文七元結
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂編纂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)文七元結《ぶんしちもとゆい》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)今|帰《けえ》ったよ
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)うだつ[#「うだつ」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ノソ/\
つく/″\(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)
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一
さてお短いもので、文七元結《ぶんしちもとゆい》の由来という、ちとお古い処のお話を申上げますが、只今と徳川家時分とは余程様子の違いました事で、昔は遊び人というものがございましたが、只遊んで暮して居ります。よく遊んで喰って往《ゆ》かれたものでございます。何《ど》うして遊んでて暮しがついたものかというと、天下御禁制の事を致しました。只今ではお厳《やかま》しい事でございまして、中々隠れて致す事も出来んほどお厳しいかと思いますと、麗々と看板を掛けまして、何か火入れの賽《さい》がぶら下って、花牌《はなふだ》が並んで出ています、これを買って店頭《みせさき》で公然《おもてむき》に致しておりましても、楽《たのし》みを妨げる訳はないから、少しもお咎《とが》めはない事で、隠れて致し、金を賭《か》けて大きな事をなさり、金は沢山あるが退屈で仕方がない、負けても勝っても何うでも宜《よ》いと、退屈しのぎにあれをして遊んで暮そうという身分のお方には宜《よろ》しゅうございますが、其の日暮しの者で、自分が働きに出なければ、喰う事が出来ないような者がやりますと、自然商売が疎《おろそか》になります。慾徳ずくゆえ、倦《あ》きが来ませんから勝負を致し、今日で三日続けて商売に出ないなどということで、何うも障《さわ》りになりますから、厳《やかま》しゅう仰《おっ》しゃる訳で、併《しか》し賭博《ばくち》を致しましたり、酒を飲んで怠惰者《なまけもの》で仕方がないというような者は、何うかすると良い職人などにあるもので、仕事を精出して為《し》さえすれば、大して金が取れて立派に暮しの出来る人だが、惜《おし》い事には怠惰者だと云うは腕の好《よ》い人にございますもので、本所《ほんじょ》の達磨横町《だるまよこちょう》に左官の長兵衞《ちょうべえ》という人がございまして、二人前《ふたりまえ》の仕事を致し、早くって手際が好くって、塵際《ちりぎわ》などもすっきりして、落雁肌《らくがんはだ》にむらのないように塗る左官は少ないもので、戸前口《とまえぐち》をこの人が塗れば、必ず火の這入《はい》るような事はないというので、何《ど》んな職人が蔵を拵《こしら》えましても、戸前口だけは長兵衞さんに頼むというほど腕は良いが、誠に怠惰《なまけ》ものでございます。昔は、賭博に負けると裸体《はだか》で歩いたもので、只今はお厳《やかま》しいから裸体どころか股引も脱《と》る事が出来ませんけれども、其の頃は素裸体《すっぱだか》で、赤合羽《あかがっぱ》などを着て、「昨夜《ゆうべ》はからどうもすっぱり剥《むか》れた」と自慢に為《し》ているとは馬鹿気た事でございます。今長兵衞は着物まで取られてしまい、仕方なく十一になる女の子の半纒《はんてん》を借りて着たが、余程短く、下帯の結び目が出ていますが、平気な顔をして日暮にぼんやり我家《わがや》へ帰って参り、
長「おう今|帰《けえ》ったよ、お兼《かね》……おい何《ど》うしたんだ、真暗《まっくら》に為《し》て置いて、燈火《あかり》でも点《つ》けねえか……おい何処《どこ》へ往ってるんだ、燈火を点けやアな、おい何処……其処《そこ》にいるじゃアねえか」
兼「あゝ此処《こゝ》にいるよ」
長「真暗だから見えねえや、鼻ア撮《つま》まれるのも知れねえ暗《くれ》え処《とこ》にぶっ坐《つわ》ッてねえで、燈火でも点けねえ、縁起が悪《わり》いや、お燈明でも上げろ」
兼「お燈明どこじゃアないよ、私は今帰ったばっかりだよ、深川の一の鳥居まで往って来たんだよ、何処まで往ったって知れやアしないんだよ、今朝|宅《うち》のお久が出たっきり帰らねえんだよ」
長「エヽお久が、何処《どけ》え往ったんだ」
兼「何処《どこ》へ往ったか解らないから方々探して歩いたが、見えねえんだよ、朝御飯を喰《た》べて出たが、それっきり居なくなってしまって、本当に心配だから方々探したが、いまだに帰《けえ》らねえから私はぼんやりして草臥《くたび》れけえって此処にいるんだアね」
長「ナ…ナニ知れねえ、年頃の娘だ、え、おう、いくら温順《おとな》しいたってからに悪《わり》い奴にでもくっついて、え、おう、智慧え附けられて好《い》い気になって、其の男に誘われてプイと遠くへ往《い》くめえもんでも無《ね》え、手前《てめえ》はその為に留守居をしているんじゃアねえか、気を附けてくれなくっちゃア困るじゃアねえか」
二
かね「留守居をして居るったッて、斯《こ》んな貧乏世帯を張ってるから、使いに出す度《たび》一緒に附いては往かれませんよ、だが浮気をして情夫《おとこ》を連れて逃げるような娘《こ》じゃアありません、親に愛想《あいそう》が尽きて仕舞ったに違いないんだよ、十人並の器量を持ってゝ、世間では温順《おとな》しい親孝行者だといわれてるのに、お前が三年越し道楽《ばか》ばかり為《し》て借金だらけにしてしまい、家《うち》を仕舞うの夫婦別れをするのという事を聞けば、あの娘だって心配して、あゝ馬鹿/″\しい、何時《いつ》までも親のそばに喰附《くっつ》いてれば生涯うだつ[#「うだつ」に傍点]はあがらないから、何処《どこ》へか奉公でもするか、何《ど》んな亭主でも持つ方が、襤褸《ぼろ》を着てこんな真似をしてこんな親に附いて居ようより、一層《いっそ》の事|好《い》い処へ往って仕舞おうとお前に愛想《あいそ》が尽きて出たのに違いない、あの娘が居ればこそ永い間貧乏世帯を張って苦労をしながらこう遣《や》っていたが、お久が居ないくらいなら私は直《すぐ》に出て往っちまうよ」
長「お久が居なけりゃア此方《こっち》も出て往っちまわアな、だからよう、己が悪《わり》いから連れて来て呉んな、父《ちゃん》が悪いッて是から辛抱するから、え、おい、お願《ねげ》えだ、己だってポカリと好《い》い目が出れば、又|取返《とりけえ》して、子供に着物の一枚《いちめえ》も着せてえと思って、ツイ追目《おいめ》に掛ったんだが、向後《きょうこう》もうふッつり賭博《ばくち》はしねえで、仕事を精出すから、何処《どこ》へか往ってお久をめっけて来てくんナ」
かね「めっけて来いたっていないよ」
長「いねえ/\と云ったって何処《どっ》か居る処《とけ》え往ってめっけて来やアな」
かね「居る処《とこ》が知れてるくらいなら斯様《こん》なに心配はしやアしない、お戯《ふざ》けでないよ、私もお前のような人の傍《そば》には居られないよ」
長「居られねえたって……えゝ、おい、お久を何《ど》うかして……」
かね「何う探しても居ないんだ」
長「居ねえって……え、おい」
かね「お前の形《なり》は何《な》んだね、子供の着物なんぞを着てさ、見っともないじゃアないか」
長「見っともねえったって、竹ン処《とこ》のみい坊の半纏《はんてん》を借りて来たんだ」
かね「お尻がまるで出て居るよ、子供の半纒なぞを着て、好《い》い気になって戸外《おもて》をノソ/\歩いてゝさ」
とグズ/\云って居ると、表の戸をトン/\叩き、
男「御免ください」
かね「はい只今開けます……誰か来たよ、お前隠れ場が……仕様がないねえ」
男「どうか開けておくんなさい、御免なさいまし……えゝ誠に暫《しばら》く、何時《いつ》もお達者で」
長「へえ…誰だっけ忘れちまった、何方《どなた》でしたかえ」
男「エヽ私は角海老《かどえび》の藤助《とうすけ》でございます」
と云われて長兵衞は手を打ち、
長「おう、違《ちげ》えねえ、こりゃアどうも、すっかり忘れちまッた、カラどうも大御無沙汰になっちまって体裁《きまり》が悪いんでね、こんな処《とけ》え来てしまったんで、誠にどうもツイ…」
藤「お内儀《かみ》さんが、一寸《ちょっと》長兵衞さんに御相談申したい事があるから、直《すぐ》に一緒に来るようにという事で」
長「お前《めえ》さんの処《とこ》は余《あんま》り御無沙汰になって敷居が鴨居で往《い》かれねえから、何《いず》れ春永《はるなが》に往きます、暮《くれ》の内は少々へま[#「へま」に傍点]になってゝ往かれねえから何れ…」
藤「兎や角《こ》う仰しゃるだろうが、直にお連れ申して来いと、お内儀さんが仰しゃるので」
長「直にったって大騒ぎなんで、家内《うち》に少し取込《とりこみ》があるんで、年頃の一人娘のあまっちょが今朝出たっきり帰《けえ》らねえので、内の女房《やつ》も心配《しんぺえ》してえるんでね」
藤「お宅《うち》の姉《ねえ》さんのお久さんは宅へ来ておいでなさいますよ、其の事に就《つ》いてお内儀さんが貴方《あなた》に御相談があるので」
長「エヽ…お久がお前《めん》処《とこ》に往ってるとえ」
かね「あらまア本当に有難う存じます、何処《どこ》へ参りましたかと存じて心配して居ましたが、御親切に有難う存じます…お前さん直《すぐ》に往って連れて来ておくれよ」
長「じゃアまアなんだ……直に後《あと》から往きますからお内儀さんへ宜しく」
藤「直に御同道しろと申しましたから」
長「直にったって何《な》んですから、直《じき》に後から参ります、左様なら宜しく」
かね「何んだよお前、御親切に知らせて下すったのに何故|直《すぐ》に往かないんだよ」
長「なぜったって此の形《なり》じゃア往かれねえ……手前《てめえ》のを貸しねえ」
かね「いやだよ私の着物がありゃアしないよ」
長「手前は宅《うち》に居るんだからこの半纒を着て居やアな」
かね「そんなものを着ては居られません、お尻がまるで出てしまうよ」
長「湯巻《ふんどし》を締めてりゃア知れないよ」
かね「人が来ても挨拶が出来ないよ」
長「面と向って話をして、後《あと》へ退《さが》る時に立てなければ後びっしゃりをすればいゝ」
かね「おふざけでないよ」
長「そんな事を云わねえで貸しな」
と無理やりに女房の着物を引剥《ひっぱ》いでこれを着て出掛けました。
三
左官の長兵衞は、吉原土手から大門《おおもん》を這入りまして、京町一丁目の角海老楼《かどえびろう》の前まで来たが、馴染の家《うち》でも少し極りが悪く、敷居が高いから怯《おび》えながら這入って参り、窮屈そうに固まって隅の方へ坐ってお辞義をして、
長「お内儀《かみ》さん、誠に大御無沙汰をして極りがわるくって、何《な》んだか何《ど》うもね……先刻《さっき》藤助どんにも然《そ》う申しやしたんですが、余《あんま》り御無沙汰になったんで、お見違《みそ》れ申すくれえでごぜえやすが、何時《いつ》も御繁昌のことは蔭ながら聞いておりやす、誠に何んとも何うもお忙がしい中をわざ/\お知らせ下すって誠に有難うござえやす……お久ア此処《こゝ》に打《ぶ》ッ坐《つわ》ってゝ、宅《うち》の者《もん》に心配《しんぺえ》を掛けて本当に困るじゃアねえか、阿母《おっか》アはお前《めえ》を探しに一の鳥居まで往ったぜ、親の心配は一通りじゃアねえ、年頃の娘がぴょこ/\出歩いちゃアいけねえぜ、何んで此方様《こちらさま》へ来てえるんだ、こういう御商売柄《ごしょうべえがら》の中へ」
内儀「それ処《どこ》じゃアないよ、こうしてお前の事を心配して来たのだ、這入りにくがって門口をうろ/\していたが、切羽詰りになって這入って来たんだが、私も忘れちまったあね、お前が仕事に来る時分、蝶々髷《ちょう/\まげ》に結ってお弁当を持って来たっきり、久しく会わないから、私も忘れてしまったが、此処《こゝ》へ来て、此の娘がおい/\泣いて
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