しも知りません、最《も》う身を切られるより辛うございますけれども、あなたのお言葉でございますから、背《そむ》かず武田から養子致します」
と云いながら、わっと泣き倒れました。
七
おきんも山平も安心して、
きん「宜く仰しゃいました、それで何うでも成ります、またねえ時々お逢い遊ばす工夫もつきますから」
と漸《ようや》く身上《みのうえ》の相談をして、お照は宅へ帰って、得心の上武田重二郎を養子にした処が、お照は振って/\振りぬいて同衾《ひとつね》をしません。家付の我儘娘、重二郎は学問に凝《こ》って居りますから、襖《ふすま》を隔てゝ更《ふけ》るまで書見をいたします。お照は夜着《よぎ》を冠《かぶ》って向うを向いて寝てしまいます。なれども武田重二郎は智慧者《ちえしゃ》でございますから、私《わし》を嫌うなと思いながらも舅姑《しゅうと》の前があるから、照や/\と誠に夫婦中の宜い様にして見せますから、両親は安心致して居ります中《うち》、段々月日が立ちますと、お照は重二郎の養子に来る前に最う身重《みおも》になって居りますから、九月の月へ入って五月目《いつゝきめ》で、お腹《なか》が大きく成ります。若い中《うち》は有りがちでございますから、まア/\淫奔《おいた》は出来ませんものでございます。お照は懐妊と気が付きましたから何うしたら宜《よ》かろう、何うかお目にかゝり相談を為《し》たいと、山平へ細々《こま/″\》と手紙を認《したゝ》め、今日あたりきんが来たらきんに持たせてやろうと帯の間へ挿《はさ》んで居りましたが、何処《どこ》へ振落しましたか見えませんから、又細々と文《ふみ》を認めおきんに渡し、それから直《すぐ》におきんより山平へ届けましたので、九月二十日に団子茶屋へ打寄ったが、此の時は山平は真青《まっさお》になりました。
きん「もし白島様実に驚きましたよ、お嬢|様《さん》は同衾《ひとつね》を遊ばさないので、それだからいけやアしません、同衾をなされば少し位月が間違って居ても瞞《ごま》かしますよ、何うしたって指の先ぐらいは似て居りますから、何うでも出来ますのを、振って/\振抜いて、同衾をしないので隠し様がありませんからさ、押して云えば仕方がないから、私は自害して死ぬばかり、私は二度と夫は持たない、親が悪い、無理に持たせたから当然《あたりまえ》と仰しゃるだけで仕方がありませんよ」
山「露顕しては止むを得ない、何うしても割腹致すまでの事で」
きん「貴方は又そんな事を云って、仕様がございません、それじゃア相談の纏《まと》まり様がございません」
と彼《あ》れの是れのと云って居りますと、折悪しく其の晩養子武田重二郎は傳助《でんすけ》と云う下男を連れて、小津軽《こつがる》の屋敷へ行って、両国を渡って帰り、御徒町《おかちまち》へ掛ると、
重「大分《だいぶ》傳助道が濘《ぬか》るのう」
傳「先程降りましたが宜《よ》い塩梅《あんばい》に帰りがけに止みました」
重「長い間|待遠《まちどお》で有ったろう」
傳「いえもう貴方お疲れでございましょう、御番退《ごばんびけ》から御用|多《おお》でいらしって、彼方此方《あちらこちら》とお歩きになって、お帰り遊ばしても直《すぐ》に御寝《おげし》なられますと宜しいが、矢張お帰りがあると、御新造《ごしんぞ》様と同じ様に御両親が話をしろなどと仰しゃると、お枕元で何か世間話を遊ばして御機嫌を取って、お帰り遊ばしても一口召上って、ゆる/\お気晴しは出来ませんで、誠に恐入りましたな」
重「何も恐入ることはない、私《わし》は仕合せだのう、幼年の時継母に育てられても継母が邪慳《じゃけん》にもしないが、気詰りであったけれど、当家へ養子に来てからは舅御《しゅうとご》が彼《あ》の通り好《よ》い方で、此の上もない仕合せで」
