ちま》ちに走って参りました。其の頃には通運丸《つううんまる》と永島丸《ながしままる》とありまして、永島の方は競争して大勉強でございます。
幸「さア/\お前先へ這入んなよ」
由「宜うございますから、荷物は後からとして……上等の方は何方《どっち》だえ、なに此方《こっち》だ、大変だなア……これは危い、ちょいと貴方此の鞄を持ってゝ頂戴……両手でなければ迚《とて》もいけません、ズブ/\と這入っちゃア大変でげすからナ…へえ御免なさい/\……これは/\何うも旦那|御覧《ごろう》じろ、恰《まる》で鮪を転がしたように皆《みん》なゴロ/\寝ていますが、上等の方でさえ是れでげすもの、下等の方はゴタゴタして大変なもんですぜ……此の通り実はすいて居るのだが皆な寝ているので幅を取っちまいますが、仕方もありません、併《しか》しね旦那、此処に包や何か整然《ちゃあん》と掛ける処が出来てるのは流石《さすが》に手当が届いて居ますね……蝙蝠傘などを窃取《どろぼう》されるといかねえから此処へ斯う纒《まと》めて置いて……貴方最う少し其方《そっち》へお寄んなさいな、此処を広くしていましょう……貴方|寝耋《ねぼ》けて居ますか、アハヽヽヽ野田に遊んでたので何んだか百姓ばかり乗ってるような心持が致しますね……おいボーイさん、火を持って来ておくれな……なにマチが這入って居ると、マチはあっても宜《い》いから火を一つ持ってお出《いで》な……淋《さみ》しくっていけねえから……なに夜は火はない、虚言《うそ》ばかり吐いて居る、面倒だもんだから彼様《あん》な事を云ってる」
とマチで火を擦付《すりつ》け、煙草に移し一口吸い、
由「フー……これで何んでげすね、今夜一晩船の中では何うで寝られませんな、東京《とうけい》からスイと来て上州の川俣村まで[#「川俣村まで」は底本では「川俟村まで」]往《い》くにゃア随分退屈は退屈でげすな……おッ是は大変に蚊が居ますね、傍《そば》から/\這入って来ます事、是は恐入りましたなア……永島さん早く船を出す訳には参りませんか」
水夫「荷が悉皆《みんな》這入らねえじゃア出しません」
由「荷てえば大層|転《ころが》ってますね」
と見ますると、傍に居ましたのは年の頃二十七八にも成りましょうか、大丸髷の婦人で、色の黒い処へベルモットでも飲んだような顔付で、鼻が忌《いや》アに段鼻になって、眼の小さな口の大きい方《ほう》で、服装《なり》は木綿縮《もめんちゞみ》の浅黄地に能模様丸紋手《のうもようまるもんて》の単物《ひとえもの》に唐繻子《とうじゅす》の帯を〆《し》め、丸髷には浅黄鹿《あさぎが》の子《こ》の手柄を掛けて居ます、朱縮緬の帯止をこて/\巻付けて、仕入物の蒔絵《まきえ》の櫛に鍍金足《めっきあし》に土佐玉の簪《かんざし》で、何処ともなく厭味の女が、慣れ/\しく、
女「貴方|此方《こちら》へ入らっしゃいまし、御緩《ごゆる》りお坐りなさい」
由「へえ有難うございます、誠にお邪魔さまで」
女「お婆さん其の包みを脊負《しょ》っておいでよ…貴方方は東京《とうけい》でいらっしゃいますか」
由「えゝ東京で」
女「東京のお方と聞くとお懐かしゅうございますこと」
由「貴方も東京でございますか」
女「はい私《わたくし》は足利の方の親類共に厄介に成って居りまして、時々博覧会や何か有りますと東京へ参りますが、上野はまた別でございますね」
由「へえ左様です」
女「今度の博覧会は立派な事でございますね」
由「えゝ盛大な事でございます」
女「大して人が出ますね」
由「えゝ出品|物《もの》も余程多い事でございます」
五十九
女「私もそれから彼方此方《あっちこっち》と見物も致しましたが、私は此の様に肥《ふと》ってますもんですから、股が縮《すく》むようで何だかがっかり致しますので、それから何でございますね、弁天から上野の辺が誠に綺麗に成りましたこと、それに松源《まつげん》鳥八十《とりやそ》などと云う料理茶屋も立派に普請が出来ましたね」
由「えゝ大層……立派に普請が出来ました」
女「それに花火の仕掛ものなどは昔とは全然《すっかり》違ってしまいました」
由「えゝ大した勉強な事で」
女「是までの東京《とうけい》の玉屋鍵屋などで拵える仕掛とは違いまして、ポッポと赤い火や青い火が燃えまして誠に不思議で、あの水の中をチュ/\/\と走って歩くのは彼《あれ》ア何てえのでございましょう」
由「へえ何てえますか私は知りません」
女「貴方は新富町《しんとみちょう》へいらっしゃいましたか」
由「えゝ参りました」
女「大層|巧《よ》く演《いた》しますね、今度の狂言は中々大入で、私が参りましたら一杯で、尤も土曜日でございましたが、ぎっしりでございましたよ」
由「へえ、土曜日曜は大入で」
女「團十郎《なりたや》は何うも
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