《すはら》という処に泊りましたが、宮之越から此処迄は八里半五丁の道程でございます。斯様に始終両側を流して同じ宿には泊りまするが、なれども互いに怖くて言葉を掛けません。これから皆様御案内の通り福島を離れまして、彼《か》の名高い寝覚《ねざめ》の里を後《あと》に致し、馬籠《まごめ》に掛って落合《おちあい》へまいる間が、美濃《みの》と信濃の国境《くにざかい》でございます。此の日は落合泊りのことで、少し遅くは成りましたが、急ぎ足ですた/\/\/\と馬籠の宿を出外《ではず》れにかゝりますると、其処《そこ》には八重《やえ》に道が付いて居て、此方《こっち》へ往《ゆ》けば十曲峠《じっきょくとうげ》……と見ると其処に葭簀張《よしずばり》の掛茶屋《かけぢゃや》が有るから、
繼「少々物を承わりとう存じますが、これから落合へまいりますには何う参りましたら宜うございますか」
 と云いましたが、婆さんは耳が遠いと見えて見返りもせずに、頻《しき》りに土竈《へッつい》の下の火を焚《た》いて居りますから、また、
繼「あの是から、落合へ行《ゆ》くには此方《こちら》へ参って宜うございますか」
 と云うと、奥の方に腰を掛けて居た侍は、深い三度笠をかぶり、廻し合羽を着て、柄袋の掛った大小を差して、盲縞《めくらじま》の脚半に甲掛、草鞋という如何にも旅慣れた扮装《こしらえ》、
侍「是々巡礼落合へ行《ゆ》くなら是を左の方へ付いて行け」
繼「有難う存じます」
 と是から教えられた通り左へ付いて行くと、何処まで行ってもなだれ上《あが》りの山道で、見下《みおろ》す下の谷間《たにあい》には、渦を巻いてどっどと落す谷川の水音が凄まじく聞えます。日はとっぷりと暮れて四辺《あたり》は真暗《まっくら》になる。とお繼は気味が悪いから誰か人が来れば宜《い》いと思うと、後《うしろ》の方からばらばら/\/\/\
「巡礼、巡礼|暫《しばら》く待て」
 と云われたが真暗で誰だか分りません。

