譬《たと》えも有るから、ひょっと途中で水司又市に出遇《であ》っても一人で敵と名告《なの》って斬掛ける事は決して成らぬ、相手の水司又市は今は何《ど》の様《よう》な身の上か知れんが、何でも腕の優れた奴だに依って、決して一人で名告《なのり》掛ける事は成らぬぞ」
と予《かね》て言付けて有ります。毎日々々朝は早く巡礼の姿で家を出まして、浅草の観音へ参詣を致し、市中に立って御詠歌を唄っては報謝を受けて帰り、月夜の時には夜になっても裏の畑に莚を敷いて一生懸命に剣術の稽古を致します。すると近処《きんじょ》では不思議に思いまして、
○「あの按摩の家《うち》は余程《よっぽど》変ってるぜ、巡礼の娘を貰ったとなア、妙な者を貰やアがったなア、でも腕は余程|宜《い》いに違いない無闇に剣術を教えるんだが、それも夜中にどん/\初めやアがる、彼奴《あいつ》は余程変り者《もん》だぜ」
と云う噂が高く成りまする。丁度九月の節句の事でございましてお繼は例の通り修行に出て家《うち》に居りません。山平も別に用事が無いから、寛《くつろ》いで居《い》る所へ這入って来ましたのは、土屋様の足軽|中村久治《なかむらきゅうじ》と申す人。
久「先生々々」
山「誰方《どなた》ですえ」
久「えゝ中村久治でげす、さて先日は大きに」
山「えゝ貴方は先日急に御用で揉掛けになって、まだ腰の方だけが残って居りました」
久「いやもう私《わし》は酒は飲まず、外《ほか》に楽《たのし》みも無いので、まア甘い物でも食い、茶の一杯も飲むくらいが何よりの楽み、それに私はまア此の疝気《せんき》が有るので、疝気を揉まれる心持は堪《こた》えられぬて、湯に這入ってから横になって疝気を揉まれるのが何より楽しみだが、先生は私の様な者だからと思って安く揉んで下さるんで先生は柔術《やわら》剣術も余程《よっぽど》えらいと云うことを聞いて居りますが、何うも普通《あたりまえ》の先生でない、たしか去年でげしたか、田月という菓子屋で盗賊を押えなすったって、私の屋敷でもえらい評判でねえ」
山「なに出来やア致しませんが、幸いに泥坊が弱かったから……これ照やお茶を上げろ……是やア詰らぬ菓子ですが、丁度貰いましたから召上るなら」
久「いやこれは有難い、先生の処はお茶は好《よ》し菓子までも下さる、有難いと云って毎度噂を致します、何卒《どうぞ》又少し療治を願いましょうか」
山「えゝお屋敷も御大藩《ごたいはん》でげすから、御家来衆も嘸《さぞ》多い事でございましょうが、御指南番は何方《どなた》でげすえ」
久[#「久」は底本では「山」]「なに杉村内膳《すぎむらないぜん》と云って、一刀流ではまア随分えらい者だという事で」
山「へえ成程杉村内膳、柔術《やわら》は……うん成程|澁川流《しぶかわりゅう》の小江田《こえだ》というのが御指南番で、成程あれは老人だが余程《よっぽど》澁川流の名人という事を聞きました…成程して強い御家来衆も有る事でげしょうなア」
久「沢山ある上に其の上にも/\と抱えるのは、全体殿様が武張っていらっしゃるので、武芸の道が何よりもお好《すき》でなア、先年此の常陸《ひたち》の土浦《つちうら》の城内へお抱えに成りました者が有りまして、これは元|修行者《しゅぎょうじゃ》だとか申す事だが、余程《よっぽど》力量の勝れた者で、何《ど》のくらい力量が有るか分らぬという事で」
山「はゝア大した力量の有る者をお抱えに成りましたな」
五十九
久「えゝお抱えに成りましたと云うのは、宇陀《うだ》の浅間山《せんげんやま》に北條彦五郎《ほうじょうひこごろう》という泥坊が隠れていて、是は二十五人も手下の者が有るので、合力《ごうりょく》という名を附けて居廻《いまわ》りの豪家《ごうか》や寺院へ強談《ごうだん》に歩き、沢山な金を奪い取るので、何うもこりゃア水戸《みと》笠間《かさま》辺までも暴《あら》すから助けて置いては成らぬと云うので、城中の者が評議をした、ところが何うも八州は役に立たぬから早川様が押えようという事になって、就きましては凡《およ》そ二百人も人数《にんず》が押出しました押出して浅間山を十分に取巻いて見た所が、北條彦五郎は岩穴の中に住んでいる、その穴の入口が小さくて、中へ這入るとずっと広くて、其処《そこ》に家《うち》を拵えて住居《すまい》として居り、また筑波口の方にも小さい岩穴が有って、これから是れへ脱《ぬ》けるように成って居《い》るから、此方《こちら》の方を固めて居ても、此方の方から谷に下りて水を汲んだり、或《あるい》は百姓家で挽割《ひきわり》を窃《ぬす》み、米其の外《ほか》の食物を運んで隠れて居ります、さ、これでは成らぬと槍鉄砲を持って向った所が穴の中が斯《こ》う成ってゝ鉄砲|丸《だま》が通らぬから、何様《どん》な事をしてもいかぬ、所でもう是《こ》りゃア水攻めにするより外に仕方が無いと云って、どん/\水を入れて見ると、下へ脱《ぬ》けて落《おち》る処が有るから遂々《とう/\》水攻《みずぜめ》も無駄になって、何うしたら宜かろうと只浅間山を多勢《おおぜい》で取巻いて居るだけじゃが、肝腎の彦五郎は裏穴から脱けて、相変らず人を殺したり追剥《おいはぎ》を為《す》るので、これには殆《ほとん》ど重役が困っている所に、一人の修行者《しゅぎょうじゃ》が来て、あなた方は幾ら此処《こゝ》を取巻いて居ても北條彦五郎を取押える事は出来ません、殊に北條彦五郎は大力無双《だいりきぶそう》で、二十五人力も有るという事だから、兎《と》てもいけぬに依ってお引揚げなさいと云うから、引揚げたら何うすると云うと、私《わたくし》一人に盗賊取押え方《かた》を仰付けられゝば有難いと云うので、然らば修行者は何《ど》のくらいな力が有るかと云うと、私は力が有ります、何うか盗賊取押えを仰付けられたいと云うから、段々評議をした所が、何せ今までのように頑張っていても出るか出ないか知れぬから、当人が取押えると云うなら遣《や》らして見ろという仰しゃり付けで、これから其の修行者に取押えを言い付けた所が、其奴《そいつ》のいうには手前の脊負《しょ》った笈《おい》に目方が無くては成らぬから、鉄の棒を入れるだけの手当を呉れと云うから、多分の手当を遣ると全く金を取って逃げる者でも無く、それから手当の金で鉄の重い棒を買い、笈の中へ入れて、彼《か》の北條彦五郎の隠れて居るという穴の側へ行って、其処《そこ》へ笈を放り出して、労《つか》れた振《ふり》をして修行者が寝て居ると、ある月夜の晩に彦五郎の手下が穴の側へ見張に出て見ると、修行者が居るから、「これ何うした」「私《わたくし》は歩けません」「何ういう訳で歩けぬ」「道に労れて歩けませんから、寝て居ります」と云うと、「此処に居ては成らぬから行《ゆ》け」「行くにも行かないにも荷物が脊負《しょ》えません」「脊負えぬなら脊負わせて遣ろう」と云うので手下の奴が動かそうとしたが中々動かぬから、こりゃア何ういう重い物だか、是を脊負うのは剛《えら》い者だといって手下の者が皆寄ったが持てぬから「手前《てめえ》これを脊負って歩くか」「歩けますが、此の通り足を腫《は》らしたから仕様が有りません」と云うので足を出して見せると、巧《うま》く拵えて膏薬を貼って居て「これだから担《かつ》げません」と云うから「手前《てめえ》は何《ど》のくらい力がある」「私《わたくし》は五十人力ある」と云うと、手下の奴が「そりゃア嘘だろう」「なに嘘じゃアない」「いや嘘だ、嘘は泥坊の初まりだが、こりゃア手前が嘘だ」「いや決して嘘でない」という争いになると、北條彦五郎が、なに此の位の物を脊負って動けぬことが有るものかと云うので、連尺《れんじゃく》を附けて脊負って立ちやアがった、大力無双《だいりきむそう》の奴だから、脊負って立ちは立った所が歩けないで、やっとよじ/\五六|足《あし》歩くと、修行者が後《うしろ》から突飛《つきとば》したから、ぐしゃッと彦五郎が倒れると、恐ろしい目方の物が上へ載ったから動きも引きも出来ない、すると修行者に首領《かしら》が打たれたと云うから、そりゃアと鉦《かね》太鼓で捕人《とりて》が行って、手下の奴を押えて吟味すると何処《どこ》から這入って何処から脱《ぬ》けるという事まですっぱり白状に及んだから、よう/\の事で浅間山の盗賊を掃除したと云うので、是れから其の修行者は剣術も心得て居るだろうから当家へ抱えろという事になって、これまで桜川《さくらがわ》の庵室に居ったから苗字《みょうじ》を櫻川と云って五十石にお抱えに成ったが、知慧もあり剣術も出来て余程《よっぽど》賢い奴だ、其の荷を拵えた工合《ぐあい》は旨いもので、動けない様にする工夫が巧《うま》いものじゃアないか」
山「へえ、それは全く修行者で、六部でげすか」
久「いや段々聞いたら何でも尋常《たゞ》の奴でない、人の噂でも何うも尋常漢《たゞもの》でない、大かた長脇差では無いかという評判を立てたら、当人がそんならお話をいたしますが、実は私《わし》は元は侍で、榊原藩でございますと云ったそうだが、面部《かお》に疵を受けた、総髪《そうはつ》の剛《えら》い奴で」
山「それは何でげすか、名はなんと」
久「名は櫻川という処に居った者で、櫻川又市と云う」
山「へえ桜川という処の者で」
久「いゝえ桜川の庵室に居ったから、それを姓として櫻川又市というので、面部《かお》に疵があり、えゝ年は四十一二で、立派な逞《たく》ましい骨太《ほねぶと》の剛い奴で」
山「左様でげすか、そりゃア立派な者でげすなア、何うもその才智もえらい者だが、私《わし》は何卒《どうぞ》して其の方を見たいものでげすな」
久「なに、時々下屋敷へも来ますよ」
山「只今は何方《いずかた》に」
久「今は小川町《おがわまち》の上屋敷に居ります」
山「若《も》しお下屋敷へお出でになったら一寸《ちょっと》教えて下さいませんか、何《いず》れそりゃア尋常漢《たゞもの》では有りませんなア、こりゃア見たいな、何ういう男か一度は見て置きたいが何うか一寸ねえ」
久「そりゃア造作もない事だから知らせましょう」
山「じゃア一寸知らせて下さい、別にお礼の致し方は無いが、あなたの非番の時に無代《たゞ》療治をして、好《い》い茶を煎《い》れて菓子を上げる位の事は致しますから」
久「それははや、そんな旨い事は無い、こりゃア有難いが、それは茶と菓子ばかりで療治の代を取らぬと云うこたア有りません、今度来たら屹度《きっと》知らせますが、滅多に此方《こちら》へは来ません」
山「何うか知らせて」
久「えゝ宜しい」
山「さア御療治」
と云うので療治を致して、旨い菓子などを食わせて帰しました。跡で山平は、
山「屹度それに相違ない、何うかして見顕《みあら》わして遣りたいもの」
と、中村に頼んで櫻川の来るのを待って居ると、天命|免《のが》れ難く、十月十五日に猿子橋でお繼が水司又市と出遇《であ》いますると云う、これから愈々《いよ/\》巡礼敵討のお話でございます。
六十
さて図らずも白島山平が敵の手掛りを聞きましたから、お繼が帰って来るのを待って話を致すと、飛立つ程に悦び、
繼「少しも早く土屋様のお屋敷へ参って」
と云うを、
山「いや未だ確《しか》と認めも付かぬうち、先《せん》の様に人違いをしては成らぬ、人には随分似た者もあり、顔に疵のある者も有るから、先達《せんだっ》ての人違いに懲《こ》りて、これからは善《よ》く/\心を落着け、確と面体《めんてい》を認めてから静かに討たんければ成らぬ、殊に汝《そち》は剣術が出来てもまだ年功がなし年も往《い》かぬから其の痩腕《やせうで》では迚《とて》も又市には及ばぬ、私《わし》も共に討たんでは成らぬ、殊にお照の為にはお兄様《あにいさま》の仇《あだ》であり、年頃心に掛けて居《い》る事ゆえ、お前一人で討つわけには往かぬに依って、宜く心を静めて又市が下屋敷へ参る時に認めて、私が討たせるから」
と言聞《いいき》けて置きましたが、お繼は是を聞いてからは何卒《どうか》早く又市を見出したいと心得、土屋様の長屋下を御
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