では間に合わない、何処《どこ》の差配人さんへ然《そ》う云うのだ」
丙「差配人さんが間に合わぬなら自身番へ知らせろ……あッあー…危ねえ/\敵討は何とか云いましたか」
乙「何と云ったか聞えやアしない」
乙[#「乙」はママ]「何とか云ったッけ、汝《なんじ》を討たんと十八年」
甲「何を云やアがる騒々しい喋っちゃアいけねえ」
丙「あゝ危ねえ/\」
と拳《こぶし》を握って見ている、人は人情でございますから、何うぞして娘に勝《かた》せたい、娘に怪我をさしたくないと見ず知らずの者も心配して、橋の袂《たもと》に一抔人が溜《たま》って居りますが、中々助太刀に出る者は有りません。
甲「向うに侍が二人立って見ているが、彼奴《あいつ》が助太刀に出そうなもんだ、何だ覗いて居やアがる、本当に不人情な侍だ、あの畜生《ちきしょう》打擲《ぶんなぐ》れ」
とわい/\云う中《うち》に、
繼「親の敵思い知ったか」
と一足《ひとあし》踏込んで切下《きりおろ》すのを、ちゃり/\と二三度合せたが、一足|下《さが》って相上段《あいじょうだん》に成りました。よく上段に構えるとか正眼《せいがん》につけるとか申しますが、中々剣術の稽古とは違って真剣で敵を討とうという時になると、只斬ろうという念より外《ほか》はございませんから、決して正眼だの中段などという事はない、唯双方相上段に振上げて斬ろう/\と云う心で隙《すき》を覘《うかゞ》う、水司又市も眼《まなこ》は血走って、此の小娘《こあま》只一|撃《うち》と思いましたが、一心|凝《こ》った孝女の太刀筋《たちすじ》、此の年四月から十月まで習ったのだが一生懸命と云うものは強いもので、少しも斬込む隙がないから、此奴《こいつ》中々剣術が出来る奴だなと思い、又市も油断をしませんで隙が有ったら逃げようかなんと云う横着な根生《こんじょう》が出まして、後《あと》へ段々|下《さが》る、此方《こちら》も油断はないけれども年功がないのはいかぬもので、段々|呼吸遣《いきづか》いが荒くなって労《つか》れて来るから最早死物狂いで、
繼「思い知ったか又市」
と飛込んで切込むのを丁と受け、引く所を附け入って来るから、一足《ひとあし》二足《ふたあし》後へ下ると傍《そば》の粘土《ねばつち》に片足踏みかけたから危ういかな仰向《あおむけ》にお繼が粘土の上へ倒れる所を、得たりと又市が振冠《ふりかぶ》って一打《ひとうち》に切ろうとする時大勢の見物の顔色《がんしょく》が変って、
見物「あゝ」
と思わず声を上げました。
六十二
見物「あゝ危ねえ、誰か助太刀が出そうなものだ」
と云って居るが、誰《たれ》も出る者はない。すると側に立って居たのは左官の宰取《さいとり》で、筒袖《つつッぽ》の長い半纏を片端折《かたはしおり》にして、二重廻《ふたえまわ》りの三|尺《じゃく》を締め、洗い晒《ざら》した盲縞《めくらじま》の股引をたくし上げて、跣足《はだし》で泥だらけの宰取棒を持って、怖いから後《あと》へ下《さが》って居たが、今鼻の先へ巡礼が倒れ、大の侍が振冠《ふりかぶ》って切ろうとするから、人情で怖いのを忘れて、宰取棒で水司又市の横っ面《つら》をぽんと打《ぶ》った。
見物「あゝそら出た/\助太刀が出た、誰《だれ》か出ずには居ないて、何うも有難うございます、いゝえ中々一人では討てる訳がない、あれは姿を※[#「窶」の「穴かんむり」に代えて「うかんむり」、「窶」の俗字、514−11]《やつ》して居ても、屹度《きっと》旗下《はたもと》の殿様だ、有難い/\」
と喜び、わア/\と云う。又市は横面《よこッつら》を打たれるとべったり顔に泥が付いたが、よもや斯ういう者が出ようとは思わぬ所だから、是れに転動《てんどう》したと見え、ばら/\/\/\と横手へ駈出した。すると宰取は追掛《おっか》けて行って足を一つ打払《ぶッぱら》うと、ぱたーり倒れましたが、直ぐに起上ろうとする処を又《ま》た打《ぶ》ちますと、眉間先《みけんさき》からどっと血が流れる。すると見物は尚わい/\云う。
