て、亭主を欺《だま》し遂《おお》せて、他《ほか》で逢引する事が知れた時は、腹を立たぬ者は千人に一人もございません。武田重二郎は中根の家へ養子に来てからお照が同衾《ひとつね》を為《し》ないのは、何か訳があろうと考えを起して居ります処へ、家来傳助がこれ/\と証拠の文を見せたから、常と違って不埓至極な奴、さア案内しろと云う。傳助も飛んだ事を云ったと思っても今更仕方がありません。重二郎は団子屋のお金の家へ裏口から這入った時はおきんは驚きまして、
きん「何うか私《わたくし》が悪いからお嬢様をお助けなすって下さい」
と袖に縋《すが》るを振切って、どん/\と引提《ひっさ》げ刀で二階へ上《あが》りました時に、白島山平もお照も唯《た》だ恟《びっく》り致して、よもや重二郎が来ようとは思わぬから、膝に凭《もた》れ掛って心配して、何う致そう、寧《いっ》その事二人共に死んで仕舞おうかと云って居る処へ、夫が来たので左右へ離れて、ぴったり畳へ頭《かしら》を摺付《すりつ》けて山平お照も顔を挙《あ》げ得ません。おきんは是れは最《も》う屹度《きっと》斬ると思い、怖々《こわ/″\》ながら上《あが》って来て、
きん「何卒《どうぞ》御勘弁なすって下さい、お願いでございます」
重「まア/\静かに致せ、そう騒いではいかん、世間で何事かと思われる、えゝ何も騒ぐ事はない……これさお照お前|何故《なぜ》そんなに驚きなさる、私《わし》が来たので畳へ頭《かしら》を摺付け、頭を挙げ得ぬが、何《なん》と心得て左様に恐れて居《い》るのか、何うも何ともとんと私には分りません……山平殿それでは誠に御挨拶も出来ぬから頭を挙げて下さい…きん、静かに致して下の締りを宜《よ》くして置くが宜いぞ、よう、賊でも這入るといかぬ」
きん「はい誠に何うも何ともお詫《わび》の致方《いたしかた》もございません、お嬢様が何も私《わたくし》が旧来奉公を致し、他に行《ゆ》く処もないからきんや家《うち》を貸せと仰しゃった訳でもございません、世間見ずで入《いら》っしゃいますから人の目褄《めつま》に掛ってはなりませんと私がお招《よ》び申したのが初めで、何卒《どうぞ》/\御勘弁なすって」
重「これさ静かにしろよう、何だか分りませんが、それじゃア何か差向《さしむかい》で居《い》る処へ私《わし》が上って来たから、山平殿と不義|濫行《いたずら》でもして居ると心得て、私が立腹して此《こ》れへ上って来た故、差向で居た上からは申訳《もうしわけ》は迚《とて》も立たぬ、さア済まぬ事をしたと云うので左様に驚きましたか、左様か、然《そ》うだろう、然うでなければ然う驚く訳はない、誠にきん貴様は迷惑だ…のう山平殿、役こそ卑《ひく》いが威儀正しき其の許《もと》が、中々常の心掛けと申し、品行も宜しく、柔和温順な人で、他人《ひと》の女房と不義などをうん…なア…為《す》る様な非義非道の事を致す人でないなア……が差向で居《お》ったが過《あやま》りであった、男女《なんにょ》七歳にして席を同じゅうせずで、申訳が立たぬと心得て、山平殿も恐れ入って居《お》らるゝ様子、照も亦済まぬ、何う言訳しても身のあかりは立つまい、不義と云われても仕方がない、身に覚えはないけれども是れに二人で居たのが過り、残念な事と心得て其の様に泣入って居《お》ることか、何とも誠に気の毒な、飛んだ処へ私が上って来たのう、そう云う訳は決してないのう、きん」
きん「はい/\決して夫《そ》れはそう云う、あの、其様《そん》などうも訳ではございませんから」
十
