ら御存じでいらっしゃいましょうが、十七年|前《あと》に家出を致しまして、もう国を出ましてから十九年で、私が未《いま》だ生れぬ前に、江戸屋敷詰に成りまして、それから江戸屋敷から行方知れずに成りましたので、段々姉と両人《ふたり》で神仏《かみほとけ》に祈念して行方を捜しましたが、いまだに行方も知れず、生死《しょうし》の程も分りません、これお繼私のお父様《とっさま》の事もお前に話して有るが、若《も》し御存生《ごぞんしょう》でお目に掛る事が有ったらば、私は斯々《これ/\》の訳で不覚を取ったが、何卒《どうぞ》一目お目に懸りたいと云って居たと云って下さい」
繼「はい、確《しっ》かりしてお呉んなさいよ」
太「貴様が側で泣くと手負が気力が落ちていかん……これお前の親は榊原藩で何という名前の人だえ」
山「はい私の祖父様《じいさん》がお抱《かゝ》えに成りましたのだそうでございますが、足軽から段々お取立に成りまして、お目見得《めみえ》近くまで成りました、名は白島山平と申しまする者でございます」
太[#「太」は底本では「山」]「えゝ何だ貴様の親は白島山平……何か貴様は白島山平の忰か」
山「はい白島山之助と申しまする者で」
太「おゝ是は何うも、宥《ゆる》してくれ、これ忰、貴様の親の山平は此の水島太一であるぞ」
五十七
山「えゝお父様《とっさま》あの貴方が」
と云って二人ともに膝の上に縋《すが》り付く手を取って、
太「あゝ面目次第もない、己が貴様の親だと云って名告《なの》って逢われべき者ではない、実に非義非道の親である、其の方《ほう》が懐妊中に江戸詰を仰附《おおせつ》けられて江戸屋敷に居る間に、若気の心得違いで屋敷を駈落する程の心得違いの親、実に情ない事だ、親らしい事も致さぬ親を憎いと恨まんで、宜く臨終に至るまで手前に逢いたい懐かしいと遺言まで致してくれた、あゝ面目ないが、母も歿《ぼっ》したか、うん、なに姉おやまも又市に討たれたか」
山「はい/\有難う存じます、お懐しゅうございます、お懐しゅうございます、貴方にお目に懸りたいと云って姉《あね》さんも何様《どんな》に待っておいでなすったか知れません、貴方が家出をなさいましても屋敷に居《お》られぬ事はございませんが、お母《っか》さんは心配して三年目に亡《なく》なりまして、私は少《ちい》さし姉さんも年が往《い》きませんし、外《ほか》に致方《いたしかた》がございませんで、伯父さんが此方《こっち》へ引取ろうと云って、信州白島の伯父さんの厄介に成って居りまする中《うち》に、姉さんが又市の為に斬殺《きりころ》されました、姉様《あねさん》が死にます時にも、お父様《とっさま》に逢わずに死ぬのは残念だ、一目逢いたい/\と申しました」
太「うん左様か、実にそれ程までに私《わし》を慕って、今思い掛けなく面会致したが、現在親の手で子を殺すと云うのは如何なる事か、皆これまで非道な行いを致した天罰|主罰《しゅうばつ》が酬《むく》い来《きた》って斯《こ》の様《よう》な訳、あゝ親として手前を己が殺すと云うのは実に情ない、手前己を親と思わずに一刀《ひとかたな》でも怨んで呉れ」
山「いゝえ勿体ない事を」
照「あなた其様《そん》な事を仰しゃっても仕様がございません……あのお前さん、初めてお目に懸りました、お前さんは定めてお父《とっ》さんを憎いとお恨みでございましょうが、お父さんの悪いのではございません、みんな私が悪いのでございます、と申すは拠《よんどこ》ろない訳で私がお前さんのお父様《とっさん》を慕いまする故に、お父様がお屋敷を出る様な事に成りました、それも私の養子が得心で二人共にお屋敷を出ましたけれども、永い旅を致して宿《やど》へ着くとは、国へ残してお出でなさった御新造《ごしんぞ》やお前さん方に済まないと云って、私も神仏《かみほとけ》に心の中《うち》でお詫ばっかり致して居りました、何卒《どうぞ》堪忍してお呉んなさい、お父様を怨まずに私を悪い者と恨んでお呉んなさいまし」
太「これ山之助今更|懺悔《ざんげ》を致す訳でも無いが、余儀なく屋敷を出んければならない訳に成ったのは、武田から来た養子の重次郎と同衾《ひとつね》を致さぬと云う情《じょう》を……立てる其の間に告口《つげぐち》を致す者も有って、表向《おもてむき》になれば名跡《みょうせき》が汚《けが》れるから重次郎の情《なさけ》で旅費を貰うて家出を致したが、丁度懐妊中の子を生落《うみおと》して夏という娘を得たから、漸《ようや》く十五歳まで育って楽しみに致した所が、三年|前《あと》に信州の鳥居峠へ掛る時、悪者に出逢い、勾引《かどわか》されんとする時に、一|刀《とう》を抜いて切結んだが、向うは二人|此方《こちら》は一人、其の時受けた疵が斯のように只今でも残っている、娘は其の時|谷間《たにあい》へ落ちて到頭其の儘に相果てたから、私《わし》も此のお照も実に一|月許《つきばかり》の間は愁傷して、泣いてばかり居って、終《つい》には眼病と相成ったから、致方《いたしかた》なく按摩に成って揉療治《もみりょうじ》を覚え、迚《とて》も生涯世に出る事は出来ぬと心得て居った所が、追々眼病も快く成って段々見える様に相成ったから同じ死ぬなら故郷懐かしく、此の江戸へ立帰って、富川町に昨年世帯を持ち、相変らず按摩を致して居《お》る内に、よう/\の事で眼病も癒《いえ》るような事なれども、揉療治を致すような身の上に成ったから、若《も》し屋敷の者に見られては相成らぬと思うて、屋敷近くへ参る事も出来ず、如何《いかゞ》致そうかと照も心配致して、又々|旅立《たびだち》を致そうか、但《たゞ》しは謝《あや》まって信州の親族の処へ参ろうかと思って居った所で有るが、一人の娘を谷間へ落して殺したのも是も皆|罰《ばち》で、両人《ふたり》の者へ歎《なげ》きを掛けるような事が身に報《むく》ったのだ、今また其の方を我手《わがて》で殺すとはあーア飛んだ事、是も皆天の罰《ばち》、こりゃア頭髪《かしら》を剃毀《そりこぼ》って罪滅ぼしを致さんければ世に居《お》られぬ」
照「誠に御尤もでございます」
山「お父様《とっさま》え、貴方も水司又市を捜す身の上と仰しゃいましたが、何故《なぜ》あなたは水司又市に似た様な名をお附け遊ばした」
太「手前は何も存ぜんが、お祖父様《じいさま》は元信州の者で、故《ゆえ》有って越後高田に近き山家《やまが》へ奉公住みを致して居《い》ると、或日《あるひ》榊原公が山猟《やまがり》にお出《いで》遊ばして、鳥を追って段々山の奥に入《い》り、道に迷って御難儀の処へお祖父様が通り掛って、御案内をして城中へお帰りに成ったから、うい奴と仰しゃって先君《せんくん》がお取立に成った、是が私《わし》の先祖で、其の時は白島|太一《たいち》という名前で有ったが、山を平らに歩かせたという所から山平という名を下すった、それ故先君から頂戴の名を大切に心得て名を汚《けが》すな/\という遺言が有ったなれども、私は実に家名を汚す不孝不義の山平ゆえ、先代が頂戴の名を附けて居ては成らぬと云うので、信州水内郡の水と白島村の島の字を取って苗字《みょうじ》に致し、これに父の旧名太一を名告《なの》って水島太一と致したが、今と成って見ると此の水島太一という姓名を附けなければ斯の様な間違いも有るまい、是も皆若い時分からの罪で斯う成るのであろう、あゝあ恐るべき事である、これ忰手前なア何うかして助けたいが、実は迚《とて》も助からぬ事と存じて居ろうが、後々《あと/\》の事には心を残さず往生致せ、縁有って手前の家内に成って居《い》るお繼という此の娘は私が引取って剣術を仕込み、手前の為には姉の敵に当る水司又市を捜して屹度《きっと》敵を討たせるから、心を残さず往生致せよ」
山「はい/\/\有難う/\、逢いたい/\と思うお父様《とっさま》にお目に懸り、お父様のお手に懸って死にますれば何も心を残す事はございません、これお繼少しの間でも御厄介になった伯父さんやお婆さんに何卒《どうぞ》宜しくお前云ってお呉れよ」
繼「はい山之助さん確《しっ》かりして下さいよ、お前さんが死ねば私は此の世に生きて居《お》られません」
