ず》は何うした、なぜ縁側から突落《つきおと》した、お女郎《じょうろ》だアから子を持ったことが無《ね》えから、子の可愛い事は知りますめえが、あんたに子が出来て御覧なさえ、一つでも打《はた》くことは出来ねえよ、辛いから児心にも己《おら》ア方へ行きてえと云うのだ、おらは正太を此処《こゝ》へは置かれましねえよ」
七「お婆さん何処《どこ》までも正太は連れて行くと云うが、家督させようと云うので何う有っても遣《や》らぬてえば何うする」
婆「遣らぬと云えば命に掛けても連れて往《い》きやすべえ、打《ぶ》ったり擲《たて》えたりして疵を付けるような内へは置かれやしねえじゃアござんねえか、何処へ出てもお代官様へ出ても連れて行《い》くだア、はア」
七「そんな事を云って……正太|手前《てめえ》お婆さんの方へ行きたいか」
正「行きたいや」
婆「それ見なさえよ、善《よ》く云った、何うあっても縁切で」
七「そんなら上げましょう、其の代り何《なん》ですぜ、お前《まえ》さんの処とは絶交ですぜ」
婆「絶交でも何でも連帰りやすべえ」
七「行通《ゆきかよ》いしませんよ」
婆「当りまえ、おらア方で誰が来《こ》べえ、お前《めえ》さんのような女房が死んで一周忌も経たねえ中《うち》、女郎《じょうろ》を買って子供に泣きを掛けるような人では、何《ど》んな事が有ってもお前さんの側へは参《めえ》りませんよ、碌《ろく》な物も喰わせねえではア」
梅「あゝ云うことを云って、正太が云ッつけるからですよ」
婆「何云ったって是が皆《みん》な知って居らア、何だ、さア正太来い」
と中々田舎のお婆さんで何と云っても聴きません。到頭強情で、正太郎を負《おぶ》って連れて帰った。さア一つ災《わざわい》が出来ますと、それからとん/\拍子に悪くなります。
十五
翌年湯島六丁目の藤屋火事と申して、自宅から出火で、土蔵|二戸前《ふたとまえ》焼け落ち、自火《じか》だから元の通り建てる事も出来ませんで、麻布《あざぶ》へ越しましたが、それから九ヶ年過ぎますると寛政四|壬子年《みずのえねどし》麻布大火でござります。市兵衛町《いちべえちょう》の火事に全焼《まるやけ》と成りまして、忽《たちま》ちの間に土蔵を落す、災難がある、引続き商法上では損ばかり致して忽ち微禄して、只今の商人方《あきんどがた》と異《ちが》って其の頃は落るも早く、借財も嵩《かさ》み、仕方が無いから分散して、夫婦の中に十歳になりますお繼という娘を連れて、行《ゆ》く処《ところ》もなく、越中《えっちゅう》の国|射水郡高岡《いみずごおりたかおか》と云う処に、萬助《まんすけ》という以前の奉公人が達者で居ると云うから、これを頼って行《ゆ》き、大工町《だいくちょう》という片側町《かたかわまち》で、片側はお寺ばかりある処へ荒物店《あらものみせ》を出し、詰らぬ物を売って商い致す中《うち》に、お梅もだん/\慣れまして、外《ほか》に致方《いたしかた》も無いから人仕事《ひとしごと》を致しますし、碌には出来ませんが、前町《まえまち》は寺が多いからお寺の仕事をします。和尚さんの着物を縫ったり、納所部屋《なっしょべや》の洗濯をしたり、よう/\と細い煙りを立てまして居ります中《うち》、お話は早いもので、もう此の高岡へ来ましてから三年になりますが、大工町に宗慈寺《そうじじ》という真言宗の和尚さんは、永禪《えいぜん》と申して年三十七でございます。此の人は誠に調子の宜《い》い和尚さんで、檀家の者の扱いが宜しいから信じまして、畳を替える本堂の障子を張替《はりかえ》る、諸処を修繕するなど皆檀家の者が各番《かくばん》に致す、田舎寺で大黒の一人ぐらいは置くが、この和尚は謹慎《つゝしみ》のよい人故仕事はお梅を頼み、七兵衞が来ると調子宜くして、
永「お前は以前《もと》大家《たいけ》と云うが、災《わざわい》に遭《あ》って微禄して困るだろう、資本《もとで》は沢山は出来ぬが十両か廿両も貸そう」
と云って金を貸す。苦し紛れに借ると返せないから言訳に行くと、
永「もう十両も持って行《い》け」
