此の座敷《つぼ》へ世帯を…成程|疾《と》うから持ちたいと思ったが、今迄|店請《たなうけ》が無いから食客《いそうろう》でいたが、是から持ちますからお前店請になっておくんなせえ」
番「御冗談ばっかり、宜しゅうございます」
幸「何卒《どうぞ》お頼み申します、賄いの婆さんも頼みますよ、給金なぞはようがすか」
由「此様《こん》な処へ来て洒落なぞを云っても通じませんので、むだです」
幸「少し口を休めな」
由「只もう私は好い心持で……旦那湯へ一杯這入って」
幸「己は少し駕籠で腰が痛《いて》えからまア先へ這入んねえ」
由「左様ですか、此の温泉はどうしたッてそばからぶく/\出る湯ですから、私が先へ這入ったって汚れるというわけではなし、他《た》の者も這入るのですから」
 と喋りながら由兵衞は湯へ這入りに往《ゆ》きました。

        三十七

 岡村由兵衞は湯に這入って来まして
由「どうも宜いお湯で、どうもあり難い/\、だがねえ少し熱うございます、此処の湯は大変《ていへん》熱い様で、一|棟《むね》の中へ湯櫃《ゆびつ》が幾つもあるので、向うへまた下駄を穿《は》いて往《ゆ》くと、着物を入れる棚があって、それからはしごを三段ばかり下りて這入るのです、心配なし、気が詰らず、残らず東京の人なし、皆田舎の人ばかりで髷があります、男ばかり、女は子供を抱いて這入って居りますが、芝居の話などはございません、只畑の話で、お前さんの処《とこ》の胡摩は何時蒔きましたか、私《わし》の処《とこ》では茄子《なす》を何時作った、今年は出来が悪いとか菜漬《なづけ》がどうだとかいう話ばかりして居るので面白いわけで東京の人は居ないから話はない、隅の方へ往って湯のはねない処《ところ》へ這入って、小さくなって洗うのです」
幸「是は恐れ入ったねえ」
由「だが好《よ》い湯で、塩気があって透通《すきとお》るようで、極《ごく》綺麗です、玉子をゆでて居る奴があるので、手拭に包んで玉子を湯に浸《つ》けて置くと、心《しん》が温まるという、どういう訳かと皆《みんな》に聞くと、黄身《きみ》から先にゆだって白身が後《あと》からゆだるという、嘘だろうというと本当だと番頭も云ったが、白身はなんともない、きみが温まるので、上の方が温《あった》まらねえで、心がちゃんと臍《へそ》の下が温《あった》まるので、心臓肺臓などが温《あたゝ》まるので、こんな嬉しいことはありません、時にお茶代の礼に来ましたか」
幸「未だ来ない」
由「へえ腰が温《あった》まり草臥《くたぶれ》が脱《ぬ》けます、這入ってお出でなさい」
幸「初めてで勝手が知れぬから、代りばんこに気を付けて、湯場《ゆば》は危険《けんのん》だから」
由「そう湯場働《ゆばばたらき》というのがあります、湯場を働くに姿を変えてというのは河竹《かわたけ》さんに聞いた訳ではありませんが、芝居の台詞《せりふ》にもありますから気を付けて、何かゞ面白いからうっかり致します……」
婆「こゝな処に世帯《しょたい》をお持ちなせえやんすか」
幸「恟《びっく》りした、何んだえ」
婆「こゝな所《とけ》え炭斗《すみとり》を置きやすが、あんた方又|洗物《あらいもん》でもあれば洗って参《めえ》りやすから、浴衣でも汚れて居《お》れば己が洗濯をします」
幸「お前何だえ」
婆「賄いの婆《ばゞア》で、あんた方のお世話アするからお頼み申しやんす」
幸「頼みやんすは面白い、勝手を知りませんから万事お前に委《まか》せるからよ、お前|何歳《いくつ》だえ」
婆「私《わし》は六十一になりやんす」
由「フウ田舎の人は丈夫だから此の年で働けるのです、これから見ると富藏《とみぞう》の婆《ばア》さんなぞは五十八で身体が利かねえって、ヨボ/\して時々|漏《もら》しますから、彼《あ》の人の事を思えば達者だ……是は汚いが茶碗は清潔《きれい》なのと取換えておくれよ、汚い物は見ぬ方が宜うございます、見ぬ事清してえから……お湯へ這入《へえ》ってお出でなさい」
幸「忙《せわ》しいね、お前茶を入れる様にしておくれよ……」
由「婆さん湯沸《ゆわかし》を借りて」
婆「なに」
由「湯沸」
婆「ええ」
由「ゆわかしだよ、分らねえなア、鉄瓶でも薬鑵《やかん》でも宜《よ》いから小さいのを借りて、急須へお湯をさす様に、宜いかえ分ったかえ、どうも……一寸《ちょっと》も通じねえのは酷《ひど》いな……それから菓子を入れる皿でも蓋が出来るような蓋物《ふたもの》を持って来て、宜いかえ、菓子器をお願いだから……宜しく万事此処へこう置いて……お茶は鞄の中《うち》にあります、茶が変るといきませんから………ハッ/\/\面白いどうも……もう御膳《ごぜん》が来るよ、早いねえ、もうそろ/\灯火《あかり》が点《つ》く、早いものです、膳が来ました……旦那に何か」
番頭「これは主人《お
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