瀧「はい手前《てまい》でございますが、何方《いずれ》からお出でゞす」
くの「はい貴方《あなた》がお瀧さんでござりますか」
瀧「はい私が瀧でございますが何方《どちら》からおいでゞすか」
くの「はいお初にお目にかゝりまして、お噂には毎度承知いたして居りやんしたけれども、是迄はおかしな訳で、染々《しみ/″\》お目にかゝる事も出来ませんで、私ゃア茂之助の女房のおくのと申す不束者でござんして、何うかお見知り置かれましてお心安う願います」
瀧「おや然《そ》うですか、私もおかしなわけで、かけ違ってお目にかゝりませんでしたが、能くまア斯んな処へお出で下すって、まア此方《こちら》へお上んなさい、何だか暗くっていけませんから、今|灯《あかり》を点《つ》けます、這入口は蚊が刺していけませんから、まア此方へ」
くの「はい有難うございます、まア是ア詰らん物《もん》でございますけれども、私が夜業《よなべ》に撚揚《よりあ》げて置いたので、使うには丈夫一式に丹誠した糸でございます、染めた方は沢山《たんと》無《ね》えで、白と二色《ふたいろ》撚って来ました、誠に少しばいで、ほんのお前様《めえさん》のお使い料になさるだけの事でござります」
瀧「はいそれはまア何よりの品を有難うございます、さアずっと此方《こちら》へお出でなさいまし、おや子供|衆《しゅ》を負《おん》ぶで、其処は蚊が刺しますから団扇をお遣いなすって」
くの「はい、団扇は持って居ります、私《わしゃ》ア貴方《あんた》に少しお目にかゝってお願い申したいと存じまして」
 と是からおくのが話し出します事は明日《みょうにち》。

        十六

くの「家《うち》へはちょっくら買物に往《い》くって嘘を吐《つ》いて参《めえ》りましたが、私《わし》が良人《うちのひと》の茂之助もまア御縁があって、あんたを前橋から呼ばって栄町に世帯《しょたい》を持たせて置いた事は聞いて居ましたけれども、男の働きで当前《あたりまえ》のことゝ思《おめ》えましても、年寄てえ者は取越苦労して、私にあんた義理もあるだから、やかましく云いますし、やかましく云えば意故地《いこじ》になって家へも帰んねえようにする彼《あ》れが気象でござりまして、あんな我儘な気象、あんたも知っての通り誠に心配《しんぺえ》して、まア縁が切れても男の未練で、ひょっとして貴方《あんた》のとけえでも来て、詰らねえ事でもハア言い出せば、貴方だっても、まア松五郎さんでも黙っては居なさらねえ、縁の切れた所《とけ》え来て、たわいもねえ事をいえば合点しねえぞと云えば、売言葉に買言葉、何《ど》んなえらい事になるかも知れねえとまア、女の狭《せめ》え心で誠に案じることでござります、年寄子供を扣《ひか》えて軽躁《かるはずみ》な事がなければ宜《よ》いがと思って居ます処の、昨日《きのう》私が処《とけ》えねえ……少し家へ来られねえだけれども、逢いてえッて来た様子が誠に案じられますから、それからまア何うかしてと思って居ましたけれども、太田へ参《めえ》ったことを聞きましたから、また此方《こちら》へでも来《き》めえか、ひょっとして軽躁な事がありはすめえかと心配《しんぺえ》して、栄町へ参《めえ》りましたら栄町《あちら》の世帯《しょてえ》は仕舞って、太田の方へ行ったてえから、気になってなんねえで、此方へ参りましたが、若《も》し茂之助が此処《こけ》え参りまして、どんなハア詰らねえことを言いかけても、あんた取合わずにまア柳に受けて居て下さると、荒《あれ》えことも為《し》めえから、打遣《うっちゃ》らかして居て下すって、其の時云った事が貴方のお気に障れば、其の時はどんなに胆《きも》がいれる事があっても、後《あと》でまた気の静まるときに意見をすれば聴入れてくれる人でござりますから、何うか若し参りましたらば、何卒《どうぞ》あんた逆らわずに柳に受けてお置き下さるようにお願《ねげ》え申してえもので」
瀧「はい、そうで御座いますか、困りますねえどうも、まア貴方《あんた》には初めてお目にかゝりましたが、茂之助さんは前橋の六斎の市のたんびにお出でなすったが、お前さんという立派なお内儀《かみさん》や子供のある事は存じません、当人も隠して女房はないから斯うもしてやると仰しゃって下さるから、頼り少い身体で、そんならばと云って来て見ると、子供|衆《しゅ》もあり、お内儀さんも在《あ》って、手前《てめえ》は家《うち》に置かれないからと栄町へ裏店《うらだな》同様な所《とこ》へ世帯《しょたい》を持たして、何だか雇い婆《ばゞあ》とも妾ともつかぬ様な仕合《しあわせ》で、私も詰らねえから、何しろ身を固めるには夫を持たなければ心細いからと思いまして、それで浮気をしたてえ訳じゃアありませんが、今の松さんが前橋へ来なすったが、私も東京《とうけい》に居た時分か
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