男「宜しゅうございます、死にません、/\、へえ」
 長「冗談じゃアねえぜ、往くよ宜《い》いか」
 と云いながらバタ/\/\と二十歩ばかり駈けて来たが、何うも気に成るから振り返《かえ》て見ると、其の若い者がバタ/\/\と下手《しもて》の欄干の側へ参り、又片足を踏掛《ふんが》けて飛び込もうとする様子ゆえ、驚いて引返《ひっかえ》して抱き留め、
 長「まア待ちなよ、待ちなてえに……それじゃア何うしても金が無けりゃア生きて居られねえのか、仕様がねえなア、さア己がこれを……だが何《ど》うか死なねえような工夫はねえかなア……じゃアまア仕方がねえ……困るなア」
 男「お構いなく往らッして、御親切は解りましたから」
 長「じゃア往くよ」
 とバラ/\/\と往きに掛ったが、又飛び込もうとするから、
 長「仕様がねえなア此の人は、冗談じゃアねえぜ、金が無くッちゃア何うしてもいけねえのか」
 男「へえ、有難う存じますが」
 とさめ/″\と泣き沈み、涙声で、
 男「私《わたくし》だッて死に度《たく》はございませんけれども、よんどころない訳でございますから、何うぞお構いなく往らしって、もう宜しゅうございます」
 長「お構いなくったって往けねえやな、仕方がねえ、じゃア己が此の金を遣ろう」

        六

 長「実は此処《こゝ》に百両持ってるが、これはお前《めえ》のを奪《と》ったんじゃアねえぜ、己は斯《こ》んな嬶《かゝあ》の着物を着て歩く位《くれえ》の貧乏|世帯《じょてえ》の者が百両なんてえ大金《てえきん》を持ってる気遣《きづけえ》はねえけれど、己に親孝行な娘が一人有っての、今年十七になるお久てえ者《もん》だが、今日吉原の角海老へ駆込《かっこ》んでって、親父が行立ちませんから何うか私の身体を買っておくんなさい、親父への意見にもなりましょうからって、娘が身を売って呉れた金が此処に在《あ》るんだが、其の身の代をそっくりお前に遣るんだ、己ん処《とこ》の娘は、泥水へ沈んだッて死ぬんじゃアねえが、お前は此処から飛び込んで本当に死ぬんだから、此れを遣っちまうんだ、其の代り己は仕事を為《し》て、段々借金を返《けえ》して往った処《とこ》が、三年かゝるか、五年掛るか知れねえが、悉皆《すっか》り借金を返《けえ》し切って又三年でも五年でも稼がなけりゃア、百両の金を持って、娘の身請を為《し》に往く事が出来ねえ、あゝ何《な》んでも斯《か》んでも娘を女郎《じょうろ》にするのだ、仕方がねえ、其の代り己の娘が悪い病《やめえ》を引受けませんよう、朝晩凶事なく達者で年期の明くまで勤めますようにと、お前心に掛けて、ふだん信心する不動様でも、お祖師様でも、何様へでも一生懸命に信心して遣っておくれ」
 男「何う致しまして左様な金子は要りません」
 長「己だってさ遣りたくも無《ね》えけれどお前《めえ》が死ぬというから遣るてえのに、人の親切を無にするのけえ」
 と云いながら放り付けて往きました。
 男「やい何を為《し》やアがるんだ、斯《こ》んなものを打附《ぶっつ》けやアがって、畜生め、財布の中へ礫《いしころ》か何か入れて置いて、人の頭へ叩き附けて、ざまア見やアがれ、彼様《あん》な汚ない形《なり》を為《し》ていながら、百両なんてえ金を持ってる気遣《きづけ》えはねえ、彼様な奴が盗賊《どろぼう》だか何《な》んだか知れやアしない、此様《こん》な大きな石を入れて置きやアがって」
 と撫《なで》て見ると訝《おか》しな手障《てざわり》だから財布の中へ手を入れて引出して見ると、封金《ふうきん》で百両有りましたから恟《びっく》りして橋の袂《たもと》まで追駆《おっか》けて参り、
 男「もしお前さん、今のお方もし……アヽもう見えなくなっちまった……有難う存じます、此の御恩は死んでも忘れやア致しません、左様なお方とも存じませんで悪口《あっこう》を吐《つ》きまして済みません、誠に有難う存じます、必ず一度は此の御恩をお返し申します、有難う存じます」
 と生返ったような心持になりましたから、取急いで白銀町三丁目の店へ帰って参りましたが、御主人は使いの帰りが遅いから心配でございます。
 主人「平助《へいすけ》どん、未だ帰りませんか文七は」
 平「へえ、まだ帰りません、使いに出すと永いのが彼《あれ》の癖で、お払い金などを取りにお遣りなさるのは宜しくない事で、誠に困りましたな」
 主「帰ったら能く小言をいいましょう」
 と心配して居る処へ表の戸をトン/\/\、
 文「番頭さんトン/\/\……番頭さん文七でございます、只今帰りました」
 平「旦那、文七が帰りました」
 主「よく然《そ》ういってくんな」
 平「今開けるよ……何《ど》う云うもんだなア、余《あんま》り遅いじゃアないか掛廻《かけまわ》りに往った時などは早く帰って来てくれないと、旦那のお小言が私《わし》の方へ来るから本当に迷惑だ、冗談じゃアないぜ」
 文「誠に遅くなりました、つい高橋様のお相手を為《し》て居りまして、御機嫌を取り/\種々《いろ/\》お話しになりましたので、大きに遅くなりまして誠に相済みません」
 平「旦那文七が帰りました」
 主「さア/\此方《こっち》へ遣《よこ》しておくれ、実に困ります」
 文「旦那只今、高橋様で種々世の中のお話が有りまして、又碁のお相手を致したものですから大きに遅くなりました、えゝそれから高橋様が此方《こちら》から持って参りました革の財布を御覧なさいまして、商人《あきんど》は妙な財布を持つ、少し借り度《た》い、其の代り此方の縞の財布を貸して遣ると仰しゃって、是を拝借致しまして、金子は慥《たしか》に百両受取って参りましたから、お改めなすってお受け取り下さいますように」
 主「なに金を……何を云うんだな、変な人だな、実に、文七は使《つかい》に出せないね、本当に」