と三四十両も借財が出来ましたから、お梅は大事にしてはお寺へ手伝《てづた》いに行《ゆ》き宜く勤めます。ちょうど九月節句前、鼠木綿の着物を縫上げて持って行《ゆ》くと、人が居ないから台所から上《あが》り、
梅「あの眞達《しんたつ》さん、庄吉《しょうきち》さん……居ないの、何方《どなた》も入《いら》っしゃいませんか」
永「誰《たれ》じゃ」
梅「はい」
永「おゝお梅さんか、此方《こっち》へ来なさい」
梅「はい、まことに御無沙汰致しました」
永「いゝや最《も》う何《ど》うも、もう出来《でけ》たかえ、早いのう、今ねえ皆|使《つかい》に遣《や》ったゞ、眞達も庄吉も居ないで退屈じゃア有るし、それに雨が降って来た故」
梅「いゝえ大した雨でもございません、どうと来るようで又あがりそうでございますよ」
永「そうかえ、檀家の者も来ぬから一人で一杯遣って居たのよ、おゝ着物がもう出来《でけ》たか、好《よ》う出来た」
梅「お着悪《きにく》うございましょうが……お着悪ければ又縫直しますから召して御覧なさいまし」
永「好う出来《でけ》た、一盃|酌《つ》いで呉れんかえ、何《なん》ぼう坊主でも酒の酌《しゃく》は女子《おなご》が宜《え》え、妙なものだ、出家になっても女子は断念出来ぬが、何うも自然に有るもので、出家しても諦められぬと云うが、女子は何うも妙に感じが違う」
梅「旨いことを仰しゃること、あなた此の間の松魚節味噌《かつおぶしみそ》ね、あれは知れませんから又|※[#「赭のつくり/火」、第3水準1−87−52]《に》て来ましょう」
永「あれか、旨かった、あれ宜《え》えのう……一盃遣りなさい」
と一盃飲んでお梅に献《さ》す、お梅が飲んで和尚に献す。その中《うち》酒の酔《えい》が廻って来まして、
永「眞達は帰りませんわ、大門《だいもん》まで遣ったが、お梅はんお前もまア一昨年から前町へ来て、彼《あ》のようにまア夫婦暮しで宜《よ》く稼ぎなさるが、七兵衞さんは以前《もと》大家の人ですが、運悪く田舎へ来てなア気の毒じゃ、なれど此の高岡は家数《やかず》も八千軒もある処で、良い船着《ふなつき》の処《とこ》じゃが、けれども江戸御府内にいた者は何処《どこ》へ行っても自由の足りぬものじゃ、さぞ不自由は察しますぞよ……お梅はん私《わし》をお前忘れたかえ、覚えて居まいのう」
十六
梅「はい覚えてと仰しゃるは」
永「私《わし》の顔を忘れたかえ、十三年も逢わぬからなア」
梅「そうでございますか、じゃア旦那江戸にいらっしゃいましたことが有るの」
永「お前は以前《もと》根津の増田屋の小増という女郎《じょうろ》だね」
梅「あれ不思議な、旦那|何《ど》うして知れますの」
永「何うしたって、それは知れる、忘れもしない十三年|前《あと》、九月の月末《つきずえ》からお前の処へ私《わし》も足を近く通った、私は水司又市だが忘れたかえ」
梅「おやまア何うも、旦那|然《そ》う仰しゃれば覚えて居ますよ、だけれどもお髪《ぐし》が変ったから些《ちっ》とも分りませんよ……何うもねえ」
永「何うもたって私《わし》は忘れはせんぜ、お前|此処《こゝ》へ来ると直《す》ぐ知れた、若いうち惚れたから知れるも道理、私は頭ア剃《そり》こかして此の宗慈寺へ直って、住職して最《も》う九年じゃアが、斯《こ》うなってから今まで女子《おなご》は勿論|腥《なまぐさ》い物も食わぬも皆お前故じゃア」
梅「私ゆえとは」
永「忘れやアしまい、お前が斯様《かよう》じゃア、榊原藩の中根善之進は間夫《ふかま》じゃアからと云うて、金を私《わし》の膝へ叩き付けてな忘れやアしまい」
梅「あれ昔の事を云っては困りますね、年の往《い》かない中《うち》は下《くだ》らないもので、女郎《じょろう》子供とは宜《よ》く云ったもので、冥利《みょうり》が悪いことで、その冥利で今は斯うやって斯う云う処へ来て、貧乏の世帯《しょたい》にわく/\するも昔の罰《ばち》と思って居りますよ」
永「丁度あのそれ忘れやアせんで、あの時叩付けられたばかりでない、大勢で悪口《あっこう》云われ、田舎武士と云って、手前などが女子《おなご》を買っても惚れられようと思うは押《おし》が強いなどと云って、重役の権《けん》を振《ふる》って中根が打擲《ちょうちゃく》して、扇子の要《かなめ》でな面部を打割られたを残念と思って、私《わし》は七軒町の曲角《まがりかど》で待伏《まちぶせ》して、あの朝善之進を一刀に切ったのは私じゃアぜ」
梅「あれまアどうも」
永「宜《よ》えか、斯《こ》う打明けた話じゃが切ってしまって眼が醒《さ》めて、あゝ飛んだ事をしたと思ったがもう為《し》てしまい是非がない、とても屋敷には居《い》られない、外《ほか》に知己《しるべ》がないから風《ふ》っと思い付き、此処《こゝ》に伯父が住職して居るから金まで盗んで高飛《たかとび》し、頭を剃《そっ》こかして改心するから弟子にしてと云うて、成らぬと云うを強《たっ》て頼み、斯う遣《や》って今では住職になって、十三年も衣を着て居るもお前故じゃないか、人を殺したのもお前故じゃ」
梅「何うもねえ、然《そ》うで、何うもねえまア、何うもねえ、元は私が悪いばかりで中根さんも然ういう事になり、罪作りを仕ましたねえ」
永「七兵衞さんは知るまいが、金を貸すもお前故だ、是まで出家を遂《と》げても、お前を見て私《わし》は煩悩が発《おこ》って出家は遂げられませんぜ」
梅「お前さん……あれ、何をなさる、いけませんよ、眞達さんが帰るといけません、あれ」
永「私《わし》ももう隠居しても宜《え》えじゃア、どの様な事が有っても此処《こゝ》は離れやアせんじゃ、後住《ごじゅう》を直して、裏路《うらみち》の寂しい処へ隠居家《いんきょや》ア建てゝ、大黒の一人ぐらいあっても宜えじゃア、七兵衞さんが得心なれば何うでもなる、此方《こっち》へ来て金も沢山貯めて居るが、嫌かえ、私はお前故斯う遣って人を殺して出家になり、お前が又来て迷わせる、罪じゃアないか」
とぐっと手を引き、お梅の脊中へ手を掛けて膝を突寄《つきよ》せた時は、お梅はあゝ嫌と云うたら人を殺すくらいの悪僧、どんな事をするか知れぬ、何うかして此処を切抜け様と心配致すが、此の挨拶は何うなりますか、一寸《ちょっと》一息《ひといき》つきまして。
十七
藤屋の女房お梅は、十三年振で図《はか》らずも永禪和尚に邂逅《めぐりあ》いまして、始めの程は憎らしい坊主と思いましたなれども、亭主が借財も有りますから一《いッ》か遁《のが》れと思いましたも、固《もと》より汚《よご》れた身体ゆえ、何うかして欺《だま》し遂《おお》せて遁れようと言いくるめて居ります中《うち》に、度々《たび/\》参ると、彼方《むこう》でも親切に致しますも惚れて居りますから、何事もお梅の云う通りに行届《ゆきとゞ》き、亭主は窮して居りますから、固より不実意の女と見えて、永禪和尚の情にひかされて宗慈寺へ日泊《ひどまり》を致す様に成りましたが、お梅は年三十になりますから少ししがれて見えますが、色ある花は匂い失せずの譬《たと》え、殊《こと》に以前勤めを致した身でございますから取廻しはよし、永禪和尚の法衣《ころも》を縫い直すと申して、九月から十月の中頃まで泊り切りで、家《うち》はお繼という十二歳になる娘ばかりで、一日も帰って来ませんで、まことに不都合だから、藤屋七兵衞は腹立紛れに寺へ来て見ると、台所に誰《たれ》も居りません。
七「庄吉《しょうきっ》さん……お留守でげすか……御免なせえ」
と納所部屋へ上って、
七「開けても宜《よ》うがすか……おや眞達さんも誰も居ない、何処《どこ》へお出でなさった……旦那様お留守でげすか、お梅は居りませんか」
と納所部屋から段々|庫裏《くり》から本堂の方へ来ると、本堂の後《うしろ》に一寸《ちょっと》した小座敷がございます、此処《こゝ》にお梅と二人で差向い、畜生めという四つ足の置火燵《おきごたつ》で、ちん/\鴨だか鶩
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