《ぎょうどうざん》の方《かた》へ参ります道に江川《えがわ》村と云う所が有ります。此処に奧木佐十郎《おくのぎさじゅうろう》と云って年齢《とし》六十に成る極く堅人《かたじん》がございます。旧《もと》は戸田《とだ》様の御家来で三十石も頂戴したもので、明治の時勢に相成りましたから、何か商売を為《し》なければならんと云うと、機場のこと故、少しは慣れて居りますから、忰《せがれ》の茂之助《ものすけ》を相手に織娘《おりこ》を抱えて機屋をいたしますと、明治の始めあたりは、追々機が盛って参り大分《だいぶ》繁昌で親父《おとっさん》も何《ど》うか早く茂之助に善《よ》い女房を持たせたいと思ううち、織娘の中で心掛けの善いおくのと云うが有りまして、親父《おやじ》の鑑識《めがね》でこれを茂之助に添わせると、宜《よ》いことには忽《たちま》ち子供が出産《でき》ました。総領を布卷吉《つまきち》と申して今年七歳になり、次は二月生れで女の児《こ》をお定《さだ》と申します。
二
扨《さて》、奧木茂之助は、只機が織り上るとちゃんと之を畳みまして綴糸《とじいと》を附ける。彼《あ》れもまた一役《ひとやく》で、悉皆《すっかり》出来た処で此品《これ》を持ち、高崎《たかさき》や前橋《まえばし》の六|斎市《さいいち》の立ちまする処へ往って売るのでございますが、前橋は県庁がたちまして、大分《だいぶ》繁昌でございまして、只今は猶《なお》盛んで有りますが、料理茶屋の宜《よ》いのも有る。其の中で藤本《ふじもと》と云う鰻屋で料理を致す家《うち》が有ります。六斎が引けますると、茂之助は何日《いつ》も其家《そこ》へ往って泊りますが、一体贅沢者で、田舎の肴は喰えないなどと云う事を平生《ふだん》申して居ります。処が此の藤本は料理が一番宜いと云うので、六斎市の前の晩から、翌日《あした》の市の時も泊り、漸々《だん/″\》馴染《なじみ》となり、友達が来て共に泊ると云うような事に成りました。すると此の藤本の抱えで、小瀧《こたき》と云う芸者は、もと東京浅草|猿若町《さるわかまち》に居りまして、大層お客を取りました芸者で、まだ年は二十一でございますが、悪智《あくち》のあるもので、情夫《いろおとこ》ゆえに借金が出来て、仕方なしに前橋へ住替えて来ましたが、当人は何時までも田舎に居るのは厭で、早く東京へ帰りたいと思うとお金が欲しくなって
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