又「然《しか》らば宜しい、今日は機嫌|好《よ》く帰って二十両持って来よう」
 と笑って、其の日は屋敷へ帰ったが、勤番者で他《ほか》から金子を送る者もないから、大事の大小を質入《しちいれ》して二十五金を拵《こし》らえ、正直に奉書の紙へ包み、長い水引をかけ、折熨斗《おりのし》を附けて金二十両小増殿水司又市と書いて持って参りまして、直《すぐ》に小増に遣《つか》わし、これから酒肴《さけさかな》を取って機嫌好く飲んで居たが、その晩も又小増が来ないから顔色《がんしょく》を変えて怒《おこ》りました。毎《いつ》もの通り手を叩くこと夥《おびたゞ》しいが、怖がって誰《たれ》も参りません。
婆「一寸《ちょっと》藤助どん往っておくれよ」
藤「困りますね」
婆「今日は中根《なかね》はんが来て居るので、いゝえさ、どうも中根はんと深くなって居て、中根はんが上役だから下役の足軽みたいな人の所へは行かないのだよ」
藤「困りますな、怒《おこ》るとあの太い腕で撲《ぶた》れますが、今度は取捕《とっつか》まると何《ど》んな目に逢うか知れまいから驚きますねえ」
婆「私は怖いからお前一寸行ってお呉れよ」
藤「困りますね何うも……御免」
又「此方《こっち》へ這入れ」
藤「どうも誠に」
又「何も最早聴かんで宜しい、再度欺かれたぞ、小増が来られなければ来ぬで宜しい、飲食《のみくい》は手前したのだから払うが、今晩の揚代金|殊《こと》に小増に遣わした二十金は只今持って来て返せ、不埓至極な奴、斯様《かよう》な席だから兎や角云わぬが、余りと申せば怪《け》しからん奴、金を持って来て返せ」
藤「何ともどうも私共《わたくしども》には」
又「いや私《わたくし》どもと云っても手前何と云った…弁《わき》まえぬか」
婆「一寸水司はん、生憎今日も差合《さしあい》があって」
又「黙れ、婆アの云う事は採上《とりあ》げんが、これ藤助、其の方は何と申した、二十両遣わせば小増は相違なく参りますと申したではないか、男が請合って、それを反故《ほご》にする奴があるか、男子たるべき者が」
藤「中々男子だって然《そ》ういう訳には参りませんので、この廓では女の子に男が遣《つか》われるので、私《わたくし》どもの云う事は聴きませんからね、どうも」
又「これ」
藤「あいた、痛うございます、何をなさる」
又「これ宜《よ》くも己《おれ》を欺いたな、此奴《こやつ》め」
藤「あいた……いけません、遊女屋で柔術《やわら》の手を出してはいけません、私《わたし》どもの云う事を聴くのではございませんから」
 と詫《わ》びても聞き入れず、若者《わかいもの》の胸ぐらを取って捻上《ねじあ》げました。

        三

 大騒ぎになりますと、此の事を小増が聞き、生意気|盛《ざかり》の小増、止せば宜《よ》いのに胴抜《どうぬき》の形《なり》で自惰落《じだらく》な姿をして、二十両の目録包を持って廊下をばた/\遣《や》って来て、障子を開けて這入って来ました。又市は腹を立って居たが、顔を見ると人情で、間の悪い顔をしている。
小増「一寸《ちょっと》又市さん何をするの、藤助どんの胸倉をとってさ、此の人を締殺す気かえ、遊女屋の二階へ来て力ずくじゃア仕様がないじゃアないか、今聞けばお金を返せとお云いだね」
又「これさ返せという訳ではないが、お前が一度も来てくれんからの事さ、来てさえ呉れゝば宜しい、今まで度々《たび/\》参っても、お前がついに一度も私《わし》に口を利いたこともないから、私はどうも田舎侍で気に入らぬは知っているが、同役の者にも外聞であるから、せめて側に居て、快く話でもしてくれゝば大《おお》きに宜しいが、大勢打寄って欺くから…斯様《かよう》なことを腹立紛れにしたのは私が悪かった」
小「悪かったじゃアないよ、私《わちき》はお前《ま》はんのような人は嫌いなの、お前大層な事を云っているね、金ずくで自由になるような私《わちき》やア身体じゃアないよ、二十両ばかりの端金《はしたがね》を千両|金《がね》でも出したような顔をして、手を叩いたり何かしてさ、騒々しくって二階中寝られやアしないよ、お前はんに返すから持って帰んなまし、お前はんのような田舎侍は嫌いだよ」
