ろ此の山の中に居て冷飯《ひやめし》を喫《く》って、中の条のお祭に滝縞の単物《ひとえもの》に、唐天鵞絨《とうびろうど》の半襟に、袂《たもと》に仕付《しつけ》の掛った着物で、縮緬呉絽《ちりめんごろ》の赤褌《あかゆまき》で伊香保の今坂見たように白く粉《こ》のふいた顔で、ポン/\跣足《はだし》で歩いて居てはいけませんが、洗い上げるとよっぽど好い」
幸「悪口《わるくち》をきゝなさんな」
由「そうですが、妙なもので、山の中にも斯ういう別嬪があるのでございますからねえ」
馬「へえ、身支度が出来ました」
由「おゝ来た/\、馬方さんいゝかえ」
馬「さア乗《のっ》かってくんなせえ、山道だから荷鞍へ確《しっ》かりとつらまって、えゝかえ」
 と是れからまた馬《むま》に乗り、駕籠を先に立たせ馬も続き、關善平《せきぜんぺい》方へ着きました。

        三十六

 幸三郎と由兵衞が關善の玄関に着くと、皆迎いに出ます。昨年|私《わたくし》が堀越團洲子《ほりこしだんしゅうし》とともに或る御大臣様お供で關善へ参りましたが、只今では三階造りの結構な新築でございますが、その以前は帳場より西の方が玄関でございまして、此処に確か十畳の座敷、入側《いりがわ》付きで折曲《おりまが》って十二畳敷であります、肱掛窓《ひじかけまど》で谷川が見下《みおろ》せる様になって、山を前にして好《よ》い景色でございます。二階家で幾間も座敷《つぼ》がございます。其処へ着きますと直ぐ湯を汲んで来たから、足を洗って上り、
幸「あゝ好い心持だ、おい由兵衞さん、何か忘れ物のないように」
由「万事心得ました」
幸「若い衆《しゅ》、湯にも這入るだろうが、緩《ゆっ》くり今夜泊って、旨い物でも食わせるから彼方《あっち》の座敷《つぼ》に居ねえ」
由「よし/\心得ました、葡萄酒の瓶が毀《こわ》れるかと心配した、斯ういう処《とこ》へ来ては何もないからねえ……」
甲女「へえ叶屋《かのうや》でございます、なんぞ御入用なら通《かよい》を置いて往《ゆ》きますから」
由「なにを」
甲女「叶屋で鰌《どじょう》玉子|軍※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《しゃも》も出来ます、醤油味淋もございます」
由「そりゃア何か」
甲女「叶屋でございます」
乙女「へえ鈴木屋《すゞきや》でございます、何んぞ御用はございませんか、これへお通《かよい》を上げて置きますから、どうかお取付けになります様、誠に有難いことで、えゝ鈴木屋でございます」
由「今這入ったばかりで、まア仕様がない」
甲女「叶屋でございます」
幸「そう大勢|幾人《いくたり》も来たって仕様がない、困りますねえ」
甲女「叶屋で」
由「叶屋でも稻本《いなもと》でも角海老《かどえび》でも今日《こんにち》が初会《しょかい》だ、これから馴染が付いてから本価《ほんね》を吐《は》くから、まだ飯も食わねえ、湯へも這入らねえうち種々《いろ/\》の物を売りに来るのは困るねえ」
幸「私《わし》は話に聞いて居るが、料理屋のようなものがあるので、取付けにして貰おうというのだろうよ」
由「もし、また豆腐入の玉子焼なぞが出来るので……どうも旦那お茶代を其様《そんな》に遣らねえでもようございます、此処ですから」
幸「それでも出したものだから……おい姉《ねえ》さん」
女「ヒエー」
由「可笑しな返辞だねえ、面白い…もし旦那でも番頭さんでも呼んでおくれ、用があるから一寸《ちょっと》」
女「ヒエー」
由「早くして」
 という、やがて番頭がそれへ参りまして、
番「ヒエー」
幸「お前さん御亭主かえ」
番「手前は当家の番頭でござりやす」
幸「はア番頭さんか、当家は何というえ」
番「關善平と申しやす」
由「番頭さんの名は」
番頭「ヒエー與兵衞《よへえ》と申しやす」
由「成程關善の家に與兵衞ありというのは面白い」
番「左様でございます、皆様がそう仰しゃるので、旧来居りやすから」
由「ハヽヽ……これはいけません、洒落を云っても通じませぬ、皆様がそう仰しゃるなぞはこれは妙だ……これはお茶代で、これは雇人中《やといにんじゅう》へ」
番「えゝ有難うございます、主人《あるじ》が直ぐお礼に出まするで、有難いことで、ヒエ」
幸「何しろお前さん初めて来たので馴れませぬから、また後《あと》から連《つれ》も来るから宜しく頼みます」
番「ヒエ、明日《あす》から世帯《しょたい》をお持ちなさるのでございますか」
由「何処へ世帯を」
番「えゝ一週間《ひとまわり》なり二週間《ふたまわり》なりお席をおきまして、お座敷《つぼ》の内へ竈《へッつい》でも炭斗《すみとり》火鉢すべて取寄せまして、三週間《みまわり》もお在《いで》になれば、また賄《まかな》いの婆《ばゝあ》も置きまして、世帯をお持ちなさいますなら、炭|薪《たきゞ》米なぞも運びますから」
由「ハヽア
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