《どうぞ》面倒を見て下さるようにお頼み申すぞ」
山「あゝ忝《かたじけ》のうござる」
と重二郎の心底|何《なに》とも申し様もございませんから、貰いました路銀を戴きます。
重「達者で行って参れよ」
とちゃら/\雪駄穿《せったばき》で行《ゆ》くのを、二人は両手を合せて泣きながら見送ります。重二郎は深い了簡がある事で、其の儘屋敷へ帰りましたが、二人は何うしても仇を討たんでは帰られません。これから仇討出立に相成りますが、一寸《ちょっと》一息つきまして。
十二
偖《さて》お話は二《ふたつ》に分れまして、水司又市は恋の遺恨で中根善之進を討って立退《たちの》きました。本《もと》はと云えば増田屋の小増と云う別嬪からで、婦人に逢っては何《ど》んな堅い人でも騒動が出来ますもので、だがこの小増は余程勤めに掛っては能《よ》く取った女と見えて、その事を後《あと》で聞いて、
小増「彼《あ》の時私があゝ云う事をした故|斯《こ》う云う事になったのだろう、中根はんは可愛相な事をした、気の毒な」
とくよ/\欝《ふさ》ぎまして見世を引いて居りますから、朋輩は
「くよ/\しないでお線香でも上げて、お前《ま》はんお題目の一遍もあげてお遣《や》んなはい」
と勧められ、くよ/\して客を取る気もなく情《じょう》のある様な振《ふり》をするも外見《みえ》かは知れませんが、皆来ては悔《くや》みを云う。処が翌年になって風《ふ》と来た客は湯島《ゆしま》六丁目|藤屋七兵衞《ふじやしちべえ》と云う商人《あきゅうど》、糸紙《いとかみ》を卸《おろ》す好《よ》い身代で、その頃此の人は女房が亡《なくな》って、子供二人ありまして欝いで居るから、仲間の者が参会の崩れ
「根津へ行って遊んで御覧なさらんか、ちょうど桜時で惣門内を花魁《おいらん》の姿で八文字《はちもんじ》を踏むのはなか/\品が好く、吉原も跣足《はだし》で、美くしいから行って御覧なさい」
と誘われて行《ゆ》くと、悪縁と云うものは妙なもので、増田屋の小増は藤屋七兵衞の敵娼《あいかた》に出る、藤屋七兵衞の年は二十九だが、品が好い男で、中根善之進に似ている処から一寸《ちょっと》初会に宜《よ》く取ったから足を近く通う気になり、女房はなし、遠慮なしに二会馴染《うらなじみ》をつけ、是から近《ちか》しく来るうち互に深くなり、もう年季は後《あと》二年と云うから、そんなら身請《みうけ》しようと云い、大金を出して其の翌年の二月藤屋の家《うち》へ入る。手に採《と》るな矢張野に置け蓮華草《れんげそう》、家《いえ》へ入ると矢張並の内儀《おかみ》さんなれども、女郎に似合わぬ親切に七兵衞の用をするが、二つになるお繼《つぎ》という女の子に九つになる正太郎《しょうたろう》という男の子で悪戯盛《いたずらざか》り、可愛がっては居りますけれども、何《ど》うも悪態をつき、男の子はいかんもので、
正「己《おら》ん処《とこ》のお母《かあ》はお女郎だ、本当の好《よ》い花魁ではない、すべた女郎だ」
なんどと申しますから、
増「小憎らしい、此の子供《がき》は悪態をつく」
と頬片《ほゝぺた》を捻《つね》る、股たぶらを捻る、女郎は捻るのが得手で、禿《かむろ》などに、
「此の子供《がき》アようじれってえよ」
などゝ捻るものでございます。正太郎を其の如くに捻ったり打擲《ちょうちゃく》を致しますから痣《あざ》だらけになります。さア奉公人は贔屓《ひいき》をする者もあり、又|先《せん》の内儀《おかみさん》が居《お》れば斯《こ》んな事はないなどと云い、中には今度の内儀は惣菜の中に松魚節《かつおぶし》に味淋《みりん》を入れるから宜《い》いなどと小遣《こづかい》を貰うを悦ぶ者もあり、小僧も彼方此方《あちらこちら》へ付きまして内がもめまする。先妻は葛西《かさい》の小岩井村《こいわいむら》の百姓|文左衞門《ぶんざえもん》の娘で、大根畠《だいこんばたけ》という処に淺井《あさい》様と云うお旗下《はたもと》がございまして其の処へ十一歳から奉公をして居りましたから、江戸言葉になりまして、それに極《ごく》堅い人で、家を治めて居りました処が、夭死《わかじに》を致しましたけれども、田舎は堅いから娘を嫁付《かしづ》けますと盆暮には屹《きっ》と参りますが、此方《こちら》では女房が死んでからは少しも音信《おとづれ》をしない、けれども、向うには二人の孫があるので、柿時には柿を脊負《しょ》って婆様《ばあさま》が出掛けて来ます。