重「だからノウ、私《わし》が養子に来ぬ前から照の心掛は実に感心、云わず語らず自然と知れますな、と申すは昨年霜月三日にお兄様《あにさま》は何者とも知れず殺害《せつがい》され、如何《いか》にも残念と心得、御両親は老体なり、武士の家に生れ、女ながらも仇《あた》を討たぬと云う事はないと心掛けても、何《ど》うも相手は立派な士《さむらい》であり、女の細腕では討つ事ならず、誰《たれ》を助太刀に頼もう、親切な人はないかと思う処へ、親《ちか》しく出入《でいり》を致す山平殿、殊《こと》に心底も正しく信実な人と見込んだから、兄の仇討《あだうち》に出立したいと助太刀を頼んだので有ろうが、山平殿は私には然《そ》うはいかん、御養子前の大切の娘御を私が若い身そらで女を連れて行《ゆ》く訳には往《い》かん、両親の頼みがなければいかんなどと申されて、迚《とて》もお用いがないのを、止むを得ず助太刀をして下さいと照が再度貴公に頼んだは実に奇特《きどく》な事で、頼まれてもまさか女を連れて行《ゆ》く訳にもいかず、此方《こちら》は只管《ひたすら》頼むと云う、是は何うも山平殿も実に困った訳だが、私が改めてお頼み申す訳ではないが、山平殿、中根善之進殿を討ったは水司又市と私は考える、彼《あ》の日逐電して行方知れず、落書《らくがき》だらけの扇子《おうぎ》が善之進殿の死骸の側に落ちて有ったが、その扇子は部屋で又市が持っていた事を私は承知して居《い》るから、敵《かたき》は私の考えでは又市に相違なし、お国表へ立廻る彼《あ》アいう悪い心な奴、殊に腕前が宜しいから何《ど》んな事を仕出《しで》かすかも知れん、故に私が改めて貴公に頼むは、何うか隠密《おんみつ》になってお国表へ参って、貴公が何うか又市を取押えて呉れんか……照お前は何処迄《どこまで》も又市を探《たず》ねて討たんければならぬが、私から山平殿に一緒に行って下さいとは、何うも養子に来て間もなし、頼む訳には表向《おもてむき》いかんから、お前はお父様《とっさま》やお母様《っかさま》への申訳に、私《わたくし》も武士の家へ生れ女ながらも敵討を致したい故、池の端の弁天様へ、兄の仇《あだ》を討たぬ中《うち》は決して良人《おっと》を持ちませんと命に懸けての心願である処へ、強《た》って養子をしろと仰しゃるから養子をしたが、重二郎とは未《いま》だ同衾《ひとつね》を致しませんのは、是まで私が思い立った事を果《はた》さずば、何うも私が心に済みません、神に誓った事もあり、仇討《あだうち》に出立致す不孝の段はどの様にもお詫致す、無沙汰で家出致す重々不埓はお宥《ゆる》し下さいと、文面は私《わし》が教えるから私の云う通りに書きなさい、また山平殿は……貴公に倶《とも》に行って下さいとは云われないが、山平殿は国表へ参って彼《かれ》を取調べ、助太刀をしてお照が仇討をして帰る時、貴公も共に其の所へ行合《ゆきあ》わし、幸い助太刀をして本意を遂げさせしと云ってお帰りになれば、貴公の家は何うか潰《つぶ》さぬ様に致そう、重二郎刀に掛けても致すから、二人へ改めて頼む訳にはいかんが、然うして仇《あだ》を討たせて望《のぞみ》を叶《かな》えてやって下さい…お前は奉公した事がないからお父様お母様に我儘を云うが、山平殿は親切なれども長旅の事、我儘な事を云って山平殿に見捨てられぬ様に中好《なかよ》う、なにさ若《も》し捨てられては仇は討てず、亦これから先は長い旅、水も異《かわ》り気候も違うから、詰らん物を食して腹を傷《いた》めぬ様にしなさい、左様《そう》じゃアないか、何でも身を大切にして帰って来てくれんければ困りますぞ、縦《たと》えあゝは仰しゃるが、二人で居たから密通と思召《おぼしめ》すに違いない、密通もせぬに然う思われては残念と刃物三昧でもすると、お父様お母様に猶更《なおさら》済みませんぞよ、必ずとも道中にて悪い物を食して、腹に中《あた》らぬ様にしなさるが宜《よ》いのう、お照」
と五月《いつゝき》になるお照の身重の腹を、重二郎に持って居ります扇でそっと突かれた時は、はッとお照は有難涙《ありがたなみだ》に思わず声が出て泣伏しました。
十一
山平も面目なく、
山「何共《なにとも》申訳はござらぬ、重々不埓至極な事拙者…」
重「いゝや少しも不埓な事はござらん、国表に於《おい》て又市が何《ど》んな事を為《す》るか知れん、万一重役を欺《あざむ》き、大事は小事より起る譬喩《たとえ》の通りで捨置かれん……お父様お母様へも書置を認《したゝ》めるが宜《よ》い……硯箱《すゞりばこ》を持って来な」