見物「そら逃げた殴れ/\」
と云う奴があり、又石を投げる弥次馬が有るので、又市は眼《め》が眩《くら》んで、田月堂という菓子屋へ駈込んだから菓子屋では驚きました。店の端先《はなさき》へ出て旦那もお内儀《かみさん》も見ている処へ抜身《ぬきみ》を提《さ》げた泥だらけの侍が駈込んだから、わッと驚いて奥へ逃込もうとする途端に、蒸《ふか》したての饅頭《まんじゅう》の蒸籠《せいろう》を転覆《ひっくりかえ》す、煎餅《せんべい》の壺が落ちる、今坂《いまさか》が転がり出すという大騒ぎ。商人《あきんど》の店先は揚板《あげいた》になって居て薄縁《うすべり》が敷いてある、それへ踏掛けると天命とは云いながら、何う云う機《はず》みか揚板が外《はず》れ、踏外《ふみはず》して薄縁を天窓《あたま》の上から冠《かぶ》ったなりどんと又市は揚板の下へ落ちる、処へ得たりとお繼は、
繼「天命思い知ったか」
と上から力に任して抉《こじ》ったから、うーんと苦しむ。すると嬉しがって左官の宰取が来まして
宰取「この野郎/\」
と無闇に殴る処へ、人を分けて駈けて来たのは白島山平。
山「巡礼の娘お繼と申す娘は何処《どこ》に居りますか」
繼「あゝお父様《とっさま》」
山「おゝ/\/\討ったか」
繼「お父様宜く来て下すった」
山「それだから申さぬ事じゃア無い一人で……怪我は無いか」
繼「いゝえ怪我は致しませぬ、首尾|好《よ》く仕留めました」
山「あゝそれは感服、敵の又市は何処にいる」
繼「縁の下に居ります」
山「縁の下に……じゃア縁の下へ隠れたか」
繼「いゝえ只今落ちましたから其処《そこ》を上から突きましたので」
山「うん然《そ》うか、やい出ろ」
と髻《たぶさ》を取ってずる/\と引出しますと、今こじられたのは急所の深手、
又「うーん」
と云うと田月堂の主人《あるじ》はべた/\と腰が抜けて奥へ逃げる事も出来ません。山平が是を見ると、地面まで買ってくれた田月堂の主人が鼻の先に居るから、
山「これは何うもお店を汚《けが》しまして何とも、御迷惑でございましょうが、これは手前娘で、先達《せんだっ》て鳥渡《ちょっと》お話をいたした、な、が全く親の仇討《あだうち》に相違ございません、委《くわ》しい事は後でお話を致しますが、決して御迷惑は懸けませんから御心配なく」
と云ったが田月堂の主人は中々口が利けません。
田月の主「え…あ…うん…うんお立派な事でございます」
と泣声を出してやっと云いました。
山「さア是れへ出ろ、これへ参れ……これ見忘れはせぬ、大分《だいぶ》に汝《うぬ》も年を取ったが此の不届者め、汝《てまえ》が今まで活《い》きているのは神仏《しんぶつ》がないかと思って居た、この悪人め、汝《てまえ》は宜くも己の娘のおやまを、先年信州白島村に於て殺害《せつがい》して逐電致したな、それに汝は屋敷を出る時七軒町の曲り角で中根善之進を討って立退《たちの》いたるは汝に相違ない、其の方の常々持って居た落書《らくがき》の扇子《おうぎ》が落ちて居たから、確《たしか》に其の方と知っては居れど、なれども確かな証《しょう》がないから其の儘打捨ておかれたのであるが、少女に討たれるくらいの事だから、最早どうせ其の方助かりはしない、さア汝も武士だから隠さず善之進を討ったら討ったと云え、云わぬ時に於ては五分試《ごぶだめ》しにしても云わせる、さア云わんか」
と面《おもて》を土に摺付《すりつ》けられ苦しいから、
又「手前殺したに相違ござらん」
と云うのが漸《やっ》と云えた。
山「繼、予《かね》て一人で手出しをしては成らぬと云って置いたが、お前一人で此奴《こいつ》を宜く討ったな」
繼「はい此処《こゝ》においでなさいますお方様が、私が転びまして、もう殺されるばかりの処へ助太刀をなすって下すったので、何卒《どうぞ》此のお方様にお父様《とっさま》お礼を仰しゃって」
山「うん此のお方が……何うもまあ」