婆「はア御免なせえ」
男「へいお出でなさい、久しくお出でなさいませんね」
婆「誠に無沙汰アしました、皆《みんな》は変りねえか」
男「へい皆《みな》変る事もござりません…あの坊ちゃん田舎のお婆さんがお出でなすったよ」
と云うと嬉しいから、ちょこ/\と駈出して来て、
正「お婆さんおいで」
婆「何うした、毎度来てえ/\と思っても忙しくて来《き》られねえで、汝《われ》が顔を見てえと思って来たが、なにかお繼は達者か、なにか店へも出ねえが疱瘡《ほうそう》したか、然《そ》うだってえ話い聞いた、それ汝《われ》がに柿を持って来た、はア喰え」
正「柿、有難う、田舎のお婆さんが柿を持って来てくれると宜《い》いって然ういって居たが、お父《とっ》さんが、あのまだ青いから最《も》う少したって、お月見時分には赤くなるからってそう云ったよ」
婆「何だか知らねえがお母《っかア》が異《ちが》って何うせ旨くは治《おさま》るめえ、汝《われ》が憎まれ口でも叩いて、何うせな家《うち》もうなや[#「うなや」に傍点][#欄外に校注:おだやか○平穏○]にゃア往《い》くめえと文吉《ぶんきち》も心配して居るが、何うも仕方がねえ、早く女親に別れる汝だから、何うせ運は好《よ》くねえと思って居るが、何でも逆らわずにはい/\と云って居ろよ」
十三
正「はい/\て云って居るの、あのねえお手習に往《い》くのも六つの六月から往くと宜《い》いて云ったけれども早いからてね、七つの七月から往く様になったから、先《せん》にはお弁当なんぞも届けて呉れるのだが、今度のお母《っか》さんが来てからは然《そ》う往かないの、お父さんが何処《どこ》かへ行ってもお土産に絵だの玩具《おもちゃ》だの買って来たが、此の頃は買って来ないでお母さんの物|計《ばか》り簪《かんざし》だの櫛《くし》だのを買って来て、坊には何にも買って来てくれないよ」
婆「汝《われ》のような可愛い子があっても子に構わず後妻《のちぞい》を持ちてえて、おすみの三回忌も経たねえうち、女房を持ったあから、汝よりは女郎《じょうろ》の方が可愛いわ……虐《いじ》めるか」
正「怖ろしく虐めるの、縁側から突飛《つきとば》したり…こんなに疵《きず》が有るよ、あのね裁縫《しごと》が出来ないに出来る振をして、お父さんが帰ると広げて出来る振をして居るの、お父さんが出て行《ゆ》くと、突然《いきなり》片付けて豌豆《えんどうまめ》が好きで、湯呑へ入れて店の若衆《わかいし》に隠して食べて居るから、お母さんお呉れって云ったら、遣《や》らないと云ってね、広がって居るから縫物《しごと》を踏んだら突飛して此処《こゝ》を打って、顋《あご》へ疵が出来たの」
婆「呆れた、大《でか》い疵があるに気が注《つ》かねえで居た、それで汝《われ》黙って居たか、父《ちゃん》に云わねえか」
正「云った、云ったけれどもお母さんが旨く云って、おのお前の着物を縫っていると踏んだから、いけないと云ったら、態《わざ》と踏んだから縫物《しごと》を引張《ひっぱ》ったら滑って転んだって然《そ》ういって嘘をつくの、先《せん》のお母さんが生きていると宜《い》いんだけれども、お婆さんの処へ逃げて行《い》こうと思った、連れてって呉れねえか」
婆「おゝ連れて行かねえで、見殺しにする様なもんだから、可愛そうに、汝《われ》に食わせべえと思って柿を持って来たゞ」
正「あのね麦焦《むぎこがし》が来ても、自分で砂糖を入れて塩を入れて掻廻してね、隠して食べて、私には食べさせないの、柿もね、皆《みん》な心安い人に遣《や》って坊には一つしか呉れないの、渋くッていけないのを呉れたの」
婆「それは父《ちゃん》に汝《われ》いうが宜《よ》い」
正「云ったっていけない、いろんな嘘をついて云つけるからお父さんは本当と思って、あのお母さんは義理が有るのだから大事にしなければならない[#「ならない」は底本では「なならい」]、優しくすれば増長する、今からそれじゃアいけねえってねえ、一緒になってお父さんが拳骨で打《ぶ》って痛いやア」
婆「あれえ一緒になって、呆れたなア本当にまア、好《え》え、七兵衞どんに己《おれ》逢って、汝《われ》だけはお婆さんが連れて行《い》く、田舎だアから食物《くいもの》アねえが不自由はさせねえ、十四五になれば立派な処《とけ》へ奉公に遣って、藤屋の別家を出させるか、然《そ》うでなければ己が方の別家《べっけ》えさせるから一緒に行くか」
正「行きたいやア、だから田舎で食物が無くってもお母さんに抓《つね》られるより宜《い》いから行くよ」
七「何方《どなた》かお出でなすった……おやお出でなさい、榮二郎《えいじろう》お茶を持って来てお婆さんに上げな、田舎の人だから餅菓子の方が宜《い》いから……宜《よ》くお出でなすったね、お噂ばかり致して居りまして、此方《こちら》から一寸《ちょっと》上《あが》らなければ成らんですが、何分忙がしいので店を空けられないで、御無沙汰ばかり、まア此方へ」
婆「はい御免なせえ、御無沙汰アして何時《いつ》も御繁昌と聞きましたが、文吉も上《あが》らんではならねえてえ云いますが、秋口は用が多いで参《めえ》り損《そく》なって済まねえてえ噂ばかりで、お前《めえ》さんも達者で」
七「まことに宜くお出でなすった、帝釈様《たいしゃくさま》へお詣《まい》りに行こうと思って、帰りがけにお寄り申そうとお梅《うめ》とも話をして居たが……お梅」
梅「おや宜く入《いら》っしゃいました、宜く田舎の人は重い物を脊負《しょ》ってねえ」
婆「はい御無沙汰、はい己《おら》が屋敷内に実《な》りました柿で、重くもあるが何《ど》うかまア渋が抜けたら孫に呉れべえと、孫に食わしてえばっかりで、重《おめ》えも厭《いと》わず引提《ひっさ》げて来ましたよ……はア最う構わず、飯も食って来ましたから、途中で足い労《つか》れるから蕎麦ア食うべえと思って、両国まで来て蕎麦ア食ったから腹がくちい、構って下さるな…七兵衞さん、私《わし》参《めえ》って相談致しますが、惣領の正太郎は私が方へ引取《ひきと》るから」
七「何《なん》で、何《ど》ういう訳で」
十四
婆「何ういう訳もねえ、おらが方へ来てえだ云うが、おらが方へ置きたくはねえが、お前様《めえさま》ア留守勝で家《うち》の事は御存じござんねえが、悪戯《いたずら》は果《はた》すかは知らねえが、頑是《がんぜ》がねえ十《とお》にもなんねえ正太郎だから、少しぐれえの事は勘弁して下さえ」
七「あれさお婆さん極りを云って居るぜ、来ると愚痴を云うが、私《わし》の子だもの、奉公人も付いて居るわね……正太は又田舎のお婆さんに何か云ッつけたな」
正「何も云ッつけやアしない、お婆さんが彼方《あっち》へ連れて行くてえから行きてえや」
七「行きたいと」
婆「何ういう訳で大事の親父《おやじ》をまず捨てゝ、己《おら》が方の田舎へ来てえ、不自由してもと児心《こゞころ》にも思うは能《よ》く/\だんべえと思うからお呉んなさえ、縁切《えんきり》でお呉んなさえ」
七「そんな馬鹿な事を云ってはいけません」
婆「何故《なぜ》そんならぞんぜえに育てるよ」
七「ぞんざいに育てはしませんよ」
梅「旦那……正太郎が云ッつけたのでお婆さんは然《そ》うと思って居るのでしょう、私だっても頑是がないから、それは彼《あ》れも我儘を致しますが、邪慳《じゃけん》に育てることは出来ません、仏様の前も有りますから、私も来たての身の上で私が邪慳に育てるようなことは有りませんよ」
婆「邪慳にしないてえ、これが顋《あご》の疵《き
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