口が利けないんだよ、それからまアどうしたんだ、何か心配事でも出来たのかというと、此の娘《こ》が親の恥を申しまして済みませんけれども、親父《おやじ》がまだ道楽が止みませんで、宅《うち》へも帰らず、賭博《いたずら》ばかり烈しく致して居りますが、あすが日、親父の腰へ縄でも附きますような事がありますと、私も見てはいられませんが、漸々《だん/\》借財が出来まして、何《ど》うしても此の暮が行立《ゆきた》たず、夫婦別れを為《し》ようか、世帯をしまおうかというのを、傍《そば》で聞いて居りますと、私も子供じゃアありませんから、聞き捨《ずて》にもなりませんので、誠に申し兼ねましたが、お役には立ちますまいけれど、私の身体を此方《こちら》さまへ、何年でも御奉公致しますから、親父をお呼びなすって私の身の代《しろ》を遣《や》って、借財の方《かた》が付いて、両親|交情好《なかよ》く暮しの附きますように為てやりとうございます、私がこういう処へつとめをしていますれば、よもや親父も私への義理で、道楽も止もうかと存じます、左様《そう》なれば親父への意見にもなりますから、どうぞ私の身体をお買いなすって下さいと、手を突いて私へ頼むから、私も恟《びっく》りしたんだよ、本当に感心な事だって、当家《うち》にも斯《こ》うやって沢山|抱《かゝえ》の娘《こ》もあるが、年頃になって売られて来るものは大概|淫奔《いたずら》か何か悪い事を仕て来るものが多いんだのに、親の為に自分から駈込んで来て身を売るというような者が又とある訳のものじゃアないよ、本当にこんな親孝行者に苦労をさせて好《い》い気になってちゃア済まないよ、お前|幾歳《いくつ》におなりだ、四十の坂を越して、何うしたんだねまア、此の娘《こ》に不孝だよ」
長「えゝ……誠にどうも面目|次第《しでえ》もごぜえやせん、そんな事と知らねえもんですからね、年頃にもなってやすから、ひょッと又悪い者が附いて意地でも附けて遠くへ往っちまったかと思って、嬶《かゝ》アも驚きやして、方々探して歩いた訳なんで、へえ、お久堪忍してくれ、誠に面目次第もねえ、汝《てめえ》にまでおれは苦労をさせて」
と云いさして涙を浮《うか》め、声を曇らし、
長「実は己《おら》アお内儀さんの前《めえ》だが、汝《てめえ》に手を突いて謝るくれえ親の方が悪《わり》いんだが、汝の知ってる通り、此の暮は何うしても行立たねえ訳になっちまったんだけれども、たった一人の娘を女郎《じょうろ》に売りたくもねえし、世間へ対《てえ》しても済まねえ訳だ、又本意でもねえから、然《そ》んな事を為《し》たくもねえが、何うでも斯《こ》うでも此の暮が行立たねえから、お久、親が手を突いて頼むが、何うかまア他家《ほか》さまなら願《ねげ》え難《にく》いが、此方《こちら》さまだから悪くもして下さるめえから、此方さまへ奉公して、二年か三年辛抱してくれゝば、汝の身の代だけは一旦借金の方《かた》せえ付けてしまえば、己がまたどんなにでも働《はたれ》えて、汝の処は何《な》んとかするが、然《そ》うしてくれゝば己への良《い》い意見だから、向後《きょうこう》ふっつりもう賭博《ばくち》のば[#「ば」に傍点]の字も断って、元々通り仕事を稼いで、直《じき》に汝の身受を為《し》に来るから、それまで汝奉公してえてくれ」
四
久「私は、固《もと》より覚悟をして来た事だから、何時《いつ》までも奉公しますけれど、お前また私の身の代を持ってってしまって、いつものように賭博《ばくち》に引掛《ひっかゝ》ってお金を失してしまうと、お母《っかあ》がまたあゝいう気象だからお前に逆らって、何《な》んだ彼《か》んだというとお前が又癇癪を起して喧嘩を始めて、手暴《てあら》い事でもして、お母の血の道を起すか癪でも起ったりすると、私がいればお医者を呼びに往ったり、お薬を飲ましたりして看病する事も出来ますが、私がいないと、お母を介抱する人がないのだから、後生お願いだが、私は幾年でも辛抱するからお前お母と交情好《なかよ》く何卒《どうぞ》辛抱して稼いでおくんなさいよ、よ」
長「あいよ………あいよ……誠に何《ど》うもカラどうも面目|次第《しでえ》もごぜえやせんで、何《な》んともはや、何うも、はア後悔《こうけえ》しやした」
内儀「御覧よ、こういう心だもの、実に私も此の娘《こ》には感心してしまったが、お前|幾干《いくら》お金があったら此の暮が行立《ゆきた》つんだよ」
長「へえ私《わっち》共の身の上でごぜえやすから百両《いっぽん》もあればすっかり綺麗さっぱりになるんで」
内儀「百両《ひゃくりょう》で宜《い》いのかえ」
長「へえ…」
内儀「それではお前に百両のお金を上げるが、それというのも此の娘の親孝行に免じて上げるのだよ、お前持って往って又うっかり使ってしまっては往けないよ、今度のお金ばかりは一生懸命にお前が持って往くんだよ、よ、いゝかえ、此の娘の事だから私も店へは出し度《た》くもない、というは又悪い病でも受けて、床にでも着かれると可哀そうだから、斯《こ》う云う真実の娘ゆえ、私の塩梅《あんばい》の悪い時に手許《てもと》へ置いて、看病がさせ度いが、私の手許へ置くと思うと、お前に油断が出るといけないから、精出して稼いで、この娘を請出《うけだ》しに来るが宜いよ」
長「へえ私《わっち》も一生懸命になって稼ぎやすが、何うぞ一年か二年と思って下せえまし」
内儀「それでは二年経って身請に来ないと、お気の毒だが店へ出すよ、店へ出して悪い病でも出ると、お前この娘の罰《ばち》は当らないでも神様の罰が当るよ」
長「えゝそれは当ります、へえ有難うござえやす、貧乏|世帯《じょてえ》を張ってるもんですから、母親《おふくろ》と一緒に苦労して借金取のとけえ自分で言訳に往って詫ごとをしてくれるんです……へえ、其の代りお役には立ちやすめえから、一々小言を仰しゃって下せえやし、お久、お内儀さんも斯《こ》う仰しゃって下さるから何《なん》だが、店へ出てお客の機嫌|気褄《きづま》の取れる人間じゃアねえが、其の中《うち》にゃア様子も解るだろうから……己は早く家《うち》へ帰《けえ》ってお母《っかあ》にも悦ばせ、借金方を付けて、質を受けて、汝《てめえ》の着物も持って来るから」
内儀「そんな事は宜《い》いよ、江戸|行《ゆき》の時に取りに遣《や》るから……お前財布があるまい、お金も丁度|他家《わき》から来たのがあるから財布ぐるみ百両貸して上げるよ、さア持っておいで」
長「へえ、誠に何うも、有難うござえやす、じゃアお内儀さん直《すぐ》にお暇《いとま》しやす」
内儀「早く家《うち》へ往ってお内儀さんに安心させてお上げよ」
長「じゃアお久、宜いか」
久「お母《っか》さんによくいっておくれよ」
長「あい、あい」
と戸外《おもて》へ出たが、掌《て》の内の玉を取られたような心持で腕組を為《し》ながら、気抜の為たように仲の町《ちょう》をぶら/\参り、大門を出て土手へ掛り、山の宿《しゅく》から花川戸《はなかわど》へ参り、今|吾妻橋《あづまばし》を渡りに掛ると、空は一面に曇って雪模様、風は少し北風《ならい》が強く、ドブン/\と橋間《はしま》へ打ち附ける浪の音、真暗《まっくら》でございます。今長兵衞が橋の中央《なかば》まで来ると、上手《うわて》に向って欄干へ手を掛け、片足踏み掛けているは年頃二十二三の若い男で、腰に大きな矢立を差した、お店者《たなもの》風体《ふうてい》な男が飛び込もうとしていますから、慌《あわ》てゝ後《うしろ》から抱き止め、
長「おい、おい」
男「へゝへえ」
長「気味の悪い、何《な》んだ」
男「へえ…真平《まっぴら》御免なさいまし」
長「何んだお前《めえ》は、足を欄干へ踏掛《ふんが》けて何《ど》うするんだ」
男「へえ」
長「身投げじゃアねえか、え、おう」
男「なに宜《よろ》しゅうございます」
長[#「長」は底本では「男」と誤記]「なに宜《い》い事があるもんか、何んだ若《わけ》え身空アして……お店風だが、軽はずみな事をして親に歎《なげ》きを掛けちゃアいけねえよ、ポカリときめちまってガブ/\騒いだってお前《めえ》助かりゃアしねえぜ、え、おい、何《なん》で身を投げるんだえ」