宰取「はアまことに何うもお芽出度《めでと》うございます、なに私《わっち》は側に立っていて見兼たもんですから、ぽかり一つ極《きめ》ると、驚いて逃げる所を又|打殴《ぶんなぐ》ったんだか、まア宜《い》い塩梅《あんばい》で……お前さんは此の方のお父《とっ》さんで」
山「えゝ何うも恐入りました、只今は然《そ》ういうお身形《みなり》だが、前々《まえ/\》は然《しか》るべきお身の上のお方と存じます、左もなくて腕がなければ中々又市を一|撃《うち》にお打ちなさる事は出来ぬ事でな、えゝ御尊名は何と仰しゃるか必ず然るべきお方でございましょう」
宰取「うーん、なに私《わっち》は弥次馬で」
山「矢島様と仰しゃいますか」
宰取「うん、なに矢島様じゃアねえ、只|私《わっち》は見兼たからぽかり極めたので……お前さん親の敵だって親が在《あ》るじゃアねえか」
山「いやこれは手前養女でござる、実父は湯島六丁目の糸問屋《いとどいや》藤屋七兵衞と申す、その親が討たれた故に親の敵と申すので、只今では手前の娘に致して居ります」
宰取「えゝ藤屋七兵衞、おい、それじゃア何か、妹のお繼か」
繼「あれまア何うも、お前は兄《にい》さんの正太郎さんでございますか」
六十三
正「おゝ正太郎だ……何うも大きくなりやアがった此畜生《こんちきしょう》、親父《ちゃん》は殺されたか……えゝなに高岡で、然《そ》うか、己《おら》ア九才《こゝのつ》の時別れてしまったから、顔も碌《ろく》そっぽう覚えやしねえくれえだから、手前《てめえ》は猶覚えやアしねえが、己《おれ》が此処《こゝ》へ仕事に来ていると前《めえ》へ転んだから、真《ほん》の弥次馬に殴ったのが、丁度|親父《おやじ》を殺した奴を打殴《ぶんなぐ》ると云うなア是が本当に仏様の引合せで、敵討をするてえのは……何う云う訳なんです」
山「訳を申せば長いことでござる、予《かね》て噂に聞《きゝ》ましたがお前が正太郎|様《さん》で、葛西の文吉殿の方《かた》に御厄介に成っていらしった」
正「え……彼《あ》れは叔父で……お繼、何か小岩井のお婆さんの処《とけ》え行きてえから、お婆さんに己《おれ》の詫言《わびごと》して呉んねえ、父《ちゃん》の敵を討つ助太刀をしたと云う廉《かど》で詫言をして呉んねえ、己《おら》アもう腹一抔|借尽《かりつく》して、婆さんも愛想《あいそ》が尽きて寄せ附けねえと云うので、己《おれ》も行ける義理は無《ね》えからなア、土浦へ行って燻《くす》ぶって居たが、その中《うち》に瘡《かさ》は吹出す、帰《けえ》る事も出来ず、それからまア漸《やっ》との事《こっ》て因幡町《いなばちょう》の棟梁の処《とけ》え転がり込んだが、一人前《いちにんめえ》出来た仕事も身体が利かねえから宰取をして、今日始めて手伝《てつでえ》に出て、然《そ》うして妹に遇《あ》うと云うなア不思議だ、こりゃア神様のお引合せに違《ちげ》え無《ね》え、何うも大きく成りやアがったなア此畜生《こんちきしょう》、幼《ちい》せえ時分別れて知れやアしねえ、本当に藤屋の娘か、おい立って見や……これをお前《めえ》さんのとこの子にしたのか……一廻り廻れ」
などと云う。
山「誠に是れは思掛けないことで、何うもその死んだ七兵衞殿のお引合せと仰しゃるは御尤もなこと、実は私《わし》の忰山之助と申す者と三年前から巡礼を致して、長い間旅寝の憂苦労《うきくろう》を重ね、漸《ようや》く今日|仇《あだ》を討ちましたが、山之助は先達《せんだっ》て仔細有って亡なりました、それ故に手前忰の嫁故引取り娘に致して、手前が剣術を仕込みまして、何うやら斯うやら小太刀の持ち様も覚える次第、まことに思掛けないことで、葛西の文吉様にもお世話に成りましたから、手前同道致してお詫言に参りましょうが、まア兎も角も敵の……えゝ人が立って成らぬなア」
正「私《わっち》が一太刀」
山「いや、お前はお兄様《あにいさん》でも初太刀《しょたち》は成りません、お繼は七年このかた親の仇を討ちたいと心に掛けましたから、お繼が初太刀で、お前
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