誂《あつら》えて置いたから山駕籠が一挺来ましたから、是へ幸三郎が乗り、衣類の這入った大きな鞄が駕籠の上に付き、手提《てさげ》が前に付きまして、其の他《た》葡萄酒の壜《びん》が這入り、又東京から持って参った風月堂《ふうげつどう》の菓子なども這入り、すっぱり支度をして四万の温泉場へ参る事になりました。岡村由兵衞は昔風でございますから、一寸《ちょっと》致したくすんだ縞の浴衣に、小紋のこっくりと致した山無《やまなし》の脚絆に紺足袋、麻裏草履に蝙蝠傘をさして鞄を提げて駕籠の側につきまして、これから出まして、後《あと》の事は車夫《くるまひき》の峰松に残らず頼みましたから、
峯「万事心得ました、遅くも参ります、由兵衞さん旦那を何分宜しゅうお願い申します」
由「よろしい、頼む」
と是から出ましたが、前《ぜん》申上げて置きました隣座敷のお藤という別嬪は、お附の女中岩と峰松が供をして、一緒に出るも極りが悪いから、後《あと》から出る約束に成って居ります。
三十三
橋本幸三郎、岡村由兵衞の両人は伊香保を下《お》りまして、御案内の湯中子村《ゆなかごむら》へ出ます。彼《あ》れから岡崎新田《おかざきしんでん》五|町田《ちょうだ》の峠を越し、五町田の宿《しゅく》を出まして右へ付いて這入って、是から川を渡りますが、吾妻川には大きな橋が架って居る、これは橋銭《はしぜに》を取ります、これを渡ると後《あと》はもう楽な道で、吾妻川|辺《べり》に付いて村上山《むらかみやま》を横に見て、市城村|青山村《あおやまむら》に出まして、伊勢町《いせまち》より中《なか》の条《じょう》という所《とこ》に掛った時はもう二時少々廻った頃、木村屋《きむらや》と申す中食《ちゅうじき》場所がございます。表には馬《むま》を五六匹|繋《つな》ぎ、人足が来てガア/\と云って居る処《とこ》へ駕籠をズッと着けました。
女中「入らっしゃいませ」
由「大きに若衆《わかいしゅ》御苦労、今|後《あと》で飯を食わせるが、何しろ休みねえ……おい/\女中さん、おい女中|彼処《あすこ》の畳の上に何だ……黒豆が干してあるようだが、彼処を片付けておくれよ」
女「豆じゃアござえません、あれは蠅が群《たか》って居りやすので」
由「蠅か……私《わし》は黒豆かと思った、大層《てえそう》居るねえ真黒《まっくろ》で……旦那御覧なさい、此の蠅はどうも酷《ひど》いじゃアございませんか、ハッ/\ハッとたちますとまた直ぐに来ます、大変《ていへん》だ」
幸「大変《ていへん》だねえ、蠅の中へ大きなものが飛込んで来るが、なんだい姉《ねえ》さん」
女「あれは虻《あぶ》でねえ」
幸「虻……大層《てえそう》居るぜ、螫《さゝ》れると血が出ますからねえ……女中さん何かあるかえ」
女「左様《そう》でがんす、何も無《ね》えでがんすけれども、玉子焼に鰌汁《どじょうじる》に、それに蒸松魚《なまり》の餡掛《あんかけ》が出来やす」
由「えゝ鰌や蒸松魚のプーンと来るのア困ります、矢張無事に玉子焼が宜うがす……鰌のお汁それは宜かろう、鰌のお汁に玉子焼で……貴方召上らぬが一猪口《いっちょこ》酒をつけて持って来て……アハヽ一猪口が分らねえな可笑しい……尤も千万だ……何しろね若衆《わかいし》が来て居るからお飯《まんま》喫《た》べさせて、お酒を飲ましておくれ、若衆は是から山道へ掛るから、酔うとまたいけねえから気を付けて」
女「ヒエー畏《かしこま》りました」
由「閑静でげすねえ……あんたが駕籠で、私《わし》が歩くのでお話もできませんが、あの村上山の景色はありませんねえ、どうも山が連《つな》がって居て、あの間にチョイ/\松が、どうも大きな盆裁でげす、あれから吾妻川の真中《まんなか》の所《とこ》へずうと一体に平坦《たいら》な岩が突出《つきだ》して居て[#「居て」は底本では「居で」]、彼処《あすこ》の上へずっとフランケットを敷いて、月の時に一猪口やったら宜うがしょう、なんぼ地税が出ねえたって、一杯に彼《あ》の大岩が押出している様子は好《よ》い景色でどうも……だけれども五町田の橋銭《はしぜに》の七厘は二《ふた》ツ嶽《だけ》より高いじゃアありませんか」
幸「だけれども、あのくらいの橋を架けるのだから、どの位の入費だか知れねえ、だが景色は段々離れる方が由さん、好いたって、実にどうもないねえ、有難い…女中さん早くしておくれよ……えゝ、これから四里八町というから」
由「私《わし》は馬《むま》をいたゞきたいが、馬に乗《のっか》って捉《つかま》ってヒョコ/\往《い》くなア好い心持で、馬をねえ……女中さん」
女「ヒエ」
由「馬を一匹、四万まで行《ゆ》くのだから帰り馬の安いのがあったら頼んでおくれ」
女「毎日《めえにち》何《なん》かえりも行ったり来たりして居りやすから、もう直《ね》が
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