中《うち》は親の事を忘れなければならんものじゃ、それが忠義と云うもの、お祖父さんの顔を見ると其様《そん》な事を云う、これから其様な事を云うとお祖父さんは最う決して構いませんよ、私《わし》も何うかしてお前の多足《たそく》に成るようにと思って、年寄骨《としよりぼね》に機《はた》の仕分を為《し》ているのに、其様な弱い音《ね》を吐くと肯《き》かんぞ、お祖父さんは再び此処へ来んぞ」
布「はい……お祖父さん昨夜《ゆうべ》お祭礼《まつり》で講釈師の桃林《とうりん》の弟子の桃柳《とうりゅう》と云うのが来ましたが、始めて此処へ来たもんだから座敷を為《し》てやろうと旦那さまがお口をお利きなすったもんですから、聴衆《きゝて》が多勢《おおぜい》出来ましたので、お店の方も皆な寄って講釈を聞きました」
佐「ウンそれは有難い事で、足利の江川村などに居ちゃア講釈でも義太夫でも芝居でも見聞《みきゝ》をする事は出来やアしない」
布「その桃柳てえ講釈師が金比羅御利生記《こんぴらごりしょうき》の読続きで、田宮坊太郎《たみやぼうたろう》[#ルビの「たみや」は底本では「なみや」]」が子供ながら親の仇《あだ》を討ちました所の講釈でございましたが、彼《あれ》を聞きましてお祖父さん私は親の仇が討ちたく成りました」
佐「え、なに親の仇が」
布「へえ私《わたし》も茂之助の忰であります、母と妹《いもと》は村上松五郎とお瀧の為に彼様《あん》な非業の死様《しによう》を致しましたのは、親父が間違えて母親《おふくろ》を殺したんでございますが、実に驚きまして途方に暮れ、彼《あ》の様に親父は首を縊《くゝ》って死にますような事になりましたのも、皆《みん》なお祖父さん村上松五郎お瀧から起った事でございます、私《わたくし》も子供心に二人の顔を覚えて居ますから、彼奴等《あいつら》二人を殺さんでは私《わたし》が親に対して済みませんから、何卒《どうぞ》お暇を戴いて下さいまし」
佐「あゝ……、然《そ》うか、手前《てめえ》年も往《い》かねえで能く親の仇《あだ》を討とうてえ心になってくれた、おくのや茂之助が草葉の蔭で此の事を聞いたら嘸《さぞ》悦ぶであろう……じゃが今の世の中では仇討《あだうち》と云うことは出来ないが、彼奴等は天罰でいまにお上の手に懸って、その悪を為《し》ただけの処分は屹度受けようから諦めてくれ、よ、其様《そん》な事を云ってくれると私《わし》が困るから」
布「いえ、お祖父さん何卒《どうぞ》お暇を戴いて下さい、私は最う一日も居《お》られません、若《も》しお祖父さんが私を置いて往《ゆ》けば、明日《あした》にも彼家《あすこ》を駈出します」
佐「どうでも手前《てめえ》討つと決心したか、併《しか》し人を殺せば手前の身にもそれ丈《だけ》の処分が附くぞ」
布「いえ私は死んでも宜しゅうございます、彼奴等二人を仮令《たとえ》私が手をおろして討ちませんでも、捕《つかま》えてお上の手を借りましても思う存分に為《し》ませんでは腹が癒えませんから」
佐「ウム…宜し、お暇を願って遣ろう……あゝー能く仇を討つと云った」
 としめやかに話を為《し》て居るを隣座敷で聞きまして、岡村由兵衞が、
由「旦那え/\」
幸「何だ」
由「仇を討つてえますが何でしょう」
幸「講釈だろう」
由「ナアニ少《ちい》さい子が仇を討つてえと、何だか傍に居る老爺《じい》さんが能く討つと云ったてえましたぜ」
幸「ムヽもう討ったのか」
由「なに討ったとか討つとか云ってますが、此処でチョン/\始まっては大変で」
幸「まさか始まりゃアしめえ」
由「何でげしょう」
 と岡村由兵衞が怖々廊下へ立出で、そっと障子の破れから覗くと、六十有余歳の老人と十二三に成る小僧と二人にてのひそ/\話、幸三郎も覗き見て、
幸「はて変だな」
 と怪しみました。さて是から奧木佐十郎が茂木佐平次方へ参って、布卷吉の暇《いとま》を貰って、川蒸汽に乗りまして足利へ帰るのでございますが、此の汽船《ふね》へ再び橋本幸三郎が乗合せるのも妙な訳で、上州の川俣《かわまた》村と[#「川俣《かわまた》村と」は底本では「川俟《かわまた》村と」]云う処で筏乗の市四郎に会いますと云う、是れから敵《かたき》の手掛りが分ります。

        五十七

 野田の祗園祭でございまして、亀甲万の家《うち》へ奉公を致して居りまする布卷吉と云うは、今年十二歳ではありますが、至って温和《おとな》しい実体《じってい》ものでございます。祖父《そふ》奧木佐十郎が顔を出しに参りましたのを見ると、親の敵《かたき》が討ちたいからお暇《ひま》を戴いてくれと云うので、祖父《じい》が亀甲万の主人に面会致し、只管《ひたすら》暇をくれるようにと頼み、幾ら止めても肯《き》きません。亀甲万の御主人も親切なお方でございますから、懇々《こん/\》説諭を致
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