五
男「御親切に有難うございます、私も身を投げる気はございませんが、迚《とて》も行立ちません、もう思案も分別も仕尽しました暁《あかつき》に覚悟を極《きわ》めたので、中々容易な事ではございませんから、お構いなく往らしって下さいまし」
長「お構いなくったって、お構いなく往《い》かれるかえ、人情としてお前《めえ》の飛び込むのを見て、アヽ然《そ》うかといって往かれねえじゃアねえか何《な》んで死ぬんだよ、店者《たなもの》だから大方女郎のつかい込みで、金が足らなくって主人に済まねえって………極ってらア、然うだろう」
男「いえなに然《そ》んな訳じゃアないが、なに宜しゅうございます」
長「宜しくねえよ、冗談じゃアねえぜ、え、おう」
男「御親切は有難う存じます、私は白銀町《しろかねちょう》三丁目の近卯《きんう》と申します鼈甲問屋《べっこうどんや》の若い者ですが、小梅《こうめ》の水戸様へ参ってお払いを百金戴き、首へ掛けて枕橋《まくらばし》まで参りますると、ポカリと胡散《うさん》な奴が突き当りましたから、はっと思ってると、私《わたくし》の懐へ手を入れて逃げて行《ゆ》きましたから、何を為《し》やアがると云って、後《あと》で見ますと金が有りませんから、小僧の使《つかい》ではなし、金を泥坊に奪《とら》れたといって帰られもせず、と云って何処《どこ》へ往って相談致すという処もございませんから、身を投げるんで、大金の事でございますから何《ど》んな処《とこ》へ参りまして相談を致しても無駄でございますから身を投げるのでございます、何《ど》うぞお構いなく往らしって」
長「百両奪られちまッたのかえ、何うも為《し》ょうがねえなア、冗談じゃアねえぜ、大店《おおとこ》なんてえもなアおおまかだなア、己《おら》ッちの身の上では百両の金で借金を残らず払って、好《い》い正月が出来るんだが、本当に、大金を奪られるような者に払いを取りに遣るとはおおまかなもんだなア、お前《めえ》もまた間抜じゃアねえか、胴巻へ入れて確《しっか》り懐へ入れて置けば宜《い》いのに、百両といえば重《おめ》え金額《かね》だ、本当に冗談じゃアねえぜ、だがの……金で生命《いのち》は買えねえや、え、おう、何処《どっか》へ相談しに往きねえな、旦那に逢って然《そ》う云いねえ、泥坊に奪られて誠に面目|次第《しでえ》もござえやせん、全く奪られたに違《ちげ》え有りやせんて、え、おう何処《どっか》へ往って相談して見ねえな」
男「へえ、相談したくも親も兄弟も無い身の上で、主人も手前ばかりは身寄頼りのない身の上だから、辛抱次第で行々《ゆく/\》は暖簾《のれん》を分けて遣る、其の代り辛抱をしろ、苟《かりそめ》にも曲った心を出すなと熟々《つく/″\》御意見下すって、余《あんま》り私を贔屓《ひいき》になすって下さいますもんだから、番頭さんが嫉《そね》んで忌《いや》な事を致しますから、相談も出来ませんが、何うしても私《わたくし》が女郎《じょうろ》買でも為《し》て使い込んだとしきゃア思われませんから、面目なくって旦那さまに合《あわ》す顔はございません、なに宜しゅうございますからお構いなく往らしって」
長「いけねえなア、何うしてもお前《めえ》死《しな》なくッちゃアいけねえのか………じゃア仕方がねえ、金ずくで人の命は買えねえ、己も無くッちゃアならねえ金だが、お前に出会《でっくわ》したのが此方《こっち》の災難《せえなん》だから、これをお前に………だが、何うか死なねえようにしてくんなナ、え、おう」
男「ヘエ、死なないように致しますから、お構いなく往らしって下さいまし」
長「お構《かめ》えなくッたって……じゃア往くから屹度《きっと》死なねえとはっきり極りをつけてくんなよ」
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