        七

 主人「お得意先へ掛け廻りに往って、其処《そこ》でお相手をするったって碁を打つという事はありませんよ、お前は碁にかゝるとカラ夢中だから困る、お前が帰って仕舞った後《あと》を見ると碁盤の下に財布の中へ百両入ったなり有ったから、高橋|様《さん》がお驚きなすって、さぞ案じて居るだろうから早く知らせて遣れと仰しゃって、彼方《あちら》の御家来が二人で提灯《ちょうちん》を点《つ》けて先刻《さっき》金子は届けて下すったのに、虚言《うそ》を吐《つ》いて……革財布は彼方で入用《いりよう》とはなんだ、ちゃんと此処《こゝ》に百金届いていますよ……其の百両の金は何処《どっ》から持って来たんだ」
 文「ヘエ……それは大変」
 主「なに」
 文「それは何《ど》うも、大変な事で」
 主「何《な》んだ」
 文「ヘエ………それじゃア私ゃ奪《と》られなかったんだ」
 主「何んだ、お前はどうも訳の解らん事を云うからしょうがない、平助どん、此の金の出所《でどころ》を調べておくれ、イエサ、未だ二十二や三になるものに、百両という大金を自由にされるような事は有るまい、お前へ店を預けて置くのに、またこれがどう云う融通をして、何処《どこ》に金を預けて置くか知れねえから此の百両の出所《でどこ》を調べてくんな」
 平「ヘエ……おい、お前|私《わし》が迷惑するよ、冗談じゃアない、困るよ、疾《と》うに金は届いてる処《とこ》へ又百両持って来るてえのは訝《おか》しいじゃアないか」
 文「ヘエ/\、誠に粗忽《そこつ》千万な事を致しました、何《な》んとも何《ど》うも申訳はございませんが、実は慥《たし》かに懐へ入れてお邸《やしき》を出た了簡でございまして、枕橋まで参ると怪しい奴が私《わたくし》に突き当りながら、グッと手を私の懐の中へ入れました時に奪《と》られたに違いないと思い、小僧の使じゃアなし、旦那様に申訳がない、百両の金子を奪られては済まんと存じまして、吾妻橋から身を投げようと致す所へ通り掛ったお職人|体《てい》の方が私《わたし》を抱き止めて、何ういう訳で死ぬかと尋ねましたから、これ/\と申すと、それは気の毒だ、此処《こゝ》に百両有る、これを汝《てめえ》に遣るから泥坊に奪られない積りで主人の処《とこ》へ往くが宜《い》い、併《しか》しそれは尋常《ただ》の金じゃない、たった一人の娘が身を売った身《み》の代金《しろきん》だけれども、これを汝に遣るからと仰しゃって、御親切なお方に戴いて参りましたのでございます」
 主「イヤハヤ何《ど》うも呆れちまった、何うだろう、其のお方が通らんければドブリと飛び込んで仕舞い、土左衛門になっちまったんだ、アヽ危い処《とこ》だ、ムヽ、其のお方はお前の命の親だ、御真実なお人だの、何うも百金と云う金を直《す》ぐに恵んで下さるとは有難いお方だ、その何は何処《どこ》のお方で何《な》んと云うお方様だ」
 文「ヘエ……何んてえお方だか存じません」
 主「馬鹿だねお前何うもコレ百両という大金を戴きながら、其のお方のお名前も宿所《しゅくしょ》も聞かんてえ事はありませんよ」