きん「はい」
重「硯箱を早く」
きん「はい」
重「何《な》んだ是は、松魚節箱《かつおぶしばこ》だわ」
きん「はい」
と漸《ようや》く硯箱を取寄せて、紙《かみ》筆《ふで》を把《と》らせましても、お照は紙の上に涙をぽろ/\こぼしますから、墨がにじみ幾度も書損《かきそこ》ない、よう/\重二郎の云う儘に書終り、封を固く致しました。
重「これは私がお母様の何時《いつ》も大切に遊ばす彼《あ》の手箱の中へ入れて置く……きん、何《ど》うも長い間|度々《たび/\》照が来てお前の家《うち》でも迷惑だろう、主人の娘が貸してくれと云うものを出来ぬとは義理ずくで往《い》かんし、親切に世話をしてくれ忝《かたじけ》ない、多分に礼をしたいが、帰り掛《がけ》であるからのう、是は誠に心ばかりだが世話になった恩を謝するから」
きん「何う致しまして私《わたくし》がそれを戴いては済みません、何うかそれだけは」
重「いゝや、其の替り頼みがあるが、今日|私《わし》が来て照と山平殿に頼んで旅立をさせた事は、是程も口外して呉れては困る、少しも云ってはならぬよ、口外して他《ほか》から知れゝば、お前より外《ほか》に知る者はないから拠《よんどころ》なくお前を手に掛けて殺さなければならんよ」
きん「はい/\/\どう致しまして申しません」
重「じゃア宜しい、さア山平殿、照早く表へ出なさい、宜しいから先に立って出なさい」
二人は何事も只《た》だ有難いと面目ないで前後不覚の様《よう》になって、重二郎の云う儘に表へ出に掛る。台所口の腰障子を開《あ》け、
重「大きに厄介になった…さア心配しなくも宜《よ》い、出なさい」
照「はい…金や長々お世話になりました」
きん「それじゃア直ぐに遠い田舎へいらっしゃいますか、親切にあゝ仰しゃって下さるから、本当に敵《かたき》を討ってお出でなさいよ」
照「誠に面目次第もございません」
重「口をきいてはいかん、さア/\」
と二人を連れて出ると、傳助は提灯を持って路地に待って居りまして、
傳「誠に何うも宜く御勘弁なすって」
重「これ静かに致せ、両人《ふたり》を手討に致し他《た》を騒がしては宜しくないから」
傳「へい…」
重「人知れぬ処へ行って両人《りょうにん》とも討果すから袂《たもと》を押えて遁《にが》さぬように」
傳「へえ……へ宜しゅう」
重「これ提灯を腰へさせ」
傳「へい」
と両人の袂を押えて重二郎に従って、池の端弁天通りから穴の稲荷の前へ参りますと、
重「これ/\、もう往来も途切れたな」
傳「へえー何うぞ御勘弁の出来ます事なれば願いとう、私《わたくし》は斯《こ》う云う事とは心得ませんで」
重「静《しずか》に致せ、照、山平、不埓至極な奴、予《かね》て覚悟があろう、それへ直れ」
と云いながらすらりと長いのを抜きましたから、二人は彼《あ》アは云って出たが、是で手討にされることかと覚悟をして、両手を合わせ頸《くび》を伸ばして居る。
重「女から先《ま》ず先へ斬らなければならん、傳助広小路の方から人が来やアしないか」
傳「いゝえ」
と覗《うかゞ》う傳助の素頭《すこうべ》を、すぽんと抜打《ぬきうち》にしましたが、傳助は好《い》い面の皮。
重「あゝいや驚かんでも宜しい、主人の事を有る事無い事|告口《つげぐち》を致す傳助、家に害をなす奴、此処《こゝ》で切殺《きりころ》せば誰《たれ》も知る者はない、試切《ためしぎり》か何かに遭《あ》ったのだろうで済んでしまう」
と小菊の紙を出して血を拭《ぬぐ》い、鞘《さや》に納め、有合せの金子を出して、
重「多分に持参すれば宜かったが、今まで心得なかった故、ほんの持合せで二十金ある、路銀の足しにも成るまいが、是でお前が仇《あだ》を討って帰ってくれんでは、私《わし》が一生不孝者で終らんければならん、お前の家も絶えてはならん、照も実に道に背いた女と云われるもお前の心一つであるぞよ……我儘者だが何卒
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