さい」
婆「誰だい」
百「おゝ婆《ばあ》さまか、家のは何処へ」
婆「今日は細田まで行くってえなえ、嫁も今湯う貰いに行ったから留守うして居ますわ、まアお掛けなさい、一服お吸いなさい」
百「はア細田へ行ったゞかえ、それじゃアちょっくら帰らないなア、婆さま、まア何時も達者で宜《え》いのう」
婆「達者だってこれ何時までも生きてると厄介《やっけえ》だと思うけれども、何うも寿命だから仕様が無《ね》えだ、早く死にたいと云ったら死にたいと云うのは愚痴だって光恩寺《こうおんじ》の和尚様に小言を云われただ」
百「長生《ながいき》すれア宜《よ》かんばいじゃアないか」
婆「お前も何時も達者だねえ」
百「私《わし》アはア婆様より二十も下だが己《おれ》の割にすると婆さまは達者だ」
婆「達者では私《わし》無《ね》いだ、腰もつん曲るし役にも立たないで、夜になると眠くてのう」
百「あんたア立派な好《い》い嫁を貰って、まだ孫が出来ないだねえ」
婆「まだ出来ないよ、あんたア子供は幾人《いくたり》有るだかなア」
百「私《わし》ア二人でなア、惣領の姉に養子をしたゞが、養子は堅い人間だからまア宜《よ》いでがすが、弟の野郎が十三になり奉公をすると云うので、それからまア深川の菓子屋へ奉公に行ってるだ」
婆「はえゝ然《そ》うかえ、もう十三だって、早いもんだのう」
百「それで何だ、深川の猿子橋の側の田月《たげつ》という大《でか》い菓子屋の家に奉公をしてるだが、時々まアそれ親が恋しくなると見えて、来て呉れというので、私《わし》も野郎が厄介に成ると思って、菜の有る時は菜を抜いて持ってッたり、また茄子《なす》や胡瓜《きゅうり》を切って売《うり》に持って行《ゆ》く時にゃア折々店へも行くだ、するとまア私が帰ろうと云うと後《あと》から忰が出て来て、是は菓子の屑だから、父《とっ》さま帰ったらお母《っかあ》に食わせて呉れ、こりゃア江戸なア菓子だと云ってよこすから盗み物でア悪いぞと云うと、なに菓子屋じゃア屑は無暗《むやみ》に食うのだが、己《おれ》ア食いたくないから取っといて遣るのだと云って己《おら》がにくれる、己も心嬉しいから持って来て婆《ばゝあ》に斯う/\だと云うとなア、婆さま家の婆が悦びやアがって、江戸なア菓子はえらく甘《あめ》えって悦ぶだア」
婆「はえーい感心な子だのう、親の為に食い物を贈る様な心じゃア末が楽しみだアのう」
百「所がのう婆さま、忘れもしねえ去年|中《ちゅう》、飛んだ目に逢ったゞ」
婆「はえーい何うしたゞえ」
百「何うしただって婆さま、押込《おしこみ》が這入《はえ》ったゞ」
婆「はえーい何処《どけ》えなア」
百「忰が行ってる菓子屋へ這入《はえ》ったなア、こりゃア何うも怖《おっか》なかったって、もう少しの事で殺される所だってえ」
婆「はえーい」
五十四
百「まだ宵の事だと云うが、商人《あきゅうど》の店は在郷《ざいご》と違って戸を締めても潜《くゞ》りの障子が有るから灯火《あかり》が表から見えるだ、すると婆様《ばあさま》、其処《そこ》をがらり明けて二人の泥坊が這入《はえ》って、菓子呉れと云いながら跡をぴったり締めて、栓を鎖《か》ってしまったゞ、店には忰と十七八の若い者と二人居る処《とけ》え来て、声[#「声」は底本では「處」]を立てると打斬《ぶちき》ってしまうぞと云うから、忰も若い者も口が利けない、すると神妙にしろ、亭主は何処《どこ》にいる、金は何処に有るか教えろ、声を出すと打斬ってしまうぞと云うから何うも魂消《たまげ》たねえ、それからなえ婆様、這入《はえ》った奴は泥坊で自分が縛られつけてるから人を縛る事が上手で、すっかり縛って出られないようにして、中の間《ま》の柱に繋《くゝ》って置いて、然《そ》うして奥の間へ這入《はえ》ると、旦那が奥の間で按摩取《あんまとり》を呼んで、横になって揉ませて居る其処《そけ》えずっと這入《はい》って来て、さア金え出せ、汝《われ》が家《うち》は大《でか》い構えの菓子屋で、金の有る事は知ってる、さア出せ、ぐず/\しやアがると拠《よんどこ》ろなく斬ってしまうぞ、さア金を出せと云うから、旦那は魂消たの魂消ないの、まるで旦那は口い利かれない、只今上げます/\命はお助け、命だけは堪忍して呉れと云うと、命までは取らぬ、金さえ出せば帰るから金え出せと云うので、其処《そけ》え蹲《つく》なんでしまっただ、するとお前《めえ》旦那を揉んでいた按摩取がどえらい者で、其処《そこ》に有った火鉢を取って泥坊の顔へぶっ投《ぽ》った」
婆「はえい怖《おっか》ないなアまア、うん、ぶっ投《ぽ》って火事い出来《でか》したかえ」
百「なに火事でなえ、灰が眼に這入《はえ》って、是アおいないと騒ぐ所へ按摩取が一人で二人の泥坊を押えて、到頭町の奉行所へ突出《つきだ》したと云うのだが、何と剛《つえ》い按摩取じゃアないか、是でお前《めえ》旦那も助かり、忰も助かったゞ、それからお前、誠に有難い、お礼の仕様がないと云う訳で、物も取られず、怪我もせず斯《こ》んな嬉しい事アないが、お前は何処なア按摩取だと云うと、私《わし》は是から五六町先の富川町《とみかわちょう》にいて按摩取を致します、旅へ出てる中《うち》に眼《まなこ》悪くて旅按摩に成りましたと云うから、何か礼をしたいもんだが何か欲しい物はないか、金を遣《や》りましょうと云うと、金は入りません難儀を救うは人間の当然《あたりまえ》で、私は何も欲しい物は有りませんが、富川町へ引越《ひきこ》してから家内が干物《ほしもの》をする処が無いに困ってる、私も草花が好《すき》だから草花でも植えて楽《たのし》みたいと思うそれには少し許《ばかり》の地面と井戸が欲しいと思って居りますと云うので、旦那は金持だから、それじゃア地面を買って遣ろうと云って、井戸も掘って[#「掘って」は底本では「堀って」]、茄子の二十本|許《ばかり》も植える様にして充《あて》がったゞが、何うも彼《あ》の按摩取は只の人でなえ、彼の泥坊を押える塩梅《あんばい》が只ではなえと思って旦那が聞いたら、元は侍だが仔細有って坊様に成りまして、それから私が眼《まなこ》潰れましたが、だん/\又宜く成りまして、只今では按摩取を致しますと云うから、何うも然《そ》うだんべえ、何でも只の人でなえと思ったッて、私《わし》もまア一寸《ちょっと》年始に行った時見たが立派な武士《さむらい》で、成程只の按摩取でなえ、黒の羽織を着て、短い木刀を差して、然《そ》うして按摩をしたり、針をしたり何かするって、針も中々えらいもんだって、大変に流行《はや》るだ、何でもその按摩の名は一徳《いっとく》とか何とか云ったっけ」
婆「はえーい元は侍だって、何様《どん》な人だえ」
百「うん、何とか云ったッけ忘れた、ん、ん何よ元は榊原様の家来で、一旦坊様に成ってまた還俗《げんぞく》したと云うが、何でもはア年は四十二三で立派な男だ」
婆「はえーい然《そ》うかなえ」
と話をして居ると、部屋に居ったお繼が突然《いきなり》飛出して来まして、
繼「おじさんお出《い》でなさい只今承わりました、元は侍で、一旦出家に成りまして、また還俗致して按摩取に成ったと云うのは、名前は何と申しますか、その人の額に疵《きず》が有りますか」
百「はい……おや巡礼どんが出掛けて来た」
婆「なにこれア己《おら》が孫だよ」
百「へえ婆さま、斯《こ》んな孫が有ったかえ」
婆「少《ちい》さい時から他《わき》へ往ってたから、貴方《あんた》ア知んなえが」
百「そうかねえ……額に疵が有りますよ」
繼「じゃア年は何でございますか、四十ぐらいに成りますか」
百「えゝ然うさ、四十もう一二ぐらいであろうか」
繼「元は榊原の家来に相違有りませんか」
百「えゝ然ういう話だなえ」
これを聞くと山之助が出て来て、
山「只今蔭で承まわりましたが、その男は顔に疵がございまして、もとは侍で、一旦出家いたして、その還俗した者というお話でございましたが、其の名前は水司又市と申しますか」
百「おや/\/\また巡礼どんが」
婆「是も己《おら》がの孫だよ」
