だっ》て私《わたくし》は或るお方のお供をいたして、堀越《ほりこし》團《だん》十|郎《ろう》と二人で草津へ参って、彼《か》の温泉に居りましたが、彼処《あすこ》は山へ登《あが》るので車が利きません。矢張り昔のように開けません、近郷の人が入浴に参りますが、当今は外国人が大分参りまして入浴いたします。温泉場でもやり尽しまして、斯うしたらお客様の御意に入るか、斯う云う風に家を建てようかなどと心配いたして、追々開けて参る様子でございます、其の中《うち》にも丁度近くって伊香保と云う処は宜《よ》い処で、海面から二千五百尺高いと云う、空気は誠によく流通いたして、それから湯が諸病に利くと云う宜しい処で、脚気《かっけ》に宜しく、産前産後血の道に宜しく、子宮病に宜しく、肺病に宜しく、僂麻質斯《りょうまちす》は素《もと》よりの事、これは私《わたくし》が申す訳ではございません、独逸《どいつ》のお医者様が仰しゃったので、日本温泉論にありますそうで、随分大臣方がお出向になります。何う云うものか俚諺《ところことば》に、旅籠屋《はたごや》のことを大屋《おおや》/\と申します。此の大屋の勢いは大したもので、伊香保には結構なのが沢山ございますが、中にも名高いのは木暮金太夫《こぐれきんだゆう》、木暮|武太夫《ぶだゆう》、永井《ながい》喜《き》八|郎《ろう》、木暮八|郎《ろう》と云うのが一等宜いと彼地《あちら》で申します。木暮八郎の三階へ参って居ます客は、霊岸島川口町《れいがんじまかわぐちちょう》で橋本《はしもと》幸《こう》三|郎《ろう》と申して、お邸《やしき》へお出入を致して、昔からお大名の旗下《はたもと》の御用を達《た》したもので、只今でも御用を達す処もござりますが、まア下質《したじち》を取って金貸と云うのだから金満家でございます。お父《とっ》さんは亡《なくな》って、当人は相続人になりました。只《たっ》た一人のお母《っか》さんがありまして、幸三郎に嫁を貰った処が、三年目に肺病に罹《かゝ》りまして、佐藤《さとう》先生と橋本《はしもと》先生にも診《み》て貰ったが、思うようでなく、到頭|死去《みまか》りました。今は独身《ひとりみ》で嫁を探して居《お》る身体、まだ年が三十七と云うので盛んでございまする。箱根へ湯治に行ったが面白くない、今度は伊香保へ行って見よう、一人では淋しい、連れをと云うので、是れは木挽町《こびきちょう》三丁目の岡村由兵衞《おかむらよしべえ》と云う袋物商《ふくろものや》と云うと体《てい》が宜しいが、仲買をしてお出入先から何品《なにしな》をと云うと、直《じき》に宮川《みやがわ》へ駈付けるという幇間《おたいこ》半分で面白い人で、また一人は伴廻《ともまわ》り、これは渋川の車夫で、車に乗って来た処が、正直で能く働き、気の利いた男で、しまいには馴染になって、正直者だから次の間に居れ、帰途《かえり》は又乗ると云う、此方《こちら》も居得《いどく》だから小用《こよう》を達して茶をいれたり何かする。年はまだ二十八だが、車夫には似合わぬ好《よ》い男でございます。今日は昼飯を食ってから少し運動をしようとぶら/\出かけました。
二十
只今では彼処《あすこ》は変りまして湯本へ行《ゆ》きます道がつき、あれから二《ふた》ツ嶽《だけ》の方へ参る新道も出来ましたが、其の頃はそう云う処はありませんから、まず伊香保神社へ行《ゆ》くより外に道はございません。石坂を上《あが》って行《ゆ》くと二軒茶屋があります、遠眼鏡が出て居りますが曇ってゝ些《ちっ》とも見えません、却《かえ》って只見る方が見えるくらいで、ほんの景気に並んで居るのでございます。お婆さんが茶を売って居る処へ三人連で浴衣に兵子帯《へこおび》の形姿《なり》で這入ろうとすると、何を思ったか掛茶屋の方を見て、車夫の峯松が石坂をトン/\駈下りました。
幸「おい……峯公何うしたのだ、駈下りたじゃアねえか」
由「其処《そこ》まで来て駈下りましたが、何か忘れ物でもしたのでしょう、貴方がカバンを提げて居らっしゃるとキョト/\して居ます、初めて伊香保へ来たから華族さんや官員さんの奥様や、お嬢さん達の衣装が綺麗で、日に二三度も着替えて御運動だから、彼奴《あいつ》は安物買が勧業場《かんこうば》へ来たようにキョト/\して、危い石坂を駈下りたりなにかするので、今は何で行ったか分りませんが、時々能く物を買って食う男で、随分意地の穢《きたな》い男で」
幸「何しろ何処《どこ》かへ休もうじゃアねえか」
と傍《かたわら》の茶見世へ這入ると、其処に四十八九になる婦人が居ります。髪は小さい丸髷に結い、姿《なり》も堅い拵《こしら》えで柔和《おとな》しい内儀《かみ》さんでございます、尾張焼の湯呑の怪しいのへ桜を入れて汲んで出す。其のお盆は伊香保で出来ます括
前へ
次へ
全71ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング