敵討札所の霊験
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂・編纂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)深川元町《ふかがわもとまち》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)元|榊原《さかきばら》様の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)甘※[#「赭のつくり/火」、第3水準1−87−52]《うまに》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)がら/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一
一席申し上げます、是は寛政十一年に、深川元町《ふかがわもとまち》猿子橋《さるこばし》際《ぎわ》で、巡礼が仇《あた》を討ちましたお話で、年十八になります繊弱《かよわ》い巡礼の娘が、立派な侍を打留《うちと》めまする。その助太刀は左官の才取《さいとり》でございますが、年配のお方にお話の筋を承わりましたのを、そのまゝ綴りました長物語《ながものがたり》でございます。元|榊原《さかきばら》様の御家来に水司又市《みずしまたいち》と申す者がございまして、越後高田《えちごたかた》のお国では鬼組《おにぐみ》と申しまして、お役は下等でありますが手者《てしゃ》の多いお組でございます。この水司又市は十三歳の折両親に別れ、お国詰《くにづめ》になり、越後の高田で文武の道に心掛けまして、二十五の時江戸詰を仰付けられましたので、とんと江戸表の様子を心得ませんで、江戸珍らしいから諸方を見物致して居りましたが、ちょうど紅葉《もみじ》時分で、王子《おうじ》の滝《たき》の川《がわ》へ往《い》って瓢箪《ふくべ》の酒を飲干して、紅葉を見に行《ゆ》く者は、紅葉の枝へ瓢箪を附けて是を担《かつ》ぎ、形《なり》は黒木綿の紋付に小倉の襠高袴《まちだかばかま》を穿《は》いて、小長《こなが》い大小に下駄穿きでがら/\やって来まして、ちょうど根津権現《ねづごんげん》へ参詣して、惣門内《そうもんうち》を抜けて参りましたが、只今でも全盛でございますが、昔から彼《あ》の廓《くるわ》は度々《たび/\》潰《つぶ》れましては又|再願《さいがん》をして又立ったと申しますが、其の頃贅沢な女郎《じょうろ》がございまして、吉原の真似をして惣門内で八文字《はちもんじ》で道中したなどと、天明の頃は大分《だいぶ》盛んだったと云うお話を聞きました。彼方此方《あちらこちら》を見ながら水司又市がぶらり/\と通掛りますると、茶屋から出ましたのは娼妓《しょうぎ》でございましょう、大島田《おおしまだ》はがったり横に曲りまして、露の垂れるような薄色の笄《こうがい》の小長いのを挿《さ》し、鬢《びん》のほつれ毛が顔へ懸りまして、少し微酔《ほろえい》で白粉気《おしろいけ》のある処《ところ》へぽッと桜色になりましたのは、別《べっ》して美しいものでございます。緋の山繭《やままゆ》の胴抜《どうぬき》の上に藤色の紋附の裾《すそ》模様の部屋|著《ぎ》、紫繻子《むらさきじゅす》の半襟《はんえり》を重ねまして、燃えるような長襦袢《ながじゅばん》を現《あら》わに出して、若い衆《しゅ》に手を引かれて向うへ行《ゆ》きます姿を、又市は一《ひ》と目見ますと、二十五で血気でございますから、余念もなく暫《しばら》く見送って居りましたが、
又「どうも実に嬋娟窈窕《せんけんようちょう》たる美人だな、どうも盛んなる所美人ありと云うが、実にないな、彼《あ》のくらいな婦人は二人とは有るまい、どうもその蹌《よろ》けながら赤い顔をして行《ゆ》く有様はどうも耐《たま》らぬな、どうも実にはア美くしい」
と思って佇《たゝず》んで居りますと、後《うしろ》から女郎屋《じょろや》の若衆《わかいしゅ》が、
若「えへ……」
又「何《なん》だい後《うしろ》からげら/\笑って」
若「如何様《いかゞさま》でございます、お馴染《なじみ》もございましょうが、えへ……外様《ほかさま》からお尻の出ないようにお話を致しましょう、えへ……お馴染もございましょうがお手軽様に一晩お浮《うか》れは如何で、へい/\/\」
又「何だい貴公は」
若「えへ……御冗談ばかり、遊女屋の若者《わかいもの》で、どうも誠にはやへい/\」
又「遊女屋の若者、成程これは何だね大分左右に遊女屋が見えるが、全盛の所は承知して居《い》るが、貴公に聞けば分ろうが、今向うへ少し微酔で、顔へほつれ毛がかゝって、赤い顔をして男に手を引かれて行った美人があるが、彼《あ》れは何かえ遊女かえ、但《たゞ》しは堅気の娘のような者かえ」
若「へえ、只今へえ…御縁の深いことで、あれは手前方のお職《しょく》から二枚目をして居ります小増《こまし》と申します」
又「はア貴公の楼名《ろうめい》は何と云う」
若「へえ……楼名、えゝ増田屋《ましだや》と申します」
又「成程根津で増田屋と申すは大分名高いと聞くが、左様かえ増田屋で今の婦人は」
若「小増と申します」
又「成程増田屋で増《まし》を付けるのは榊原の家来で榊原を名乗るようなもので」
若「いえ左様な大した訳でもござりませんが」
又「国から出たてゞ何も知らぬが、何かえ揚代金《あげだいきん》は何《ど》のくらい致す、今の美人を一晩買う揚代は」
若「へい/\大概五拾|疋《ぴき》でございますが、あのお妓《こ》さんは只今売出しで、拾|匁《もんめ》で、お高いようでございますが、彼《あ》のくらいな子供|衆《しゅ》は沢山《たんと》はございませんな、へい」
又「拾匁、随分値は高いが、拾匁出して彼のくらいな美人を寝かそうと起そうと自由にするのだから、実に金銀は大切な物だのう」
若「えへ、まず兎も角もお上《あが》り遊ばしては如何」
又「だが登《あが》りもしようが、婦人を傍《そば》へ置いて唯《たゞ》寝る訳にも往《い》かんが、何か食物《しょくもつ》を取らんではならんが、酒と肴はどのくらいな値段であるか承わって置こう」
若「えへ……御存じ様でございましょう、おとぼけなすって、お小さい台は五拾疋でございます、大きい方は百疋で、中には六百文ぐらいのお廉《やす》いのもございます」
又「ふう百疋、成程よい遊女を揚げれば佳《よ》いのを取らなければならんのう、成程それでは酒は別だろうな」
若「へい召上りませんでも先《まず》一本は付けます」
又「百疋で肴は何のくらいなのが付くな」
若「へ……おとぼけでは困りますな、大概遊女屋の台の物は極《きま》って居りますが、小さい鯛が片へらなどで、付合《つけあわ》せの方が沢山でございます」
又「それは高いじゃアないか、越後の今町《いまゝち》では眼の下三尺ぐらいの鯛が六十八文で買える」
若「御冗談ばかり仰しゃいます」
又「厄介になろう」
若「有難う存じます、お揚《あが》んなさるよ」
「あいー」
とん/\/\と二階へ上《あが》ると引付座敷《ひきつけざしき》へ通しましたが、又市は黒木綿の紋付に袴を穿いた形《なり》で、張肘《はりひじ》をして坐って居ると、二階廻しが参りまして、
婆「おやお出《い》でなはい」
又「初めて、手前《てまい》水司又市と申す者、勝手を心得ぬから何分頼む」
婆「何でございますねお前さん、瓢箪《ひょうたん》を紅葉の枝へ附けてお通んなはいましたねえ、滝の川へ入《いら》っしゃったの、御様子の好《い》いことゝ云ってお噂をして居たのですよ」
又「左様か、お前は当家の家内かな」
婆「おや厭ですよ、私は二階を廻す者です」
又「なに二階を廻す、この二階を」
婆「あれさ力持じゃアございません、本当に小増さんをお名指《なざし》は苛《ひど》いじゃアございませんか」
又「何が苛い、買いたいと思ったから登《あが》ったわ」
婆「本当に外で見染めて揚るのは一ばん縁が深いと申します、本当にお堅過ぎますよ、お袴をお取りなさいよ」
と云ううちに小増が出て参りまして、引付《ひきつけ》も済んで台の物が這入《はい》りますから、一猪口《いっちょこ》遣《や》って座敷も引け、床になりましたが、素《もと》より田舎侍でありますから、小増は宵に顔を見せたばかりで振られました。