と山之助に取縋《とりすが》って泣きまするから、堪《こら》え兼《かね》てお照も泣伏します。水島太一も膝の上に手を置くと、はら/\/\と膝へ涙が落ちる。すると台所の方から大きな声で
「御免なせえまし」
五十八
太「何だえ」
文「へえ/\真平御免を蒙ります」
太「何うも恟《びっく》りする、誰だえ」
文「私《わし》は此処《こゝ》にいるお繼の実の伯父で百姓文吉と申します、私は今日|他処《よそ》へ行って先刻《さっき》家《うち》へ帰ると、敵討に行ったと云いますから、家の男を連れて駈けて参《めえ》りましたが様子が知んない、其処《そこ》らで聞くと此家《こゝ》だと云うから、済まぬようだが窃《そ》っと這入って、裏へ廻って様子を聞いて居りますと、人違いだ/\と云う声がするから、はてと思って聞いて居りましたが、間違いとは云いながら、少《ちい》さい時分に別れたお前様の子、それを貴方《あんた》が知らないとは云いながらはア斬って殺すと云うは、若い時分の罪だと懺悔《ざんげ》する其の心持《こゝろもち》を考えますと、我慢しようと思いましたがつい泣いたでがんす、何うも飛んだ間違いに成りました、これ嘉十、もう鎌なんざアぶっ放《ぽ》ってしまえ」
太「何うもお恥かしい事がお耳に入って面目次第もございません」
文「何うか助かり様が有りましょうか」
太「迚《とて》も助かりますまいとは存じますが、此の辺に生憎《あいにく》療治を致す者もござらぬ、手前少々は傷を縫う事も心得て居りましたが、つい歎きに紛れて……何しろ焼酎《しょうちゅう》で傷口を洗いましょう」
山「伯父|様《さん》宜く来て下すった」
と云う声も絶々《たえ/″\》でございますから、
太「確《しっ》かりしろ、今傷口を洗うぞよ」
と云う中《うち》に山之助は最《も》う目も疎《うと》く成りますから、片方《かた/\》に山平の手を握り片方はお繼の手を握って、其の儘山之助は呼吸は絶えましたから、お繼も文吉も声を揚《あ》げて泣倒れましたが、
太「幾ら歎いても致し方がない、私《わし》が親と知れてはぱっとして上屋敷《かみやしき》へ知れては相成らぬから、何卒《どうぞ》親でない事に致したい、それにはお前方が確かな証人だに依って、敵と間違えて斯様《かよう》々々に成ったと云う事を細かに訴えて検屍を受けんければ成らぬから」
と是から百姓文吉に山之助の女房お繼が証人で、直《すぐ》に細かに認《したゝ》めて訴え出でましたから、早速検屍が出張に成って傷口を改めましたが、現在殺された山之助の女房と伯父|両人《ふたり》が証人で、全く人違いで斯様な事に相成りましたと云うから、さしたる御咎《おとがめ》もございませんで済みました。その跡の遺骸《なきがら》は文吉が引取りまして、別に寺もありませんから小岩井村の菩提所《ぼだいしょ》へ葬むり、また山平は伯父と相談して兎も角もお繼を引取り、剣術を仕込み、草を分けても水司又市を捜し出して親の敵を討たせんければ成らぬと、深川の富川町へお繼を連れて参り、これから山平の手許《てもと》に置いて剣術を仕込みまする所が、親の敵を討とうと云う志の好《い》い娘でございますから、両親に仕えて誠に孝行に致します。またお照も山平も実の子の如くにお繼を愛します。是から竹刀《ちくとう》を買って来て、間が有れば前の畑に莚《むしろ》を敷きまして剣術を教えまするが、親の敵姉の敵夫の敵を捜して、水司又市を討たんければ成らぬと云う一心でございますから、教えようも教え様《よう》、覚える方も尋常《たゞ》でないから段々/\と剣術が出来て腕も宜くなり、もし貴方を又市と心得まして斯う斬込んだら何うお受けなさると云うくらい、人の精神は恐ろしいもので、段々山平でも受け兼《かね》る程の腕に成りましたから山平も喜びまして、
山「先《ま》ず追々腕も出来て来たか、生兵法《なまびょうほう》は敗れを取ると云う
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