傳「へえ私《わたくし》は旧来奉公致しますが、旦那様も御新造様もいかつい事を云わないお方で、誠に私《わたくし》も仕合せで、実に彼《あ》アいう方でございますから、斯様《かよう》なことを申しては恐入りますが、若御新造様はすこしも御奉公遊ばさない、世間を御存じがない方でございますからな、あなたがお疲れの処へ、御両親様の御機嫌を取ってお長くいらっしゃる時には、御新造様が最《も》うお疲れだからと宜《よ》い様に云ってお居間に連れ申して、おすきな物で一杯上げる様にお気が付くと宜《よろ》しいが、余り遅くお帰りになるのが御意に入らぬのか知れませんが、つーと腹を立ったように、お帰りがあっても碌《ろく》にお言葉もかけない事がありますからな」
重「いゝや然《そ》うでない、御新造は奉公せぬに似合わぬ中々|能《よ》く心付くよ」
傳「へえ……何うも私《わたくし》も旧来奉公致しますが、あなた様には誠に何《ど》うも何《なん》とも済まぬことで、実に恐入ったことで、私は心配致しますが、だからと申して黙っていても何うせ知れますからな」
重「何を」
傳「へえー、誠に何うも恐入って申上げられませんが、実は貴方様に対して御新造様がな、何うも何う云うものか、誠に恐入りますな」
重「大分恐入るが、何《なん》だい」
傳「へえ……申し上げませんければ他《ほか》から知れますからな、却《かえ》って御家名を汚《けが》すようになりますから、御両親様も……また貴方の名義を汚す一大事な事でございますから、外《ほか》のお方様なら申上げませんが、あなた様でございますから何うか内聞に願い、そこの処は世間に知れぬうち御工夫が付きますように参りましょうかと存じますが、何うか御内聞に、何うも何とも恐れ入りまして」
重「恐れ入ってばかりではとんと何だか分らんが、他の事と違って家名に障《さわ》ると、私《わし》が身は何うでもよろしいが、中根の苗字に障っては済まぬが、何《なん》じゃか言ってくれよ、よ、傳助」
八
傳「実は申上げようはございませんが、もう往来も途切れたから申上げますが、御新造様は誠に怪《け》しからん、密夫《みそかお》を拵《こしら》え遊ばして逢引を致しますので」
重「ふう嘘を云え、左様な嘘をつくな決して左様な事は有りません、世間の悪口《わるくち》だろうから取上げるなよ、私《わし》が来ましてから御新造は些《ちっ》とも他《ほか》へ出た事はないぞ、弁天へ参詣に行《ゆ》くにも小女が附き、決して何処《どこ》へも行った事はない」
傳「それが有るのでへえ……実に恐入りますがな、不埓至極なのはお金と申す旧来勤めて居りました団子茶屋おきん、へい彼奴《あいつ》が悪いので、へい、奉公して一つ鍋の飯を喰いました女でございますから宜《よ》く私《わたくし》は存じて居りますが、口はべら/\喋るが、彼奴が不人情で怪《け》しからん奴で、お嬢様を自分の家《うち》の二階で男と密会をさせて、幾らかしき[#「しき」に傍点]を取る、何如《いか》にも心得違いの奴で」
重「そりゃア誰《たれ》がよ、誰が左様なる事を云う、相手は何者か」
傳「相手はそれは何《ど》うも、白島山平と云う彼《あ》の下役の山平で、私《わたくし》も外《ほか》の方なら云いませんが貴方様だから、お舅御様《しゅうとごさま》のお耳にはいらぬ様にお計らいが附こうと思って申しますが、何うも恐入ります」
重「嘘を云え、白島山平は義気正しい男で、役は下だが重役に優《まさ》る立派な男じゃ、他人の女房と不義致すような左様な不埓者でない」
傳「それが誠に有るので、実は昨日な証拠を拾って持って居りますが、開封致しては相済みませんが、捨置《すてお》かれませんから心配して開封いたしましたが、山平へ送る艶書を拾いました」
重「どう見せろ」
傳「何うか御立腹でございましょうが内聞のお計らいを」
重「見せろ、どれもっと提灯を上げろ」
と重二郎艶書を開《ひら》いて繰返し二度|許《ばか》り読みまして、
重「傳助」
傳「へえー」
重「少しも存ぜぬで知らぬ事であったがよく知らしてくれた」
傳「何うも恐入ります、それだから貴方様がお帰りになっても、御新造様が快よく御酒の一と口も上げませんので、何うも驚きますな」
重「この文の様子では懐妊致して居《お》るな」
傳「へえー何うも怪《け》しからん事でげすな」
