に行くだから、手前長く奉公して世話に成ったから一緒に行《い》け」
嘉「敵討に行《い》くだから一緒に行《ゆ》けって、私《わし》い参《めえ》りましょう、なに死んだって構いませんよ、参りましょう」
と田舎の人は正直で親切でございますから、本当に死ぬ了簡と見えて、藻刈鎌《もがりがま》を担《かつ》いで出掛けまする。文吉も小長《こなが》いのを一本差しまして、さっさと跡から飛出《とびだ》して余程急ぎましたが、間に合いません。山之助お繼は富川町へ駈けて参りますると、其の頃は彼処《あすこ》に土屋様の下屋敷《しもやしき》があり、此方《こちら》にはまばらに人家が有りは有りまするが、只今とは違って至って人家の少ない時分でございます。成程来て見ると茂左衞門の云った通り入口が門形《もんがたち》に成りまして、竹の打付《ぶッつけ》の開戸《ひらきど》が片方《かた/\》明いて居て、其処《そこ》に按腹揉療治《あんぷくもみりょうじ》という標札が打ってございます。是から中へ這入ると左右が少し許り畠になって、その横が生垣《いけがき》に成って居りますから、凡《およ》そ七八軒奥の方《ほう》に家が建って居まして、表の方《かた》は小さい玄関|様《よう》で、踏込《ふみこみ》が一間ばかり土間に成って居ります、又式台という程では有りませんが上《あが》り口は板間《いたのま》で、障子が二枚立って居り、此方《こちら》の方《ほう》は竹の打付窓《ぶッつけまど》でございます。あの辺は四月二十七日頃でももう蚊が出ると見えて、夕景に蚊遣《かやり》を焚いて居る様子、庭の方を見ると、下らぬ花壇が出来て居りまして、其処に芥子《けし》や紫陽花《あじさい》などが植えて有って、隣家《となり》も遠い所のさびしい住居《すまい》でございます。二人は窃《そ》っと藁苞《わらづと》の中から脇差を出して腰に差し、慄《ふる》える足元を踏〆《ふみし》めて此の家《や》の表に立ちましたのは、丁度日の暮掛りまする時。
山「御免なさいまし、お頼み申します」
太「はい誰方《どなた》え」
山「あの揉療治をなさる一徳さんは此方《こちら》でございますか」
太「はい一徳の宅は手前だが何方《どなた》だえ、此方へお這入んなさいまし」
繼「少々承まわりとう存じますが、一徳さんのお年は幾つでございますえ」
太「何だ障子越しに己《おれ》の年を聞くと云うのは何だ……御冗談や調弄《からかい》では困ります、此方へお這入りなさい」
山「はい、あなたは何でございますか、額に疵がございますか」
太「何だ……左様でござる、手前は額に疵も有りますが、何方でげすえ」
山「えゝ、元は榊原様の御家来で、お年は四十一でいらっしゃいますか」
太「なんだ……はい私《わし》の年まで知っていて、面部《おもて》に疵が有ると仰しゃるのは何方《どちら》のお方でございますえ」
山「お名前は水司又市でございますか」
太「はい何方《どなた》だえ」
と水司又市と云う名を聞くや否や山之助は一刀を抜くより早く、がらり障子を明けながら、
山「姉の敵い…」
と一声《ひとこえ》一生懸命の声を出して無茶苦茶に切込んで来る。続いてお繼が、
繼「おのれ親の敵覚悟をしろ」
と鉄切声《かなきりごえ》を出した時には不意を打たれて驚きましたが、
太「これ何を致す、人違いをするな」
と云いながら傍《そば》に有りました今戸焼の蚊遣火鉢を取って打付《ぶッつ》けると、火鉢は山之助とお繼の肩の間をそれて向うの柱に当って砕け、灰は八方に散乱する。また山之助の突掛《つきか》ける所を引外《ひっぱず》して釣瓶形《つるべがた》の煙草盆を投付け、続いて湯呑茶碗を打付《ぶッつ》け小さい土瓶を取って投げる所を、横合《よこあい》からお繼が、親の敵覚悟をしろと突掛けるのを身を転《かわ》して利腕《きゝうで》を打つと、ぱらり持っていた刃物を落し、是はと取ろうとする所を襟上《えりがみ》を取って膝の下へ引摺寄せる、山之助は此所《こゝ》ぞと切込みましたが、此方《こちら》は何分手ぶらで居った所、幸いお繼が取落した小刀《しょうとう》が有ったからそれを取って、
