てる訳もなしするから、若《も》し剣術でも習いてえなら、私の御主人筋の人が剣術が偉《えれ》えから其処《そけ》へ往って稽古をさせてよ、自分で敵を討たねえまでも剣術が習いたくば其の人に頼んで、お前《めえ》の志を話したら、あゝ感心な訳だ、己《おら》ア家《うち》に置いて剣術を教えてくれべえと云って、引取ってやろうと仰しゃるに違《ちげ》えねえから、己《おら》アお前《まえ》を其家《そこ》へお連れ申そうと思って、入らざる事だが、十二や十三で親の敵を討とうてえ心が感心だから、愈々《いよ/\》てえ時にア頼まれやしねえが己《おれ》も助太刀に出て、その松五郎てえ奴の首でも捻ってやろうと思うんだ」
由「ヘエヽ昨日《きのう》野田の太田屋でソレ申し貴方、隣座敷に居たのは老爺《じい》さんと此の子でございますか、それを聞いて此の市四郎さんが御親切な親方ゆえ……首捻《くびねじ》りは恐入りましたが、お力がありますからね、そう云う奴の首は捻《ひね》っても宜《い》いんでげすからね」
幸「へえー成程妙な訳で」
市「私《わし》も是れから帰り掛けにちょっくら顔を出さねえばなんねえが、此の瑞穂野村《みずほのむら》てえ処に万福寺《まんぷくじ》と云うお寺があるんだ、其処にもと九段坂上に居た久留島修理《くるしましゅり》さまてえ方が田地を買って、有福《ゆうふく》に隠居をなすって在《い》らっしゃる。其処にね橋本さん貴方《あんた》が伊香保で世話アして上げたお藤さまが女隠居になって居るだ」
幸「へえー、そりゃア何うも思い掛けない事で……何んでげすか、一時は谷中の団子坂下に入らっしゃる事を聞きましたが、それじゃア此の頃では田舎へ引込《ひきこ》んで入らっしゃるのですか」
市「久留島さまと少々|御縁引《ごえんびき》であるから、己《おら》ア方《ほう》へ来るが宜《え》えと引取られてるんだそうだが、御亭主も妹も去年お死去《なくな》りなすって、久留島さまが引取って、小せえ家《うち》へ這入《へい》り、田地を買って楽にしてお在《いで》なさるが、私《わし》も久留島さまへ出入《では》いるから、彼《あ》れが御縁になって時々お藤さまを訪ねると、先方《むこう》さまでもやれこれ仰しゃって下さるから、私もハア時々機嫌聞きに往《い》くと、種々《いろ/\》結構な物を戴きやすが、其の度《たび》に伊香保で癪を起して種々お世話になったが、彼《あ》の橋本さんの御恩は忘れられねえって貴方《あんた》の事ばかり云ってますぜ……どうせ館林へ出て足利まで往《ゆ》くのなら、瑞穂野へは通り道で遠くもねえから、私と一緒においでなさらねえか」
六十四
由「へえー何うも是れは思い掛けない事で、矢張《やっぱり》これは御縁があるのでげす、彼《あ》の時から岡惚れをして居たので、いまだに忘れないで居て、貴方が会うとまた尚お惚れますぜ」
幸「止しねえな」
由「親方是非是れはお供を願いたいもので、此の旦那は大変な御親切な方で、彼《あ》の御新造がお癪を起した時などは大骨折りで、御介抱をなすって寝ずに撫《さす》って上げなすった位で」
幸「其様《そん》な事はありゃアしない」
由「なに……此の坊ちゃんの剣術習いや何《なん》かもありますから私共も共々に往って願いましょう」
幸「余計な事を云いなさんな……私《わたくし》も誠に久し振でお目に懸りとう存じますから、何うか御案内を願いたいもので」
市「えゝ参りましょうが今夜は最う遅いから明日《あす》の事に致しましょう」
と是れから酒を酌交《くみかわ》せ、橋本幸三郎が彼《か》の老人にも御馳走を致し、翌日|腕車《くるま》で瑞穂野村なる万福寺へ参って見ると、樹木繁茂致し、また一面に田畑も見晴しの好《よ》い処で、生垣にてちょっとした門形《もんがた》の処《とこ》を這入りまして、
市「はい御免なさい、御免なせえ、何んとか云ったっけお女中……」
女中「はい……おやおいでなさい……旦那、彼《あ》の筏乗の市さんと云う方が参りましたよ」
修「然《そ》うか……おゝ能く出て来たなア、堅いから時々訪ずれてくれて誠に忝《かたじ》けない……さア此方《こっち》へお出で」
市「これは殿さま、其の後《のち》は誠に御無沙汰を致しやした、ちょいと上らねえばなんねえが、遂々《つい/\》御無沙汰になりまして相済みません」
修「此の間は結構な茸をくれて大層旨かったが、今は初ものだのう」
市「然うかね」
修「今日は何処へ」
市「なに関宿まで参《めえ》りやして、野田へ廻ったり何かして、蒸汽で川俣まで[#「川俣まで」は底本では「川俟まで」]参りまして雨に降られやしたが、でけえ雷鳴《かみなり》で驚きやした、今朝は腕車《くるま》で此処まで参りました」
修「道理で大層早いと思った」
市「えゝ殿さま、今日|私《わし》イ貴方《あんた》に折入って願《ねげ》えがあって参《めえ
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