 文「お名前も所もお聞き申す間もないので、アレ/\といってる中《うち》に、ポンと金を打《ぶ》ッ附けて逃げて往《ゆ》きました」
 主「金を人に投げ附けて逃げて行《ゆ》く奴があるものか、お名前が知れんじゃアお礼の為《し》ようもなし、本当に困るじゃアねえか」
 文「ヘエ、誠に何うも済みませんで」
 主「ムー……娘を売った金とかいったな」
 文「ヘエ、その今年十七になるお久さんという娘の身を角海老へ売った金が百両あるから、これをお前に遣るが、娘は女郎《じょうろ》にならなけりゃアならない、悪い病を受けて死ぬかも知れないから、明暮《あけくれ》凶事のないように、平常《ふだん》信心する不動様へでも何《な》んでも、お線香を上げてくれと、男泣きに泣きながら頼みましたが、旦那さまえ、何うか店の傍《わき》へ不動様を一つお拵《こしら》えなすッて」
 主「何んだ馬鹿ア云って……コーと角海老というのは女郎屋さんだ、其処《そこ》へ往ってお久さんという十七になる娘が身を売ったかと聞けば、それから知れるが、私《わし》は頓《とん》と吉原へ往った事がないのだ、斯《こ》ういう時には誠に困る、店のものも余《あんま》り堅いのは斯ういう時に困るな、吉原へは皆《みん》な往った事がないからのう、平助どんなぞも堅いから吉原は知るまい」
 平「エヽ角海老てえ女郎屋《じょうろや》は京町の角店《かどみせ》で立派なもんです」
 主「お前吉原へ往ったのかえ」
 平「此間《こないだ》三人で…イエ何《な》にソノ」
 主「ごまかして時々出掛けるね、併し今夜は小言を云いません、夜更《よふけ》の事だから、向後《きょうご》たしなみませんといけませんよ」
 と別に小言もなく引けました。

        八

 翌朝《よくあさ》主人は番頭を呼んで何かコソ/\話を致しましたが、やがて番頭の平助は何《いず》れへか飛んで往《ゆ》き、暫く経って帰って来まして、またコソ/\話をしましたが、解ったと見えまして、
 主人「羽織を出してくんナ……文七や供だよ」
 文「ヘエ」
 と文七が包《つゝみ》を持って旦那の後《あと》へ随《つ》いて観音様へ参詣を致し、彼《あ》れから吾妻橋へ掛りました時に文七は「あゝ昨夜《ゆうべ》此処《こゝ》ン処《とこ》で飛び込もうとしたかと思うと悚然《ぞっ》とするね」と云いながら橋を渡って参りました。
 主人「本所達磨横町というのは何処《どこ》だえ、慥か此所《こゝ》らかと思うが、あの酒屋さんで聞いて見な左官の長兵衞さんというお方がございますかッて」
 文「ヘエ……少々物を承ります、エヽ御近所に左官の長兵衞さんて方がございますか」
 番頭「それはね、彼処《あすこ》の魚屋の裏へ這入ると、一番奥の家《うち》で、前に掃溜《はきだめ》と便所《ちょうずば》が並んでますから直《じき》に知れますよ」
 主人「大きに有難う存じます、それから五升の切手を頂戴致します、柄樽《えたる》を拝借致します、樽は此方《こちら》で持って参りますから」
 と代を払って魚屋の路地へ這入って参ります。此方は長兵衞の家《うち》は昨夜《ゆうべ》
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