太「これ怪我を致すな、人違いを致すな、宜く心を静めて面体《めんてい》を見ろ、人違い/\」
と二三度打流したが、相手の方から無二無三に打って掛るから、
太「これ人違いを致すな」
と払い除けました、其の切尖《きっさき》が山之助の肩先に当ると、腕が利いて居る、余程深く斬込みました。
山「あア」
どんと山之助が臀餅《しりもち》をついたなり起上る事が出来ません、山之助が斬られたのを見るとお繼が
「わーっ」
と其の場に泣倒れました。
太「これ何処《どこ》へ参って居《お》るかな、これ照や、狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]が這入ったが、何処へ参って居《い》るか、これ早く燈光《あかり》を持って参れ、燈光を……」
此の時女房は裏の井戸端で米を磨《と》いで居りました。じゃ/\/\/\と米を磨いで居り、余程|家《うち》から離れて居りまするから、右の騒ぎは聞えませんだったが、大声で呼びましたから、何事かと思って慌《あわ》てゝ家へ這入って見ると右の始末、
照「おや何う…」
太「何うたって今狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]が這入ったのだ、何分暗くって分らぬから早く燈光を点《つ》けて来い」
と云われて、女房は慌てながら火打箱でかち/\/\/\。
五十六
お照は火を打つ所が、慌てるから中々|点《つ》かないのを漸《ようよ》うの事で蝋燭を点《とも》して、
照「何うしたの」
と見ると若い男が一人血に染って倒れて居り、また一人の娘を膝の下へ引敷いて居りますから。
照「こりゃアまア何でございます」
太「何だって今此の狼藉者[#「狼藉者」は底本では「狼籍者」]が這入ったのだ…さこれ能《よ》く面体《めんてい》を見ろ、人違いを致すな、己は人を害《あや》めた覚えも無し、敵と呼ばれて打たれる覚えも無い、これ面《おもて》を見ろ、心を静めて面を見ろ」
と云われたから、山之助が漸うに起上って燈火《あかり》で顔を見ると、成程|年齢《としごろ》は四十一二にして色白く、鼻筋通り、口元が締って眉毛の濃い、散髪の撫付《なでつけ》で、額から小鬢《こびん》に掛けて疵《きず》が有りますなれども、能く見ると顔形《かおかたち》が違って居りまする故、
山「あゝ是は人違いをした」
と思うと、
太「何うじゃ、違って居《お》ろうな」
山「はい誠に申訳がございません、全く人違いでございます」
照「人違いで敵だと云って斬込むとは人違いにも程がある、何ぼ年が行《い》かぬと云って、斬ってしまった後《あと》で人違いで済みますか、良人《あなた》はお怪我は有りませんか」
太「そんな事を云わんでも宜《よ》い、早く其処《そこ》らに散乱して居る火を消せ」
と云われて御新造《ごしんぞ》が柄杓に水を汲んで蚊遣の火が落ちた処に掛けると、ちゅうぶうと云う大騒ぎ。此の時まで只泣いて居て口の利けぬのはお繼で、今燈火の影で山之助が血に染って居《い》る姿を見て、
繼「山之助さん確《しっ》かりして下さいよ……全く人違いでございますから、何《ど》の様《よう》にもお詫《わび》をいたしますが、何卒《どうぞ》お医者様を呼んでお手当を願います」
太「そりゃア人違いと分れば手当もして遣ろうが、油断は出来ませぬ、ひょッとして又、何うもなア……全く人違いであろう」
山「はい」
太「左様か」
山「お年と云い、額の疵と云い、榊原の家来で水司又市様と仰しゃいましたから、同じお名前故に取違えましたのでございます」
太「やア是ははや是ははや、私《わし》は水司又市じゃアない、私は水島太一郎《みずしまたいちろう》という者だが、按摩に成ってからは太一と申すが、其方《そち》は水司又市を敵と狙《ねら》うのか」
山「はい」
太「やアそれは気の毒千万な事を致した、うん、うん、姉の敵で、彼《あ》の者には親の敵だと、未だ年も行《ゆ》かんで親の敵姉の敵を討とうと云う其の志ある壮者《わかもの》を、怪我させまいと背打《むねうち》にする心得だったが、困った事を致したな、是《こり》ゃア不便《ふびん》な事を致した、手が機《はず》んだから、余程|深傷《ふかで》のようだ、まア/\/\待て」
と彼《か》の按摩取太一が山之助の傷を見ると、果して余程深く切込みました。
太「こりゃア機みも機んだので、迚《とて》も助かりそうは無い……まアこれ表の鎖鑰《かけがね》を掛けろ、誰《たれ》も這入っては来《こ》まいが、若《も》し来ては成らぬから締りをして参れ、これ誠に気の毒な事だけれども、私《わし》も刃物で切込まれるから、已《や》むを得ず気の毒ながらも深傷《ふかで》を負わしたが、一体何う云う仔細でまア水司又市を敵と探す者か、此方《こちら》は手負《ておい》で居るからせつない、これ娘お前泣かずに訳を云え」
繼「はい/\、私は越中の高岡大工町の藤屋七兵衞の娘繼と申しまする者でございますが、七年|前《あと》に私の継母《まゝはゝ》と、つい前の宗慈寺と申す真言寺の永禪と申しまする和尚と不義をして、然《そ》うして親共を薪割で殺して二人で逃げました、私は丁度十二の時で、何うぞ敵を討ちたいと心に掛けまして、三年|前《あと》に高岡を出まして、巡礼を致して敵の行方を捜しました所が、更に心当りもなく、つい先達《せんだっ》て江戸へ出て参りました、参って伯父の処に厄介になって居りまする中《うち》に、この深川富川町に水司又市という人が有って、元は榊原様の家来で家敷《やしき》を出て、一|度《たび》頭髪《あたま》を剃り、又|還俗《げんぞく》して按摩をして居る水司又市と聞きました故、親の敵という一心で此方《こちら》へ斬込みましたのでございます」
太「成程お前の為には親の敵だ、またこれは姉の敵だと云ったな」
山「はい/\」
と手負《ておい》に成りました山之助が、漸《ようよ》うに血に染った手を突いて首を擡《もた》げましたが、
山「はア旦那様誠に申訳もございません、私は其の永禪と申しまする者が還俗して、また元の水司又市と申します者が、此のお繼の一旦親に成りましたお梅と申す者を尼の姿に扮《やつ》して、私の宅に泊り合せ、私の姉に恋慕を云い掛けました所が、姉が云う事を聞かぬと云うので到頭姉を殺して逃げましたのが水司又市でございます、それから私は姉の敵を討ちたいと心に掛けまして、此のお繼と二人三年越し巡礼に成って西国三十三番の札所を巡りまして、漸々《よう/\》の事で今日《こんにち》只今敵に逢いましたと存じまして、是へ参って承わりましても、貴方のお年は四十一歳、額に疵が有って元は榊原の家来水司又市と仰しゃいます故に善々《よく/\》お顔も見ずに踏込んで斬掛けました不調法の段は幾重にもお詫を致します」
太「うん二人は兄弟か」
山「えゝ是は只今は私の女房でございます」
太「うん左様か、うん是は何うも誠に気の毒千万、えん、うん水司又市あーア何うも彼奴《あいつ》は兇悪な奴だ、今に悪事を重ねる事で有るか、何う致してもなア、医者を呼んで手当をして遣ろうが、中々の深傷《ふかで》で有るて、なれども確《しっ》かり致せよ、命数尽きざる中《うち》は何《ど》の様《よう》な深傷でも、数十ヶ所縫う様な傷でも決して死ぬものじゃアない、又万一療養相叶わずして相果《あいはて》る事があれば、後《あと》に残るは貴様の女房……二人が剣術も知らずに無暗《むやみ》に敵を討とうと思っても、水司又市は中々の遣《つか》い手だから容易に討てやせぬ、手前も仔細有って其の水司又市に逢わんければ成らぬ事が有るから、貴様が万一の事が有れば娘は自分の娘にして剣術も教え、貴様は己が過《あや》まって殺したのじゃに依って、後々《のち/\》愈々《いよ/\》又市を討つ時には己が力に成って助太刀をして討たせるが、何か貴様申置く事があらば遠慮なく云えよ」
山「はい有難う、有難う、私は不調法から貴方に斬られて死ぬのは決してお怨みとは存じませんが、只水司又市に一刀《ひとたち》も怨まぬのが残念でございます、私の親と申しまする者は、元は榊原藩で貴方も御同藩な
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