すけ》という家来に手丸《てまる》の提灯《ちょうちん》を提げさして、黄八丈の着物に黒羽二重の羽織、黒縮緬の宗十郎頭巾《そうじゅうろうずきん》を冠《かぶ》って、要《かなめ》の抜けた扇を顔へ当てゝ、小声で謡《うたい》を唄って帰ります所へ、物をも言わず突然《だしぬけ》に、水司又市一刀を抜いて、下男の持っている提灯を切落すと、腕が冴《さ》えて居りますから下男は向うの溝《みぞ》へ切倒され、善之進は驚き後《あと》へ下《さが》って、細身の一刀を引抜いて、
善「なゝ何者」
 と振り冠《かぶ》る。
又「おゝ最前の遺恨思い知ったか」
 と云う若気の至り、色に迷いまして身を果すと云う。これが発端《はじめ》でございます。

        五

 水司又市が悪念の発しまする是れが始めでございます。若い中《うち》は色気から兎角了簡の狂いますもので、血気|未《いま》だ定まらず、これを戒《いまし》むる色に在《あ》りと申しますが、頗《すこぶ》る別嬪《べっぴん》が膝に凭《もた》れて
「一杯お飲《あが》んなさいよ」
 なぞと云われると、下戸でも茶碗でぐうと我慢して飲みまして煩《わずら》うようなことが有りますが、惚抜《ほれぬ》いている者には振られ、殊《こと》に面部を打破られ、其の頃武家が頭《かしら》に疵が出来ると、屋敷の門を跨《また》いでは帰られないものでございました。又市は無分別にも中根善之進を一刀両断に切って捨て、毒食わば皿まで舐《ねぶ》れと懐中物をも盗み取り、小増に遣《や》りました処の二十両の金は有るし、これを持って又市は越中国《えっちゅうのくに》へ逐電いたしました。此方《こちら》は翌朝《よくちょう》になりましてもお帰りがないと云うので、下男が迎いに参りますと、七軒町で斯様《かよう》/\と云う始末、まず死骸を引取り検視沙汰、殊に上役の事でございますから内聞の計《はから》いにしても、重役の耳へ此の事が聞え、部屋|住《ずみ》の身の上でも、中根善之進何者とも知れず殺害《せつがい》され、不束《ふつゝか》の至《いたり》と云うので、父善右衞門は百日の間|蟄居《ちっきょ》致して罷《まか》り在《あ》れという御沙汰でございますから、翌年に相成り漸《ようや》く蟄居が免《ゆ》りましたなれども、最《も》う五十の坂を越して居ります善右衞門、大きに気力も衰え、娘お照《てる》と云うがございまして年十九に成りますから、これに養子を致さんではならんと心配致して居りましたが、丁度三月末の事、善右衞門が遅く帰りまして、
善右衞門「一寸《ちょっと》お前」
妻「お帰り遊ばせ」
善「いや帰りにね武田へ寄って来た」
妻「おや、大分《だいぶ》お帰りがお遅うございますから、何処《どこ》かへお立寄と存じまして」
善「少し悦ばしい話があるが」
妻「はい」
善「斯《こ》う云う訳だが、予《かね》てお前も知っての通り、昨年悴が彼《あ》アいう訳になって私《わし》も最《も》う勤《つとめ》は辛いし、大きに気力も衰えたから、照に何《どん》な者でも養子をして、隠居して楽がしたい訳でもないが、養子を致さんではと思って居た処が、幸いと武田の次男|重二郎《じゅうじろう》が養子になるように相談が極《きま》ったよ」
妻「おやまアそれは何《ど》うも此の上もない事でございます、お屋敷|中《うち》でも親孝行で、武芸と云い学問と云い、あんな方はございません、評判の宜《よ》い方でござりますねえ」
善「それに彼《あれ》は武田流の軍学を能《よ》くし、剣術は真影流の名人、文学も出来、役に立ちますが、継母に育てられ気が練《ね》れて居て、如何《いか》にも武芸と云い学問と云い老年の者も及ばぬ、実に彼《あ》のくらいの養子は沢山《たんと》あるまい、此の上もない有難い事でのう、早く照をお呼びなさい」
妻「はい、お照や一寸|此処《こゝ》へお出《い》で、お父様《とっさま》がお帰りになったよ、さア此処へお出で」
