当然《あたりまえ》の事だ」
由「へえ……えゝ私《わたくし》は木挽町で」
老「木挽町……」
由「三十六番地で、へえ」
老「御姓名《おなまえ》は」
由「岡村由兵衞」
老「お神楽《かぐら》」
由「お神楽じゃアありません、幾らひょっとこ見たような顔でも……岡村由兵衞」
老「ウン……そこで村上松五郎と申すものゝ行方は慥《たしか》に知れませんか、更に心当りもございませんか」
由「へえ、それは素《もと》より知らん奴でございますから」
老「で、そのお瀧と申すものは慥に賊に斬殺《きりころ》され川の中へ陥《はま》りまして、いまだに死骸も知れませんか」
由「へえ死骸も知れないのでございます」
老「愈々《いよ/\》知れませんか」
由「へい知れませんのでございます」
と云切ると、襖の蔭で何者か知れませんがワーッと声を揚げて泣出しましたから、由兵衞は驚きましたの驚かないなんて顔色を変えて、
由「あゝー誰か泣きました」
というと、彼《か》の老人は静かに後《うしろ》を顧《みかえ》[#ルビの「みかえ」は底本では「みりかえ」]り、
老「泣くな/\泣いたって致し方がないから此処へ出ろ、泣いたって何うなるものか、見《みっ》ともない、声を出して泣くなんて男らしくもない、何んだ」
由「旦那、まだ誰か居るんで、此の人は年寄だから何んでげすけれども、若い人が出て来ると大きに怖いような訳ですが……誰《たれ》かいらっしゃいますので」
と云って居る処へ泣きながら出て参りましたのは、今年十三に成りまする布卷吉と云う小僧だから大きに安心を致しました。
由「子供なら安心を致しました……が何ういう訳でお泣きなすった」
老「はい……此者《これ》は私《わたくし》の秘蔵《ひそう》な孫でございますが、松五郎お瀧の行方を探して居《お》る身の上で、此者が両親と申すものは其のお瀧松五郎ゆえに非業な死を遂げましたのは、此者が七歳の折でございますが、何うかして両親の敵を討ちたいと子心にも心掛け、奉公中|暇《いとま》を取って立帰り、其の者を取押えて、手に合わんときにはお上のお手を借りても親の仇《あだ》を討ちたいと心掛けて居ります、処が敵と狙うお瀧めが今お話の通り死骸も知れんように成ったと承わり、残念に存じまして此者が泣きましたので」
由「へえー御両人は野田の太田屋で隣座敷に居たお方でございますね、此のお子のお父《とっ》さんお母《っか》さんまで非業に殺しましたと、へえー彼奴《あいつ》ア幾人《いくたり》人を殺したか知れねえ」
と話をして居ますと、唐突《だしぬけ》に隔ての襖をガラリ引開け這入って来たは大きな男で、
男「はい御免なせえ」
幸「はい」
と何者かと首を擡《あ》げて見ると、筏乗市四郎でございます。
六十三
幸三郎も由兵衞も驚きました。
市「えゝ老爺《おじい》さん、お前さんに又此処でお目に懸るてえのは誠に深《ふけ》え御縁かと思ってるのよ……貴方《あんた》は慥《たし》か四万の關善でお目に懸った橋本幸三郎さんてえお方でげしょう、裁判沙汰になって警察へも毎度出ましたが、毎《いつ》もまアお達者で」
幸「これは思い掛けない、親方で、由さんソレ筏乗の市四郎さんだよ」
由「これは何うも御機嫌宜しゅう……先刻《さっき》もちょいとお噂を致しましたが、是れは何うも……今度は首|捻《ねじ》りじゃアないのでしょう」
市「いや貴方《あんた》は由兵衞さんとか仰しゃったね……あの折は永《なげ》え間お目に懸り、また帰り際には飛んだ御馳走になりまして、何んとハアお手当をね沢山に遣ってくれろと云って下すったが、彼《あ》のお藤さまと云う御新造が堅い人だもんだから中々受けませんだったが、彼の後《のち》私《わし》も時々参りますがね、何時でもハア貴方のお噂ばかり致して居りやすだ」
幸「いや何うも誠に思い掛けない事で、そして親方は何方《どちら》へ」
市「なに関宿まで参りやしたが野田の祭を見ようと思って往《い》くと、此の老爺《じい》さんが此の子に意見しているのを私《わし》が隣座敷で聞くと、此の子が、田宮坊太郎の講釈を聞いてから急に敵が討ちたくなったから、お祖父《じい》さん暇《ひま》を取っておくんなせえと云うと、此の老爺《じい》さんが今の世の中には敵討は無《ね》え事だ、其様《そん》な事をすると汝《われ》が御処刑《おしおき》を受ける、駄目だから止せてえと、御処刑を受けても殺されても、己《おら》ア死んだ両親の恨みを晴らさねえば子の道が済まぬと云うのを聞いて、私は隣座敷で胸が一杯になって涙を飜《こぼ》しながら聞いて居やした、それから汽船へ乗ると船で会い、また此処で一緒に成るとは何とまア深《ふけ》え御縁かと思ってるだ、併《しか》し其の相手の村上松五郎てえ奴は、旧《もと》ア侍《さむれえ》だと聞いてるから、此様《こん》な小せえ子に敵の討
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