二
翌朝《よくあさ》門切《もんぎれ》にならんうちにと支度を致しまして、
又「これ/\婆ア/\」
婆「厭だよ婆アなんてさ」
と云いながら屏風を開けて、
婆「お呼びなはいましたか」
又「いや昨夜《ゆうべ》な些《ちっ》とも小増は来《こ》ぬて」
婆「誠にねどうも、流行《はやり》っ妓《こ》ですから生憎《あいにく》お馴染が落合ってさ、斯《こ》う折の悪い時は仕様がないもので、立込んでね」
又「左様かね、予《かね》て聞くが、初会は座敷切りと聞くが全く左様か」
婆「まアね然《そ》う云った様なもので有りますから」
吉原の上等の娼妓ならお座敷切りという事も有りましたが、岡場所では左様なことは有りませんが、そこが国育ちで知りませんから、成程そうかと又四五日置いて来ましたが、また振られ、又二三日置いて来たが振って/\振抜かれるが、惚《ほれ》るというものは妙なもので、小増が煙草を一ぷく吸付けてお呑みなはいと云ったり、また帰りがけに脊中《せなか》をぽんと叩いて、
小増「誠に済まねえのだよ、今度|屹度《きっと》来ておくんなはい」
と云われるのが嬉しく思いまして、しげ/\通いましたが、又市も馬鹿でない男でございますから、終《しまい》には癇癪を発《おこ》して、藤助《とうすけ》という若者《わかいもの》を呼んで居ります。
婆「藤助どん行っておくれ、小増さんも時々顔でも見せて遣《や》れば好《い》いのに、酷《ひど》く厭がるから困るよ」
又「これ/\袴を出せ」
婆「おや誠にどうもお前《ま》はんにお気の毒でね」
又「婆ア此処《こゝ》へ来い、どうも貴公の家は余りと云えば不実ではないか、一度も小増は快く私《わし》が側に居《お》ったことはないぞ」
婆「何時《いつ》でも然《そ》う云って居《い》るので、生憎《あいにく》と流行《はやり》っ妓《こ》だからね、お前《ま》はん腹を立っては困りますよ、まことに間が悪いじゃアねえか、お前はんの来る時にゃアお客が落合ってさ、済まねえとお帰し申した後《あと》でお噂して、一層気を揉んで居《お》りますのさ」
又「そんな事は度々《たび/\》聞いたが、最早二度と再び来ないが、田舎者には彼《あ》アいう肌合《はだあい》な気象だから、肌は許さぬとかいう見識が有るから、お前が来ても迚《とて》も買通《かいとお》せぬから止せと親切に云ってくれても宜《よ》さそうなものだ、つべこべ/\馬鹿世辞を云って、此の後《のち》二度《ふたゝび》来ぬから宜いか、其の方達は余程不実な者だね、どうも」
婆「不実と云ったって私達《わっちたち》のどうこうと云う訳には往《い》きませんからさ、まことに自由にならないので」
藤助「へい、あのお妓《こ》さんは流行妓《はやりっこ》でございますから、お金で身体を縛ってしまいますから」
又「小増の身体を誰《たれ》か鎖で縛ると申すか」
婆「あれさ、小増さんに此方《こっち》で三十両出そうと云うと、彼方《あっち》で五十両出そうと云って張合ってするのだから、まことに仕様がございませんよ、流行妓てえなア辛いものでそれだから苦界《くがい》と云うので、察して気を長くお出でなさいよ」
又「成程是まで度々参っても振られる故、屋敷へ帰っても同役の者が…それ見やれ、迚《とて》も無駄じゃ、詰らぬから止せと云って大きに笑われ、迚も貴公などには買遂げられぬ駄目だと云われたが、金ずくで自由になる事なら誠に残念だから、幾ら遣《や》れば必らず私《わし》に靡《なび》くか」
婆「ねえ藤助どん、金ずくで自由になればと云うが……まアねえ其処《そこ》は義理ずくだからね、お金をまアねえ二拾両も遣って長襦袢でも買えと云えば、気の毒なと云って嬉しいと思って、又お前《ま》はんに前より情《じょう》の増す事が有るかも知れませんよ」
又「婆アの云う事は採《と》りあげられんが、藤助|確《しか》と請合うか」
藤「それは義理人情で、慥《たしか》にそれは是非小増さんがねえ」
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