百「婆さま、お前《めえ》はまアえらく孫が幾人《いくたり》も有るなア……然うだ、己《おら》アもう忘れたが、アんたア[#「アんたア」はママ]云う通りの名前だっけ、あんたア宜く知ってるなア」
繼「それだよお婆さん」
婆「まあ然うかえ」
繼「本当だよ、観音様の御利益は有難いもの、本当に豪《えら》いもんだねえ」
百「えゝそりゃア実に豪いもんで、もう少しで忰もぶち斬られる所だったが……後《あと》で泥坊をお調べになったら、一人は浪人者で極《ごく》悪い奴だ、何とか云った、元は櫻井の家来で、それからが化物《ばけもの》のような名前で、柳の木の幽霊、細い手の幽霊いや柳の木に天水桶《てんすいおけ》か、うんそうじゃない、浪人者は柳田典藏で、細い手と云うのは勇治とかいう胡麻の灰という事が分って、お処刑《しおき》に成ると云う話だ」
婆「……おいこれえ待て/\、これえ待たねえか、汝《われ》が二人駈出しても文吉が帰って来ないば、向うは泥坊を生捕《いけど》るくれえな又市だから、汝が駈《か》ん出してもか細い腕で遣りそこなっては成んねえが、これ/\待っちろ、文吉が帰ったら相談ぶって三人で往《い》けよ…」
と云ったが敵に逃げられては成らぬと云うので富川町の斯々《これ/\》斯々と聞くや否や飛立つばかりの喜びで、是から直《す》ぐに巡礼の姿に成って、苞《つと》の中へ脇差を仕込み、是を小脇に抱え込んで飛出し、深川富川町の按摩の家《うち》へ、山之助お繼が飛込みまして、愈々《いよ/\》猿子橋の敵討に相成りますると云うお話になります。一寸《ちょっと》一ぷく。
五十五
引続きまする巡礼敵討のお話で、十八歳に成りまするお繼に、十九歳に相成りまする白島山之助が、互に姉の敵親の敵を討ちたいと、三年の間諸方を尋ねて艱難苦労を致しましたる甲斐有って、思わずも只今お百姓が来ての物語に、両人《ふたり》は飛立つ程嬉しく思いますから婆アの留《とめ》るのも聞入れずに見相《けんそう》を変え、振払って深川富川町へ駈出します。すると暫《しばら》く経《た》って帰ったのは伯父の文吉でございます。婆《ばゝあ》は両人が駈出してから立ちつ居つ心配して泣いて騒いでも、七十を越した婆様《ばあさま》でございますから、只騒いで心配するばかり、何うする事も出来ません。
文「婆さま、今帰りました」
婆「おゝ文吉|帰《けえ》ったか、己《おら》アまア心配ばかりして居ったが、何うもまア飛んだ訳に成ったゞよ」
文「何うしたゞえ、何時でも婆さまは仰山な事を云って己《おら》ア本当に魂消《たまげ》るよ、まア静かに」
婆「静かにたって、お前《めえ》先刻《さっき》茂左衞門《もざえもん》が家《うち》へ来ての話に、敵の水司又市が深川の富川町で按摩取に成ってると云う事を話したゞ、するとお前、お繼も山之助も飛上って、さア是から直《すぐ》に敵を討ちに行《ゆ》くと云うから、待てえ、向うは泥坊を取って押えるような豪《えら》い侍だから、か弱い汝《おめえ》ら二人で駈《か》ん出しても仕様がない、返り討にでも成ってアならねえから待っちろと云うのに、聞かないで駈ん出すから、己《おら》ア出て押えようと思ったら、突転《つきこか》して駈ん出すだ、追掛《おっか》けることも出来なえから、早く汝《われ》が帰らば宜《よ》いと心配ぶって居たゞ、早く何うかして追掛けて呉んなよ」
文「こりゃア困ったなア、それだから己《おら》が不断から然《そ》う云って置くだ、二人で行っても屹度《きっと》先方《むこう》に斬られもんだ、よしんば斬られんでも怪我アするは受合いだアから、何《ど》んな事が有っても己を待ってる様に云うだ、婆様何故遣ったゞえ」
婆「何故遣るたっても遣らない様に仕ようと思うと、突除《つんの》けて行って、留《とめ》ても留らぬから仕様がないだ」
文[#「文」は底本では「山」]「そりゃア困ったなア……これ嘉十《かじゅう》手前《てめえ》も一緒に行《ゆ》け、二人に怪我をさしては成んねえから、己《おら》も直ぐ
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