詠歌を唄って日々に窓から首を出す者の様子を窺《うかゞ》います所が、ちょうど十月の十五日の日でございます、浅草の観音へ参詣を致して、彼《あ》れから下谷へ出まして本郷へ上《あが》り、それから白山《はくさん》へ出て、白山を流して御殿坂《ごてんざか》を下《お》り、小石川極楽水自証院《こいしかわごくらくみずじしょういん》の和尚に逢って、丁度親父の祥月命日《しょうつきめいにち》、聊《いさゝ》か志を出して、何うかお経を上げて下さいと云う。和尚も巡礼の身上《みのうえ》で聊かでも銭を出して、仏の回向《えこう》をして呉れと云うのは感心な志と思いましたから、懇《ねんご》ろに仏様へ回向を致します。お経の間待って居りますると、和尚が茶を点《い》れたり菓子を出したり、また精進料理で旨くはないが、有合《ありあい》で馳走に成りまして、是から極楽水を出まして、彼《あ》れから壱岐殿坂《いきどのざか》の下へ出て参り、水道橋を渡って小川町へ来て、土屋様の下屋敷の長屋下を御詠歌を唄って、ひょっとして窓から報謝をと首を出す者が又市で有ったら何ういたそうと、八方へ眼《まなこ》を着けて窓下《まどした》を歩くと、十月十五日の小春凪《こはるなぎ》で暖《あった》かいのに、すっぱり頭巾で面《おもて》を隠した侍と、外《ほか》に二人都合三人連の侍が通用門を出まして小川町へかゝるから、顔を隠しては居るが、ひょっとしたら彼《あ》れが又市ではないかと、段々見え隠れに跡を追って参ります、なれども頓《とん》と様子が分りません。すると伊賀裏《いがうら》まで来ると一人の侍は別れ、後《あと》は二人になりまして、
侍「あゝ大きに熱うございました」
 と云う。これは成程熱い訳で、気候がぽか/\暖《あった》かいに、頭巾を冠《かむ》っていては堪《たま》らん訳でございます。やがて頭巾を取ると総髪《そうはつ》の撫付《なでつけ》で、額には斯う疵がある、色黒く丈《せい》高く、頬《これ》から頤《これ》へ一抔《いっぱい》に髯《ひげ》が生えている逞《たくま》しい顔色《がんしょく》は、紛れもない水司又市でございますから、親の敵と直《すぐ》に討掛《うちか》かろうと思ったが、まだ連《つれ》の侍が一人居りまするから、段々見え隠《がく》れに付いて参ると、浜町《はまちょう》へ出まして、彼《あ》れから大橋を渡りますると、また一人の侍は挨拶をいたして別れ、御船蔵前《おふなぐらまえ》へ掛って六間堀の方へ曲りますと、水司又市は一人になりまして、深川の元町へ掛って来たから最う我慢は出来ません。先へ通り抜けると、御案内の通り片側《かたかわ》は籾倉《もみぐら》で片側町になって居りまして、竹細工屋、瀬戸物屋、烟草屋《たばこや》が軒を並べて居り、その頃田月堂という菓子屋があり、前町を出抜けて猿子橋にかゝりますると、此方《こちら》は猿子橋の際《きわ》に汚い足代《あじろ》を掛けて、苫《とま》が掛っていて、籾倉の塗直《ぬりなお》し、其の下に粘土《ねばつち》が有って、一方には寸莎《すさ》が切ってあり、職人も大勢這入って居るが、もう日が西に傾きましたから職人も仕事をしまいかけて居ります、なれども夕日は一ぱいに映《さ》す。其の中《うち》に空は時雨《しぐれ》で曇って、少し暗くなりました所で、笠を取って刎除《はねの》け、小刀《しょうとう》を引抜きながら、
繼「親の敵」
 と名告《なの》りながらぴったり振冠《ふりかぶ》った時は、水司又市も驚いたの驚かないの、恟《びっく》り致して少し後《あと》へ退《さが》る。往来の者も驚きました。人中《ひとなか》で始まったから、はあと皆|後《あと》へ下《さが》りました。ちょうど此の時白島山平は少しも心得ませんから療治を致して一人の客を帰した後《あと》で、茶を点《い》れて一服|遣《や》って居りますると、入口から年四十二三の色の浅黒い女が、半纒《はんてん》を着て居りましたが、暖《あった》かいから脱ぎまして、包《つゝみ》へ入れて喘々《せい/\》して、
女「少しお頼みでございますがお手水場《ちょうずば》を拝借致しとうございます」