 御重役でも榊原様では平生《へいぜい》は余り好《よ》い形《なり》はしない御家風で、下役の者は内職ばかりして居るが、なれども銘仙《めいせん》の粗《あら》い縞の小袖に華美《はで》やかな帯を〆《し》めまして、文金の高髷《たかまげ》で、お白粉《しろい》は屋敷だから常は薄うございますが、十九《つゞ》や二十《はたち》は色盛り、器量|好《よし》の娘お照、親の前へ両手を突いて、
照「お帰り遊ばせ」
善「はい……此処へお出で、今お母様《っかさま》にお話をしたが、お兄様《あにいさま》は去年あの始末、お前にも早く養子をしたいと思ったが、親の慾目で、何うかまア心掛のよい聟《むこ》をと心得て居ったが、武田の重二郎が当家へ養子に来てくれる様に疾《と》うから話はして置いたが、漸《ようや》く今日話が調《とゝの》ったからお母様と相談して、善は急げで結納の取交《とりかわ》せをしたいが、媒妁人《なこうど》は高橋を以《もっ》てする積りで、嫁入《よめいり》の衣裳や何かお前の好みもあろう、斯《こ》ういう物が欲しい、櫛《くし》簪《かんざし》は斯う云うのとか、立派なことは入らぬが、宜《よ》くお母様と相談して、其の上で先方へも申込むから宜いかえ」
照「はいお父様|私《わたくし》に養子を遊ばす事はもう少しお見合せなすって」
善「見合せる、其様《そん》な事はありません、何《なん》で見合せるのだえ」
照「はい私《わたくし》はまだあなた養子は早うございます、それに他人が這入りますと、お父様お母様に孝行も出来ません様になりますから、私も心配でございますから、何卒《どうぞ》もう四五年お待ち遊ばして」
善「そんな分らぬ事を云ってはいけません、早く養子をして初孫《ういまご》の顔を見せなければ成りません」
妻「ほんとうに養子をしてお前の身が定まれば、お父様も私も安心する、双方に安心させるのが孝行だよ……まことにあなた何時《いつ》までも子供のようでございます……あんな好《よ》い養子はございませんよ、家《うち》へいらっしゃってもあの凛々《りり》しいお方で、本当に此の上もないお前仕合せな事だよ」
善「さア、はいと返辞をすれば直《すぐ》に結納を取交せるから」
照「はい、私《わたくし》はあの池《いけ》の端《はた》の弁天様へ、養子を致す事を三年の間|願掛《がんが》けをして禁《た》ちました」
善「そんな分らぬ事を言っては困りますよ、弁天へ行って然《そ》う云って来い、願掛けは致したが、親の勧めだからお願《がん》を破ると云って来い、それで罰《ばち》を当てれば至極分らぬ弁天と申すものだ、そんな分らぬ弁天なら罰の当てようも知るまいから心配はありませんよ、これ何時まで子供の様な事を云って何うなります、私が約束して今更|変替《へんがえ》は出来ません、直様《すぐさま》返事をおしなさい、これ照、困りますなア」

        六

妻「貴方、そう御立腹で仰しゃってもいけません……何時までもお前子供の様で、養子をすると云うものは怖いように思うものだけれど、私も当家へ縁付いた時は、こんな不器量な顔で恥かしい事だと否々《いや/\》ながら来ましたが、また亭主となれば夫婦の愛情は別で、お父様お母様にも云われない事も相談が出来て、結句頼もしいものだよ、あいとお云いよ/\、泣くのかえ」
善「なに泣くとは何事、泣くという事はありません、何だ」
妻「まア其様《そんな》にお怒《おこ》り遊ばすな」
 と無理に手を取って娘の居間へ連れて行《ゆ》き、種々《いろ/\》言含めたが唯《たゞ》泣いて計《ばか》り居て返答を致しませんのは、屋敷|内《うち》の下役に白島山平《しろしまさんぺい》という二十六歳になります美男と疾《と》うから夫婦約束をして居りました。遠くして近きは恋の道でございます。逢引する処が別にございませんから、旧来|家《うち》に奉公を致して居りましたおきんと云う女中が、上野町《うえのまち》に団子屋をして居るので、此の家《うち》の二階で山平と出会いますので、是が心配でございますから、おきんの所へ手紙を出しますと、此方《こちら》はおきんが山平を呼出しまして、二階で三鉄輪《みつがなわ》で話をして居ります。