 と云いながら又市の膝へ投付けて、
小「いけ好かないよう、腎助《じんすけ》だよう」
 と部屋着の裾《すそ》をぽんとあおって、廊下をばた/\駈出して行った時は、又市は後姿《うしろすがた》を見送って、真青《まっさお》に顔色《がんしょく》を変えて、ぶる/\慄《ふる》えて、うーんと藤助の腕を逆に捻《ねじ》り上げました。
藤「あいた/\/\、あなた、あいた……そんな乱暴なことをしては困りますねえ、私《わたくし》などの云う事を聞く妓《こ》ではありませんから」
又「田舎侍は厭《いや》だと云うは、素《もと》より其の方達も心得|居《お》ろうに」
藤「あいた……腕が折れます、一寸《ちょっと》おかやどん、小増さんを呼んで来てというに、あゝいた/\/\/\」
 大騒ぎになりましたが、丁度此の時遊びにまいって居たのが榊原藩の重役中根善右衞門《なかねぜんえもん》の嫡子《ちゃくし》善之進《ぜんのしん》と云う者でございますが、御留守居役[#「御留守居役」は底本では「御留守居後」]《おるすいやく》の御子息で、まだ二十四歳でございますから、隠れ忍んで来るが、取巻《とりまき》は大勢居まして、
取巻「もし困るではございませんか、遊女屋の二階で柔術《やわら》の手を出して、若者《わかいもの》に拳骨《げんこつ》をきめるという変り物でございますが、大夫《たいふ》が是にいらっしゃるのを知らないからの事さ、大夫のお馴染を知らないで通うぐらいの馬鹿さ加減はありません、あなた一寸《ちょっと》お顔を見せると驚きますよ、ちょいと鶴の一と声で向うで驚きますよ、ね小増さん」
小増「左様《そう》さ、一寸《ちょいと》顔を見せてお遣《や》りなさいよう」
 と大勢に云われますと、そこが年の往《い》かんから直《す》ぐに立上りましたが、黒出《くろで》の黄八丈の小袖にお納戸献上《なんどけんじょう》の帯の解け掛りましたのを前へ挟《はさ》みながら、十三間|平骨《ひらぼね》の扇を持って善之進は水司のいる部屋へ通ります。又市は顔を一寸《ちょっと》見ると重役の中根でございますから、其の頃は下役の者は、重役に対しては一言半句《いちごんはんく》も答えのならぬ見識だから驚きました。後《あと》へ下《さが》って、
又「是は怪《け》しからん所で御面会、斯《かゝ》る場所にて何《なに》とも面目次第もござらん」
善「これこれ水司、何《ど》うしたものじゃ、遊女屋の二階でそんな事をしてはいかん、此処《こゝ》は色里であるよ、左様《そう》じゃアないか、猛《たけ》き心を和《やわら》ぐる廓へ来て、取るに足らん遊女屋の若い者を貴公が相手にして何うする積りじゃ、馬鹿な事じゃアないか、殊《こと》に新役では有るし、度々屋敷を明けては宜しくあるまい、私《わし》などは役柄で余儀なく招かれたり、或《あるい》は見聞《けんもん》かた/″\毎度足を運ぶことも有るが、貴公などは今の身の上で彼様《かよう》な席へ来て遊女狂いをする事が武田へでも知れると直《すぐ》にしくじる、内聞に致すから帰らっしゃい」
又「まことに面目次第もございません、つい一夜《ひとよ》参りましたが、とんと不待遇《ふあしらい》でござって、残念に心得、朋友にも迚《とて》も田舎侍が参っても歯は立たぬなどと云われますから、残念に心得再度参りました処が、如何《いか》に勝手を心得ません拙者でも、余りと云えば二階中の者が拙者を欺きまして、あまり心外に心得まして……それ其処《そこ》に立って居ります、貴方《あなた》のお側に立って居《い》るその小増と申す婦人に迷いまして、金を持って来れば必らず靡《なび》くと申しますから、昨夜二十金才覚致して持って参りますと、それを不礼《ぶれい》にも遊女の身として拙者へ対して悪口《あっこう》を申すのみか、金を膝の上へ叩付けましたから残念に心得、彼様《かよう》な事に相成りまして、誠に何うもお目に留《とま》り恐れ入りますが、どうか御尊父様へも武田様にも内々《ない/\》に願います」