照「はい其処《そこ》は汚《きた》のうございますが、何ならお上《あが》りなすって」
女「いゝえ、汚ない処が心配が無くって宜しゅうございます」
 とつか/\と雪隠《せっちん》へ這入り頓《やが》て出て参って、
女「あの少しお冷水《ひや》を頂き度《た》いもんでございます、此処《こゝ》に有るのを頂いても宜しゅうございましょうか」
照「其処にも有りますが、汚のうございますから、是れで……さア水を」
 と柄杓で水を出すから、
女「有難うございます」
 と手に水を受けながら顔を見て、
女「おや」
照「おやまアお前はきんかえ」
きん「あら誠にお嬢様」
照「なにお嬢様どころではないお婆様《ばあさん》だよ」
きん「誠に暫く」
照「まア思掛《おもいが》けない……あの旦那様きんが」
山「なに」
照「あのそれ団子屋のきんが」
きん「おや/\あの山平様、誠に何うもまア貴方何う遊ばしたかと存じて居りましたが、宜くまアそれでも……私《わたくし》は何うもお見掛け申したお方だと考えて居りましたが、貴方の方がお忘れ遊ばさずにきんと仰しゃって下すった」
照「私は彼《あ》の時は元服前で見忘れたろうが、私は何うも見た様だと思い、お前が口を利く声柄《こえがら》で早く知れましたよ」
きん「誠に何うも思掛けない、まア/\旦那様御機嫌宜しゅう、何うしてね此処に入らッしゃるのでございますえ」
山「はい長い間旅をして、久しく播州の方へ参って、少しの間|世帯《せたい》を持って居たり、種々《いろ/\》様々に流浪致し、眼病に成ってから故郷懐かしく、実は去年から此処へ来て世帯《しょたい》を持って居る」
きん「何うも些《ちっ》とも存じませんよ、尤も此方《こちら》の方へは滅多には参りませんけれどもねえお嬢様、あらついお嬢様と云って、あの御新造様え、私《わたくし》の亭主の傳次と申します者は旅魚屋でございますが、商売に出ても賭博《ばくち》が好きで道楽ばかりして、女房を置去り同様音も沙汰もしずに居ましたが、旅魚屋の仲間の者が帰って来て聞きましたら、三年|前《あと》に信州の葉広山とか村とかいう処で悪い事をして斬殺《きりころ》されたと聞きましたが、それとは知らず一旦亭主にしましたから、私《わたし》は馬鹿が夫を待つという譬《たとえ》の通り、もう帰るかと待って居りましたが、三年経っても音沙汰がない所へ、それを聞いてから、日は分りませんが私《わたくし》もまア出た日を命日としまして、猿江《さるえ》のお寺へ今日お墓参りをして、其処に埋めた訳でも有りませんけれども、まア志のお経を上げて帰って来る道で、あなたにお目に懸るとは本当にまア思掛けない事でねえ」
照「本当にねえ、だがお前は矢張《やっぱり》あの上野町に居るのかえ」

        六十一

きん「はい上野町に居りましたが、彼《あ》の近辺《きんじょ》は家《うち》がごちゃ/\して居ていけませんし、ちょうど白山に懇意なものが居りまして、あちらの方はあの団子坂の方から染井《そめい》や王子《おうじ》へ行く人で人通りも有りますし……それに店賃《たなちん》も安いと申すことでございますから、只今では白山へ引越《ひっこ》しまして、やっぱり団子茶屋をして居りますがねえ、何うも何でございますね、何うもつい此方《こちら》の方へは参りませんで」
山「じゃア何か屋敷の様子はお前御存じだろうが、武田や何か無事かえ」
照「あ、お父様《とっさま》やお母様《っかさま》はお達者かえ…今以て帰る事も出来ない身の上で」
きん「あの御新造様も大旦那様もお逝去《かくれ》になりました、それに御養子はいまだにお独身《ひとり》で御新造も持たず、貴方がお出《いで》遊ばしてから後《あと》で、書置《かきおき》が御新造様の手箱の引出《ひきだし》から出ましたので、是は親不孝だ、仮令《たとえ》兄の敵を討つと云っても、女一人で討てるもんじゃ無い、殊に亭主を置いて家出をしては養子の重二郎に済まない、飛んだことだと云って御新造は一層御心配遊ばして、お神鬮《みくじ》を取ったり御祈祷をなすったりしましたが、それから二年半ばかり経ちまして、御新造がお逝去になり、それから丁度四年ほど経って大旦那様もお逝去」
