やかた》が左様《そう》申しました、今日《こんにち》お着《つき》の事でございますから、折角世帯を持って是彼《これあれ》とお取り遊ばしても、もう好いお肴もございませんから、今晩だけはこれで御辛抱なすって、明日《みょうにち》は又宜しいお肴をお取り遊ばして」
由「宜しい」

        三十八

由「あなた湯へ這入っても一度《いちどき》に這入っちゃアいけません、私が伊香保で何度も這入って逆上《のぼ》せてね困りました、初めは面白いから日に七度も這入って鼻血が出ました」
幸「左様《そん》なに這入るから悪いや……お平椀《ひら》に奇妙な物が這入ってるぜ」
由「へえ、お平椀の下に青物が這入って麩《ふ》が切ってある、これは分った蕨《わらび》だ、鳥肉《とり》が這入って居る……お汁に丸まッちい茄子のお汁《つけ》は変だ……これは何んで」
幸「なにを」
由「皿に切ってありますが、これは東京で云えば鯛の浜焼が付くとか何とか云うので、何もなければ玉子焼だ、何だろうか、薄く切ったものが並んであるが、東京の者と見て気取りやがったんだ、何だかこれを一つ食《や》って見よう……婆さん灯火《あかり》を早く此処へ持って来て……何だ奈良漬の香物《こうこ》か、これは妙だ、奈良漬の焼魚代《やきものがわ》りは不思議、ずーッと並べたのは好《い》いな」
幸「此処は大層《てえそう》香の物を貴《たっと》むてえから、奈良漬を出すのは東京の者へ対しての天狗なんだよ」
由「何だか御法事の気味がありますからね、奈良漬にお汁《つけ》の油揚《あぶらげ》は恐れ入った」
女「えゝ鈴木屋で」
由「また来た、何んだ」
女「えゝ枕を持って来やした、何卒《どうぞ》お買いなすって」
由「枕をどうする」
女「枕、貴方方《あなたがた》がなさる枕」
由「此の宿屋では枕がないのかえ、新しい枕を買うのかえ」
女「へえ」
由「幾らだね」
女「左様です、二ツで十四|銭《せね》に致しやす」
由「高いねえ、此の枕は一寸《ちょっと》縁日で買うと安いが、これは小枕が小さくッて、これじゃア出来やしねえが、何うしてもこれは買わなければならねえのかえ」
女「十四|銭《せね》は高《たか》かアござえやせん」
由「この小枕は高天原《たかまがはら》に紙が一枚は酷《ひど》いねえ、これは酷いが、まアいゝ、これを買っても宿屋で夜具を出すから枕も付きそうなものだ」
女「えゝ宿屋のは古うございますから、若《も》し又お帰りの時お邪魔なら私が方へ引《ひけ》を立って取りますから」
由「幾らに取るえ」
女「左様《そう》でがんす、一つまア七厘|宛《ずつ》に取りやす」
由「じゃアまア買って置きますよ……七厘ばかり取ってお前の方へ売っても詰らねえから……申し旦那、これを買って東京へ土産に持って帰って、是は四万の名物|首痛枕《くびいたまくら》とか何とか云って提げて行《ゆ》くのは洒落です」
 とこれから酒を飲み御膳を食べにかゝる。其のうち又由兵衞がおしゃべりをして居ると、しとやかに障子を明けて、
女「御免なさい、私は鈴木屋でございます」
由「鈴木屋さんか、先刻《さっき》から」
 と見ると前の女とは大違い、年の頃は廿一二でございましょう、色のくっきりと白い、品の好《い》い愛敬のあります、何うして此様《こん》な山の中に斯ういう美人が住《すま》うかと思うくらいで、左様《そん》な処へ参ると又尚更目に付きますから二人とも見惚《みと》れて居ります。
女「お通《かよい》をこれへ置きますから、若しも御用がございますなら仰しゃり付けて下さいまし、度々《たび/\》出ますでございますから」
由「へえ宜しゅうございます、是非戴きます、貴方のなら何でも戴きます、何がございます」
女「はい、鳥と鰌鍋ができますので」
由「それもよし」
女「玉子焼」
由「それもよし」
女「鯉こくもございます」
由「それも」
幸「其様《そんな》に誂えてどうする」
由「まア誂えやアしませんがねえ……何か外に肴が出来ますか」
女「アノ鰥《やまめ》が出来ます」
由「寡婦《やもめ》、それは有難い、やもめ[#「やもめ」に傍点]の好《よ》いのはないかと心掛けて居《い》るので」
幸「お前の隣のは寡婦じゃアねえか」
由「ありゃア西洋洗濯を此の頃覚えた六十八歳という寡婦の大博士、毛が生えて天上する、ありゃアいけません……」
幸「じゃアお前さん後《あと》でその鰥を持って来ておくれ」
女「へえ誠に有難うございます……」
 と云いながら静かに障子をしめて出て往《ゆ》く。
由「旦那何でしょう、どうもお辞儀の丁寧だってえないねえ、様子がずっとどうも、あのお辞儀の仕方は此方《こっち》が自然《ひとりで》に頭が下《さが》るくらいで、丁寧で、何でしょう」
幸「何だか知れねえが只者じゃアねえ」
由「山の中へ逃げて来たのでげしょう」
幸「何か仔細がある事だろう
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