        四

善「左様か、この小増は私《わし》が久しい馴染で、斯《こ》ういう廓《くるわ》には意気地《いきじ》と云って、一つ屋敷の者で私に出ている者が、下役の貴公には出ないものじゃ、そこが意気地で、少しは傾城《けいせい》にも義理人情があるから、私が買って居る馴染の遊女だから貴様に出ないのだから、小増の事は諦めてくれ、是は私が馴染の婦人だから」
又「へえー左様で、貴方のお馴染で、ふうー」
小「一寸《ちょっと》水司はん、私《わちき》の大事のね、深い中になって居るお客というのは此の中根はんで、中根はんに出ている私がお前《ま》はんの様な下役に出られますかねえ、宜《よ》く考えて御覧なはいよ、出たくも出られませんからさ、又お前《まえ》はんの様な人に誰が好いて出るものかねえ、お前顔を宜く御覧、あの己惚鏡《うぬぼれかがみ》で顔をお見よ、お前鏡を見た事がないのかえ、火吹達磨《ひふきだるま》みたいな顔をしてさア、お前《ま》はんの顔を見ると馬鹿/\しくなるのだよう」
 と云われるから胸に込上げて、又市|逆《のぼ》せ上《あが》って、此度《こんど》は猶《なお》強く藤助の胸ぐらを取ってうーんと締上げる。
藤「あなたいたい……私《わたくし》を、どう…」
又「黙れ、今中根様の仰せらるゝ事を手前存じて居《お》るか、一つ屋敷の者には出ない、上役がお愛しなさる遊女をなぜ己に出した」
藤「あいた……これはあなた気が遠くなります、お助け下さい、死にます」
善「これ/\水司、あれほど云うに分らぬか、若い者を打擲《ちょうちゃく》して殺す気か、痴《たわ》けた奴だ、左様なる事をすると武田へ云ってしくじらせるが何《ど》うか、これ此の手を放さぬか/\」
 と云いながら十三間の平骨の扇で続け打《うち》にしても又市は手を放しませんから、月代際《さかやきぎわ》の所を扇の要《かなめ》の毀《こわ》れる程強く突くと、額は破れて流れる血潮。又市は夢中で居ましたが、額からぽたり/\血が流れるを見て、
又「はアお打擲に遇《あ》いまして、手前面部へ疵《きず》が出来ました」
善「左様なまねをするから打擲したが如何《いかゞ》致した、汝はな此の後《ご》斯様《かよう》な所へ立廻ると許さぬから左様心得ろ、痴呆《たわけ》め、早く帰れ/\」
又「何も心得ません処の田舎侍でござって、一つ屋敷の侍が斯様なる所へ来て恥辱を受けますれば、その恥辱を上役のお方が雪《そゝ》いで下さることと心得ましたを、却《かえ》って御打擲に遇いまして残念でござりまする、只今帰るでござる、これ女ども袴と腰の物を是へ持て」
 と急に支度をしてどん/\/\/\と毀れるばかりに階子《はしご》を駈下《かけお》りると、止せば宜《よ》いに小増を始め芸者や太鼓持まで又市の跡を付けて来まして、
小「あれさ、お上役に逢っては一言もないからさ泣面《なきつら》してさ、泣面は見よい物じゃアないねえ、あの火吹達磨や、泣達磨や、へご助や」
 とわい/\言われるから猶更|逆上《のぼ》せて履物《はきもの》も眼に入《い》らず、紺足袋《こんたび》のまゝ外へ出ましたが、丁度霜月三日の最早|明《あけ》近くなりましたが、霜が降りました故か靄《もや》深く立ちまして、一尺先も見分《みわか》りませんが、又市は顔に流るゝ血を撫でると、手のひらへ真赤《まっか》に付きましたから、
又「残念な、武士の面部へ疵を付けられ、此の儘《まゝ》には帰られん、たとえ上役にもせよ憎い奴は中根善之進、もう毒喰わば皿まで、彼奴《あいつ》帰れば武田に告げ、私《わし》をしくじらせるに違いない、殊《こと》には衆人満座の中にて」
 と恋の遺恨と面部の疵、捨置きがたいは中根めと、七軒町《しちけんちょう》の大正寺《たいしょうじ》という法華寺《ほっけでら》の向《むこ》う、石置場《いしおきば》のある其の石の蔭《かげ》に忍んで待っていることは知りません、中根は早帰りで、銀助《ぎん
前へ 次へ
全31ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング