しました。
主人「当今は復讐などは決して無い事じゃから、そんな事は思い止《と》まったら宜かろう、それより相変らず当家に奉公して居《お》れば私《わし》も彼《あれ》の温順《おとな》しい事も看抜《みぬ》いて居《い》るから、後々には私も力になってやろう、年を老《と》ったお祖父《じい》さんが先に立って仇討などという事を勧めちゃアいかん、それは時節が違うから、まア私の云う事を肯《き》いて思い止《とゞ》まんなさい」
 と種々《さま/″\》に意見を加えましたが、一方《かた/\》が頑固な老爺《じい》さんで肯きませんから、そんならば暇をやろうと万事|行届《ゆきとゞ》いた茂木佐平治さんだから多分の手当を致《し》てくれ、今上川岸《いまかみがし》の舛《ます》田と申す出船宿から乗船切符まで買うて与えました。是から出船宿へ参るには、太田屋と申します宿屋の向横町《むこうよこちょう》を真直《まっすぐ》に這入りますと、突当りに香取《かとり》神社の鳥居がありまして、傍《わき》に青面金剛《せいめんこんごう》と彫付《ほりつ》けた巨《おお》きな石塚が建って居ります。鳥居から右へ曲ると高梨の家《うち》で、左右森のように成って居り、二行の敷石がございまして、是からずいと突当ると小高い堤《どて》が有ります。其処《それ》を上《あが》ってだら/\と下《おり》ると川岸でございます。此処に出船茶屋があります。升田仁右衞門《ますだにえもん》と申しては彼《あ》の辺きっての好《よ》い出船宿でございます。船へ乗りますお客は皆早く此家《こゝ》へ参りまして待受けて居ります。切符を買ったり弁当拵えの支度をするとか、或《あるい》は菓子を買って入れるなど多勢《おおぜい》がごた/″\して居ります中に、前申上げました橋本幸三郎、岡村由兵衞の二人が野田から参りまして、先刻《さっき》から出船を待って居ります。
由「旦那、只何うも私《わっし》が今日驚きましたのは、彼《あ》のツク乗りで、何うも倒《さか》さまに紐へ吊下《ぶらさが》って重次郎さんが下《さが》って参ります処には驚きました」
幸「彼《あれ》はまア珍らしいなア」
由「珍らしいなんて実に見る事は出来ませんよ、灯台|下《もと》暗しで、東京の近処《ちかま》で彼様《あん》な変ったお祭の有る事を是まで些《ちっ》とも知らずに居りましたが、実に何うも不思議、へゝゝゝ彼《あ》のテレツク/\なんぞは悉皆《すっかり》覚えましたが、重次郎さんの扮装《なり》てえのは恰《まる》で角兵衛獅子でございますね、白の着物に赤い袴で萌黄色《もえぎいろ》のきれの附いている物を頭部《あたま》に冠《かぶ》って、あれで獅子が附いてれば角兵衛獅子だが、彼《あれ》は蛙だから重次郎蛙です、只々重次郎さんの出て来る処が不思議でげすが、彼様《あん》な事は開化の今日《こんにち》は種切れに成りそうなもんだが、代々重次郎さんてえものが出るのが訝《おか》しいね、彼《あれ》で乗り損《そこな》って死んじまうと、ツクの下へ死骸を埋《うめ》るのが法だと云いますが妙でげすねえ」
幸「おい/\汽笛が聞えるようだぜ、汽船《ふね》が来たんじゃアないか」
由「然《そ》うでげすな……おッ旦那月が登《あが》って来ました、好《よ》うがすなア、月の光で川の様子を見ながら参りますと退屈|凌《しの》ぎになりますよ……あ来ました/\お前さん此の鞄を持ってゝ下さい」
下女「笛が聞えたって彼《あれ》でまアだ半道程も先だアから、緩《ゆっ》くり支度をしておいでなせえましよ」
由「でも、ピイー/\と川へ響けて大層聞えますね……何だか私《わっし》ア気が急《せ》きますから、旦那|徐々《そろ/\》支度をなさいな…大きに姉さんお世話さま、お茶代は此処へ置きましたよ」
下女「これは有難うございます、まア御緩《ごゆっ》くりおいでなせえましよ、滅多に汽船《ふね》は来ませんから」
由「来《き》なくっても先へ出て居た方が宜しい、へゝゝゝゝ呑気でございますね」
幸「田舎は是だけが宜《い》いのう」

        五十八

由「姉さん桟橋が何処にかありませんかい」
下女「はい、今度出来るてえ事ですが、まだ無《ね》えだから、堤《どて》の草へ掴《つか》まって下りるだアね」
由「草へ掴まって…危《あぶね》えなア、早く桟橋を拵《こせ》えたら宜さそうなものだ……辷《すべ》りゃアしないかい」
下女「大丈夫でござえますよ、慣れてるものは船へ飛込むだが、岸の方は水が来ねえから泥が深くなってますよ」
由「深い……困ったねえ、ずぶりと這入っちゃア大変でげすから、船が来たら板か何か向《むこう》へ渡して貰いましょう」
下女「慣れた人は皆|跨《また》いで船へ打飛《ぶっと》んで這入りますよ」
由「此方《こっち》は慣れねえから打飛べねえよ」
 と云って居る中《うち》にシャ/\/\/\と汽船《きせん》が忽《た
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