重「団子屋のきんの宅に今晩逢引を致して居るな」
傳「へえ丁度今晩逢引致して居ります」
重「きんの宅を存じて居るなれば案内しろ」
傳「いらっしゃいますか」
重「己《おれ》が行《ゆ》こう」
傳「貴方いらっしゃッても内聞のお計らいを」
重「痴《たわ》けた事を云うな、武士たる者が女房を他人《ひと》に取られて刀の手前此の儘《まゝ》では済まされぬから、両人の居処《いどころ》へ踏込み一刀に切って捨て、生首を引提《ひっさ》げて御両親様へ家事不取締の申訳をいたすから案内致せ」
傳「是は何うも飛んだ事を云いました、是は何うも恐入りましたな、外様《ほかさま》なれば云いませんが、貴方様でございますから内聞に出来る事と心得て飛んだ事を申しました」
重「飛んだ事と申して捨置かれるものか、行《ゆ》け/\」
と云われ真青《まっさお》になってぶる/\顫《ふる》えて傳助地びたへ踵《かゝと》が着きませんで、ひょこ/\歩きながら案内をするうちに、団子屋のきんの宅の路地まで参りました。
重「これ/\其処《そこ》に待って居れ、町家《ちょうか》を騒がしては済まぬから」
傳「何うかお手打ちは御勘弁なすって」
重「黙れ、提灯を消してそれに控え居れ」
傳「へえー」
重二郎は傳助を路地の表に待たして、自分一人で裏口の腰障子へぼんやり灯《あかり》がさすから小声で、
重「おきんさんの宅は此方《こちら》かえ」
と云うと二階に三人で相談をして居りましたが、
きん「はい魚政《うおまさ》かえ…いゝえ此の頃出来た魚屋でございますから、器物《いれもの》が少《すけ》ないのでお刺身を持って来ると、直《すぐ》に後《あと》で甘※[#「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52]《うまに》を入れるからお皿を返して呉れろと申して取りに来ますので」
きんは魚屋と間違えて、
きん「少し待ってお出《い》でよ」
と階子段《はしごだん》を下りて、
きん「魚政かえ、今お待ちよ」
と障子を開けて見ると、魚屋とは思いの外《ほか》重二郎が刀を引提《ひっさ》げてずうと入り、
重「これ照が二階に参って居《お》るなら一寸《ちょっと》逢わして呉れよ」
きん「いゝえ御新造様は此方《こちら》へは入《いら》っしゃいません」
重「入っしゃいませんたって参って居るに相違ない、是に駒下駄があるではないか」
きん「あのそれは先刻《さっき》あの入《いら》っしゃいまして、それはあの、雨が降って駒下駄では往《い》けないから草履《ぞうり》を貸してと仰しゃいまして」
重「馬鹿な、痴《たわ》けた事を云うな、逢わせんと云えば直《じき》に二階へ通るぞ」
きん「はーい何卒《どうぞ》真平《まっぴら》御免遊ばして、何うぞ御勘弁遊ばして、御新造様がお悪いのではございません、皆きんが悪いのでございますから何うぞ」
重「何だ袖へ縋《すが》って何う致す、放さんか、えい」
と袖を払って長い刀を引提《ひっさ》げて二階へどん/\/\/\と重二郎駈上ります。これから何う相成りますか一寸|一《ひ》と息《いき》致して。
九
引続《ひきつゞき》ましてお聴《きゝ》に入れますが、世の中に腹を立ちます程誠に人の身の害になりますものはございません。殊《こと》に此の赫《か》ッと怒《いか》りますと、毛孔《けあな》が開いて風をひくとお医者が申しますが、何《ど》う云う訳か又|極《ご》く笑うのも毒だと申します。また泣入《なきい》って倒れてしまう様に愁傷《しゅうしょう》致すのも養生に害があると申しますが、入湯《にゅうとう》致しましても鳩尾《みぞおち》まで這入って肩は濡《ぬら》してならぬ、物を喰ってから入湯してはならぬ、年中水を浴びて居るが宜《よ》いと申しますが、嫌な事を忍ぶのも、馴れるとさのみ辛いものではござりませぬ。何事も堪忍致すのは極く身の養生《くすり》、なれども堪忍の致しがたい事は女房が密夫《まおとこ》を拵《こしら》えまし
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