照「おやまア然《そ》うかえ、心得違いとは云いながら親の死目《しにめ》にも逢われないのは皆《みん》な不孝の罰《ばち》だね……私も家《うち》を出る時には身重だったが、翌年正月生れたんだよ」
きん「そう/\お懐妊でしたね」
照「それが女の子で、旅で難儀をしながらも子供を楽《たのし》みに何うかしてと思って、播州の知己《しるべ》の処へ行って身を隠し、少しの内職をして世帯《しょたい》を持っていた所が、其処《そこ》も思う様《よう》に行かず、それから又長い旅をして、その娘《こ》も十五歳まで育てたが亡《なく》なったよ」
きん「へえお十五まで、それは嘸《さぞ》まア落胆《がっかり》遊ばしたでございましょう、お力落しでございましょう御丹誠甲斐もない事でねえ」
照「まア種々《いろ/\》話も聞きたいから少し……」
山「何だか表が騒がしいが何だ」
 と云って聞いて居ると、ばら/\/\/\と人通りがして、
甲乙「なに今敵討が始まった、巡礼の娘と大きな侍と切合《きりあい》が始まった、わーッ/\」
 と云って人が駈けて通るから山平は驚きまして、
山「これ何を、それ大小を出しな」
きん「何でございますえ」
山「何でも宜しいから大小を……きんやお前|此処《こゝ》に居て…お前居ておくれ、二人|往《い》かなければならんから留守居をして」
金「何うなすったんでございますえ」
山「何うなすった所《どころ》じゃア無い何うでも宜しいから早く」
 と是れから裾《すそ》を端折《はしょ》って飛出したが、此方《こちら》は余程《よっぽど》刻限が遅れて居ります。お話は元へ戻りまして、お繼が親の敵と切りかけました時は水司又市も驚いて、一間ばかり飛退《とびしさ》って長いのを引抜き、
又「狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]め」
 と云うと往来の者はどやどや後《あと》へ逃げる、商人家《あきんどや》ではどか/\ッと奥に居たものが店の鼻ッ先へは駈出して見たが、少し怖いから事に依ったら再び奥へ遁込《にげこ》もうと云うので、丁度臆病な犬が魚を狙うようにして見ている。四辺《あたり》は粛然《しん》として水を撒いたよう。お繼は鉄切声《かなきりごえ》、親の敵と呼んで振冠《ふりかぶ》ったなり、面体《めんてい》も唇の色も変って来る。然《そ》うなると女でも男でも変りは無いもので、
繼「私を見忘れはすまい、藤屋七兵衞の娘お繼だ、汝《てまえ》は永禪和尚で、今は櫻川又市と云おうがな」
 と云う其の声がぴんと響く。その時に少し後《あと》へ下《さが》って又市が、
又「何だ覚えはないわ、左様な者でない」
 とは云っても覚えが有るものでございますから、其所《そこ》は相手が女ながらも心に怯《おく》れが来て段々後へ下る。すると段々見物の人が群《たか》って、
甲「何でげす」
乙「今私は瀬戸物屋へ買物に来て見ていると、だしぬけに親の敵と云うから、はッと跡へ下ろうと思うと、はッと土瓶を放したから、あの通り石の上へ落ちて毀《こわ》れてしまいました、あゝ驚きました、何うも彼《あ》の娘でげすな」
甲「へえ彼の娘が敵討だと云って立派な侍を狙うのですか、感心な娘で、まだ十七八で美《い》い女だ、今は一生懸命に成ってるから[#「成ってるから」は底本では「成ってるらか」]顔つきが怖いが、彼《あ》れが笑えば美い女だ」
乙「へえ、それは感心、あゝ云う巡礼の姿に成って居るが、やっぱり旗下《はたもと》のお嬢様か何かで、剣術を知らんでは彼《あ》の大きな侍に切掛けられアしない、だが女一人じゃア危ないなア、誰か出れば宜《い》いなア」
丙「危ないから無闇に出る奴は有りやアしません」
甲「だって向うは大きな侍、此方《こっち》はか弱い娘で……あゝけんのんだ」
 と見物がわい/\と云う。
丙「おい早く差配人《おおや》さんへ知らせろ」
丁「おれの差配人さん
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