きん「どうも先達《せんだって》は有難うございます、貴方、あんな心配をなすっては困りますよ、お忙がしい処をお呼立て申しましたのは困った事が出来ましてね」
山「毎度厄介になりまして気の毒でのう、今日は急に人だから何事かと思って来たのだが、どう云うわけだえ」
きん「どう云うたって実に困りますよ、何うしたら宜《よ》かろうと存じまして、お照さまに御両親様から急に御養子を遊ばせと仰しゃるので、嬢様は否《いや》だと云って弁天様へ禁《た》ったと仰しゃったそうでござりますが、お父様が聴かぬので、一旦約束したから変替《へんがえ》は出来ぬと云うので、仕方がないから私《わたくし》は養子をする気はない、どんな事が有っても自分が約束したからは何処迄《どこまで》も強情を張る積りだが、お父様が腹を切るの何《なん》のと云うから、寧《いっ》そ身を投げて死んでしまおうと、小さいお子様の様な事を仰しゃるので困りますよ、何か云えば直《すぐ》に自害をするのなどと詰らん事を云うので困ります、私《わたくし》は思案に余りますから貴方をお呼び申したので」
山「ふう成程、そうして何方《どちら》から御養子を」
きん「お嬢様の仰しゃるには、白島様には云わぬ方が宜《よ》いと仰しゃいますが、あの武田重二郎様ね、それあの厭《いや》な気の詰るお方で、私も御奉公して居るうち見ましたが、偏屈な嫌《いや》に堅苦《かたっくる》しいね嫌な人で、実に困った訳でございますけれども、否《いや》と言切る訳にも往《ゆ》きませんから誠に心配していらっしゃいます」
山「お照さん……この山平は江戸詰に成りまして間がない事で、これまでお引立《ひきたて》を蒙《こうむ》りましたは、実は武田の重左衞門《じゅうざえもん》様の御恩でござります、そのお家の御二男様が御養子の約束になって居るものを、貴方が否《いや》と仰しゃれば何故《なにゆえ》に背《そむ》くと、夫《そ》れより事が顕《あら》われますれば、拙者は屋敷を逐出《おいだ》される事になります、私《わたくし》の身は仕方がない事でございますが、あなた様の御尊父にも済まぬ事で、何卒《どうぞ》是れまでお約束は致しましたが、何卒親御の意を背くは不孝なり、あなたも世間へ済まぬことになりますから、只今までの事は水にあそばして、何うかあなた武田から御養子をなすってください、実は只今まで私はお隠し申したが、国表を立出《たちい》でます時男子出産して今年二歳になります、国には妻子がございますので」
照「えゝ」
 と娘は驚きまして、じッと白島山平の顔を見て居りましたが、胸に迫ってわっとばかりに泣倒れました。
きん「あなた奥様があるの、おやお子さん方がお二人、まだ若いのに、おや然《そ》うでございますかねえ…お嬢さん白島様が御迷惑になりますから、お厭でもございましょうけれども、思い切って貴方、お厭でも御養子を遊ばせな、此の事が知れると物堅い旦那様だからきんもきんだ、長らく勤めて居ながら娘を二階で逢引をさせるとは不埓《ふらち》な女だと仰しゃって私《わたくし》が斬られるかも知れませんよ、ねえ彼《あ》ア云う御気象ですから、ねえ御養子をして置いて時々お逢い遊ばせよう、然うすりゃア知れやアしませんよ、あの釜浦《かまうら》様の御新造《ごしんぞ》様みたいな、彼アいう事もありますから、宜《よ》いじゃアありませんか、然う遊ばせよ」
山「誠に手前も夢の昔と諦めますから、申しお嬢様|嘸《さぞ》不実な者と思召《おぼしめ》すでござりましょうが、この白島山平を可愛相《かわいそう》と思召すなら、あなた親御様の仰しゃる通り武田から御養子をなすって下さい、只今も金の申す通り、お聴済《きゝず》みがなければ止むを得ず、手前どうも切腹でもしなければならん訳で」
きん「貴方ア切腹なさると仰しゃるし、お嬢様は自害などと困りますねえ……お嬢様何う遊ばしますよ」
照「はい、それ程白島様が御心配遊ばす事なれば致方《いたしかた》がありませんから、それにお国に奥様もお子様もある事は私《わたくし》は少
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