方でもジッと治平の顔を見詰めて傍《かたえ》を振向き、下婢に何かコソ/\話を致して居りますから、治平も何うも見たような女だと思いながら、また見て居りますと、見られると見返すもので、情が通ずるか先方《むこう》でも頻りと治平の顔を見たり何か致して居ります。
六十七
湯場の習慣《くせ》で、運動などを致して居《お》る時には知らん人でも挨拶を致します。
治「お早うございます、好《い》いお天気に成りましたが御運動でげすか……」
なんて瞞《ごま》かし込み、宜《い》い程に挨拶を致し、終《しまい》には何かお遣物《つかいもの》をしよう、何を遣ったら宜かろう、八崎《はっさき》から幸い好《よ》い鮎が来たから贈りたいものだと云うので、是から大皿へ鮎を入れて二十疋ばかり贈りました。すると先方《むこう》の女からお礼が参りました。葡萄酒の瓶を三本に東京から来た菓子折を持って、
下婢「御免下さいまし」
治「これは入らっしゃいまし、さア此方《こちら》へお這入んなさい」
下婢「先程は結構なものを沢山に有難う存じました、誠に大悦びでございまして、大層お珍らしい美事な鮎で、大層子がありまして塩焼にして召上りましたが、お嗜《すき》でございますから三度も続けて召上る位で、誠に大悦びで在《いら》っしゃいました……此品《これ》は誠に詰らんものでございますが、此のお菓子は東京《とうけい》から参りましたから何卒《どうぞ》召上って」
治「いや是は恐れ入りましたな、斯様な何うも頂戴致すような訳なのではありません、多分に何うも…是では却って鰕《えび》で鯛を釣るような訳で、恐れ入りましたな」
下婢「いえ詰らんお菓子で」
治「お茶を一つ」
下婢「有難う存じます……貴方は何んですか久しく此処に湯治をして在っしゃいますか」
治「ヘヽ僕は間《ひま》さえ有れば、近《ちこ》う御座いますから、来たくなるとスイと参ったり、別に用もない時は大概来て居ります」
下婢「だからお馴染が多いので、皆さんとお話をなさる御様子が……併《しか》し永井の家《いえ》は誠に手当が宜うございますね」
治「えゝ中々|好《よ》い家《うち》で、永井一郎という俳諧師で武芸も上手なり、鉄砲も打ったりして有名の人だったが、故人になり、その家内は今の母親《おふくろ》で、今の主人も堅い人でお客を大事に致しますから、此の通り繁昌でげすが、貴方の在っしゃるお二階は結構に出来ましたな」
下婢「本当に当家《こゝ》は客を大切にするが、此の位に致しませんではお客が殖えますまい……貴方はお一方《ひとかた》ですが、御新造をお連れなさいませんのですか」
治「ヘヽヽ私には其様《そん》なものはないので、独身者でございます」
下婢「おや然《そ》うでございますか」
治「ヘー……お宅《うち》は」
下婢「極く野暮な処でございますよ、青山で」
治「へえー東京《とうけい》の青山と申すと四谷の方でございますか」
下婢「四谷とも違いますが、信濃殿町《しなんどのまち》と申しまするので奥さまは未だお若うございますが、御運が悪くって殿さまが御逝去《おかくれ》になりまして、今年で丁度四年の間お一方でいらっしゃいますが、何も御不自由のないお身の上でありますから、お寒い中《うち》は大概熱海の藤屋へ往っていらっしゃいますが、今度は伊香保へ来たいと仰しゃって、箱根へ往らしったり何《なん》かなさいますけれども、箱根のお湯は遊山には宜しゅうございますが、お血の道には当地の方が宜《い》いと云うので、いらっしゃいましたのですよ」
治「へえ、殿様はお逝去に……官員さまで在らっしゃいましたか、何処《どれ》へお勤めなさいましたので」
下婢「何とか云いましたっけえ、お寺見たような名で、アノー元老院とか云う」
治「えゝー成程、左様でございますか、それじゃア上等の官員さまで」
下婢「お実家《さと》はお兄《あにい》さまは銀行の頭取をなすって居らっしゃいますので」
治「銀行、ヘエー前橋にも支店が有りまして御懇意の方もありますが、ヘエー左様でございますか、成程深川でいらっしゃいますかお実家《さと》は」
下婢「あの今晩は月が宜しゅうございますので、裏の方を見ますと流れが見えて、誠に景色が宜しゅうございますから、別段何もございませんが、頂戴の鮎で一口上げたいが、知らない人ばかりでいけないと思ってますと、貴方のお身の上を承わりまするのに、彼《あれ》は前橋の斯う云う身の上のお方だと承知致しまして、彼《あ》のお方なればって、奥さまも御退屈ですから何卒《どうぞ》入らしって下さいまし」
治「それは誠に有難う……ヘエ是非出ます、屹度参ります」
下婢「屹度お待ち申して居ります、左様なら」
と云い捨てゝ出て往《ゆ》きました。
六十八
桑原治平は嬉しいので逆《のぼ》せ上りました。別嬪に一|献《こん
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