》のお藤を助けまして、水を飲ませ脊《せな》を撫《さす》り、
市「何か薬でもあるか」
 と聞きましたが、お藤は更に物も云えません様子だから流れの水を飲ませ、脊中を撫り、種々《いろ/\》介抱致して居る中《うち》に漸く生気《しょうき》に成って、
藤「実はこれ/\の悪党の為に騙《だま》されて此様《こん》な難に遭いましたが、従者《とも》の下婢《おんな》岩と申すのは、何う致しましたか、何卒《どうぞ》お探《たず》ねなすって下さいまし」
市「ムヽーそれは飛んだ事だった、私《わし》が往って探して上げやんしょう」
 と素より侠気《おとこだて》の人ゆえ、御案内の通り恐ろしい谷間の急な坂を登って参り、庚申塚の[#「庚申塚の」は底本では「庚辛塚の」]在《あ》ります折田の根方へ来て見ますると、血が少し流れて居るのみで、供の女中岩と申すものゝ死骸が見えません。櫛や笄は折れて其処《そこ》に落散《おちち》って居ながら死骸が分りません。すると其処《こゝ》[#「其処《こゝ》」はママ]に野口權平《のぐちごんぺい》と云う百姓がございます、崖の方へ引付《ひッつ》いてある家《うち》で、六十九番地で、市四郎は予《かね》て知合《しりあい》の者ゆえ其家《そこ》を起して湯を貰い、
市「何か薬はあるか」
權「だらにすけ[#「だらにすけ」に傍点]ならある」
 といったが埓《らち》が明きません。
市「まアお女中御心配なさるな」
 と是から直《すぐ》にお藤を連れまして、市城村の我が宅へ帰って来まして、深くお藤の身の上を聞きました。

        四十六

 此方《こちら》は左様《そん》な事は知りませんから、明日《あした》は来るに違いないと待《まち》に待って居りました、橋本幸三郎、岡村由兵衞の二人は、鈴木屋の下婢《おんな》は瀧川左京と云う以前は立派なお旗下のお嬢さんと知りませんでしたから、
幸「あゝ何も彼《あれ》に酌をさせて、お前《めえ》姐《ねえ》さんと云ったぜ」
由「旦那本当にお気の毒じゃア有りませんか、あなた五十両で彼《あ》の女《こ》を身請して東京へ連れて往《い》けば、お母《っか》さんが嘸《さぞ》お悦びなさいましょう、さっそく貴方の御新造にお取持を致しましょう」
幸「然《そ》うお太皷口をきかれちゃア困る」
 と幸三郎は飲めない酒を飲んでグッスリ寝付きますと、温泉場も一時(午前)から三時までの間は一際|※[#「門<眞」、第3水準1−93−54]《しん》と致します。往来《ゆきゝ》は素《もと》よりなし、山国の事でございますから木に当る風音《かざおと》と谷川の水音《みずおと》ばかりドウードッという。折々|聞《きこ》ゆるは河鹿《かじか》の啼声《なきごえ》ばかり、只今では道路《みち》がこう西の山根から致しまして、下路《したみち》の方の川岸《かし》へ附きましたから五六町で往《い》かれますが、私《わたくし》が十ヶ年前に参りました時には上路《うわみち》へ参りましたから八丁|余《よ》もありまして、足場が余程悪く、上路へ参りますとなだれに橋が架って居りまして、是から彼《か》の關善と云う大屋の家《うち》へ参ります。橋を渡らずに左に附いて谷川をザブ/″\膝越で渡って参る曲者《くせもの》一|人《にん》、山路染《やまみちぞめ》の手拭に顔を深く包み、身軽に尻からげを為《し》まして四辺《あたり》へ眼を付けて居りますと、灯火《あかり》もほんのりと薄暗く障子に写ります、橋の傍《そば》に点《つ》いてありますランプ灯も消えかゝりましたを幸いと、何時か忍入りたる悪者は、四五間の川を渡って石垣に取附き、そろ/\關善の玄関の角《すみ》の座敷へ這上りました。只今でも開けん処へ参りますと、温泉場などでは余り戸締りを致しません、私《わたくし》が参りました時分には頓と締りが有りませんから、自由にそっと障子を開けて、濡れた足で窓から忍び込み、長《なが》四畳の入側《いりかわ》の処へ踏込みまして、二重に締って居りました唐紙を細目に開けて、覗いて見ますと、行灯《あんどう》の火光《あかり》がぼんやり点いて居ります。幸三郎も由兵衞もグー/″\と云う鼾の声、そっと襖を開けて枕元へ忍び込み、布団の間に挟んで有ります金側《きんかわ》の時計に珊瑚珠の大きな玉の附いたポン筒の腰差の煙草入を盗んで自分の腰へ差し、時計を懐へ納《い》れ、まだ何か有るかと探したが、大概の物は皆《みんな》鞄へ納れて此の旅亭《やどや》へ預けて置きましたから何も有りません、岡村由兵衞の枕元へ参って見ると煙草入が一個《ひとつ》有りました、これをも盗んで我《わが》腰へ差そうとする途端に、
「ウーン」
 と由兵衞が寝返りをする様子に驚き身を引いて、入側《いりがわ》の方へ出に掛ると、玄関口から這入って来ましたのは前《ぜん》申し上げました瀧川左京の娘おりゅうにて、私の身体を身請してくれると云う旦那
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