よわり》まして」]しまったから、何を内職にするにも身体が本《もと》だから、其様《そんな》にくよ/\せずに湯治に行ったら宜かろうと勧めてくれる者もありまして、此方《こっち》の方に縁の家来筋の者が居りましたから、これへ参って湯治をすると、湯中《ゆあたり》がしてドッと悪くなり、五週間ばかり居るうちにお恥かしいお話でございますが、金を使い果してしまい、何うする事も出来なくなったのを、木暮武太夫と申す大家さまが真実な人で、種々《いろ/\》云ってくれましたから、お前さん此処へ参ると、望月《もちづき》と云う書画なぞの世話をする人が在《あ》って、其の人に道具を東京で買ってもらい、此処へ茶見世を出して居りますのも、大家さん方に願ってお話をして、とうとうまア此の五月の末からこんな事をして居りますが、ほんの湯治かた/″\やって居りますので、初めは間が悪くって知った方に逢いますと顔から火が出るようで、茶を汲んで出す事も出来ませんでしたが漸く此の頃は馴れて参りました……お懐しい東京の方を見ると、思い出して、東京のようすも大層違ったろうと思いますが、浅草の観音様は相変らず彼処《あすこ》にありましょうねえ」
由「えゝ、ありますとも、外《ほか》に地面がありませんから」
二十一
由「御新造《ごしんぞ》様、私《わたくし》は余計な事を申すようでございますが、岡野《おかの》三|太夫《だゆう》様なぞは、以前は殿様/\と申上げたお方だが、拙宅《うち》へお手紙で無心をなさるとは、どのくらいの御苦労か知れません、私《わたし》に手を突いて御無心をなさる有様にお成りなすったかと、少し恵むと云う程な訳ではござりませんが、それから見ると御新造様なんぞは御《ご》気楽で、何んだって朝夕斯様な好《よ》い景色を庭のように見て居る、此のくらいな御養生はありません、お気楽でげしょう」
女「皆来る方は其様《そんな》ことを云いますが、お前さん方は偶《たま》に来るからで、朝夕のべつゞけに山を見ると山に倦々《あき/\》しますよ」
由「そうでしょう、こりゃアそうでしょう、私《わし》の懇意な者が高輪《たかなわ》に茶店を出して、旧幕時分で、可笑しかった、帆かけ船は見えるし、二十六|夜《や》の月を見て結構でしょうと云うと、左様《そう》でない、通るものは牛馬《うしうま》ばかりで、島流しに遇《あ》ったようだと云ったが、これは左様でげしょう、併《しか》し男子山《おのこやま》と子持山《こもちやま》の間から足尾庚申山《あしおこうしんざん》が見える、男子子持の両山の景色などは好《よ》いねえ……あゝ子持で思い出したが、お嬢さんはお身大きくおなりでしょうね」
女「あれも十九になります、お耻かしい事でありますが、詮方《せんかた》なしに身過|世渡《よすぎ》、下《しも》の福田屋龍藏《ふくだやりゅうぞう》親分さんの処で抱えもすると云うので、行立《ゆきた》たぬから、今では小峰《こみね》と云って芸妓《げいしゃ》になって居ります」
由「お嬢様が……だからねえ、もうお鼻などは垂れやアしますまい、お少《ちい》さい時分にお馴染の方が芸妓に出て、お座敷でお客様に世辞を云うようになるのだから、此方《こっち》はベコと禿げるのは当前《あたりまえ》で、左様《そう》でげすか……旦那ちょうど好《い》いのでげす」
幸「御新造様、旧来のお馴染である旦那様にも種々《いろ/\》御懇命《ごこんめい》を蒙むったこともありますから、またお力になるお話もありましょう、またお嬢様にも久し振でお目にかゝりたい、事に寄ったら明日《あした》の晩|向山《むこうやま》へお嬢様を連れておいでなさい、あなた是非連れて来てくださ
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