        四十八

侍「これ巡礼」
繼「はい/\/\」
典「思い掛けねえ、手前《てめえ》久振で逢ったなア」
繼「はい何方《どなた》でございます」
侍「何方もねえもんだ、己は桑名川村にいた柳田典藏だが、汝《てめえ》の姉のお蔭で苛《ひど》い目に逢って、あれまで丹誠した桑名川村に居《い》られないように成ったのだ、その時は家財や田地を売払って逃げる間も無いから、漸《ようや》く有合せの金を持って逃げて、再び桑名川村へ帰る事も出来ぬような訳だ、その上右の手の裏へ傷を受け、その疵《きず》を縫って養生するにも長く掛ったが、先刻《さっき》己が寝覚を通りかゝると汝が通るから、これは妙だ、何ういう訳で巡礼に成って出るかと思って跡を尾《つ》けて来たんだ」
繼「はい何方でございますか、人違いでございましょう、私《わたくし》は左様なものではございません」
典「汝は其様《そん》なことを云って隠してもいけねえ、先刻おれが笈摺を見たら、信州|水内郡《みのちごおり》白島村白島山之助と書いて有った」
繼「えゝ」
典[#「典」は底本では「繼」]「さ其の通り書いて有るから仕方がねえ」
繼「いゝえ私《わたくし》は左様な者ではございません、私は越中高岡の者で」
典「えゝ幾ら汝が隠したっても役に立たねえ、姿は巡礼だが、汝《てまえ》[#ルビの「てまえ」はママ]が余程《よっぽど》金を持ってる事ア知ってる、さ己が汝《てめえ》の姉の為に斯《こ》う云う姿になった代りに金を強奪《ふんだく》って汝を殺すのだが、金を出しゃア命は宥《ゆる》して遣《や》ろう、おれは追剥《おいはぎ》をするのじゃアねえけれども、この頃では盗人《ぬすびと》仲間へ入《へい》った身の上だ、斯う成ったのも実はと云うと、汝兄弟[#「兄弟」はママ]のお蔭なんだ、さア金を出せえ」
繼「私《わたくし》は左様な者ではございません、私は其の山之助と云う者ではございません、私は越中高岡の宗円寺という寺から参りました者で」
典「えゝ何と隠してもいけねえや、ぐず/\云わんでさっさと出せ、若《も》し強情を張ればたゝんでしまうぞ」
繼「いゝえ私《わたくし》はそんな人じゃア」
典[#「典」は底本では「繼」]「えゝ打斬《ぶっき》ってしまうぞ」
 と柳田典藏が抜いたから光りに驚いて、
繼「あれえ」
 と一生懸命に逃げに掛るのを後《うしろ》から、
典「待て」
 と手を延《のば》して菅笠[#「菅笠」は底本では「管笠」]の端を捉《と》ったが、それでも振払って逃げようとする機《はず》みに笠の紐がぷつりと切れる。一生懸命に逃げる途端道を踏外《ふみはず》して谷間《たにあい》へずうーん…可愛そうにお繼は人違いをされて谷へ落ちまする。すると、是を知らぬ山之助は、是も落合まで行《ゆ》く積りで山道へ掛って来ますると、後《あと》からぱた/\/\/\/\と追掛けて来たのは、勇治《ゆうじ》という胡麻の灰。
勇「おい/\巡礼々々」
山「あい」
勇「己は汝《てめえ》と須原で合宿《あいやど》になり、宮之越でも合宿に成った者だ」
山「左様でがすか」
勇「左様でがすかじゃアねえ、これ道中をするには男の姿でなけりゃア成らぬと云うので、そういう姿に成ってるが、汝は女だな」
山「いゝえ私は男でげす」
勇「隠したってもいけねえや、修行者でも商人《あきんど》でも宜く巡礼の姿に成って来ることが有るが、汝は手入らずの処女《きむすめ》に違《ちげ》えねえ、口の利き様《よう》から外輪《そとわ》に歩く処は、何う見ても男のようだが、無理に男の姿に成って居ても乳が大きいから仕方がねえ」
山「何を仰しゃるのだえ、私はそんな者ではございません、全く男でござります」
勇「いけねえ、何でも女に違えねえ、今夜己が落合へ連れて行って一緒に□□□□ようと思って来たんだ」
山「冗談を云っちゃアいけません」
勇「冗談じゃアねえ、汝を宿屋へ連れて行ってから、きゃアぱア云われちゃア面倒くさいから、こゝで己の云う事を聴いたら、得心の上で宿屋へ泊って可愛がって遣るのだ、ぐずッかすると宿場へ遣って永く苦しませるぞ、さア此処はもう誰も通りゃアしねえ、その横へ這入ると観音堂が有って堂の縁が広いから」
山「冗談しちゃアいけません、私は其様《そん》な者じゃアございません」
勇「そんな事を云っちゃアいけないよ、お前が宿に泊って湯に這入る時に大騒ぎをするから、肌襦袢に縫付けて金を持ってる事もちゃんと承知だ」
山「何をなさる」
勇「何をと云って何うせ此方《こっち》は盗みが商売だから」
山「無闇な事をなさるな」
勇「無闇が何うする、斯うだぞ」
山「何うもいけません、何をなさるのだ」
 と山之助が勇治の頬片《ほゝぺた》をぽんと打ちました。処が山之助は白島村に居る時分に、牛を牽《ひ》いたり麁朶《そだ》を担《かつ》いだりして中々力のある者、その力のある手で横っ面を打たれたから、こりゃア女でも中々力がある、滅法に力のある女だと思って、
勇「何をする、汝がきゃアぱア云やア拠《よんどこ》ろなく叩き斬るぞ」
 本当に斬る気では有りませんが、嚇《おど》して抱いて寝る積りで、胡麻の灰の勇治がすらり抜くと山之助も脊負《しょ》っている苞《つと》から脇差を出そうかと思ったが、いや/\怪我でもしてはならぬ大事の身体と考え直して、
山「人殺《ひとごろし》い……泥坊……」
 と横道へばら/\/\/\/\。

        四十九

勇「この女《あま》っちょめ」
 と追掛《おいかけ》られて逃途《にげど》がないが、山之助年は十七で身が軽いから、谷間《たにあい》でも何でも足掛りのある処へ無茶苦茶に逃げ、蔦蘿《つたかずら》などに手を掛けて、ちょい/\/\/\と逃げる。殊に山坂を歩き慣れて居るから、木の根方に足を掛けて歩く事は上手です。なれども始めての処で様子を知りませぬから、一生懸命死者狂いになって逃げると、細手《ほそくて》の勇治は、
勇「なに此の女っちょ」
 とは云っても谷間を歩くのは下手で追掛ける事は出来ません。何うした事か山之助が足掛りを踏外したから、ずずうと蔦が切れたと見えて、両手に攫《つかま》ったなり谷底へ落ると、下には草が生えた谷地《やち》に成って居り、前はどっどと渦を巻いて細谷川が流れます、
山「はアー何うも怖い事、伯父さんがそう云った汝《てめえ》一人で縱《たと》え敵討をする心でも大胆だ、とても西国巡礼は出来ぬ、道中は、怖いもので、昔これ/\のことが有ったと云って意見をなすった、それでもと云って覚悟はしたが怖いなア、こりゃアいけない、柄杓を落してしまった…だが彼奴《あいつ》はまア何だろう、私を女と思って居やアがって、無闇と人の頬片《ほッぺた》へ髭面《ひげつら》を摩《こす》り附けやアがって……おや笠を落してしまった、仕様が無いなア……おや笠は此処に落《おッこ》ちてる、先刻《さっき》落《おッこ》ちる機《はず》みに柄杓を……おや柄杓も此処におや/\巡礼も此処に落《おッこ》ちてる……」
 と谷地《やち》を渡って向うへ行《ゆ》きますると、草の上へ仰向反《のけぞり》になって居る巡礼が有るから、
山「おう/\/\/\可愛そうに、此の人は洗馬で向側《むこうがわ》を流して居て、宮之越で合宿《あいやど》になった巡礼だ、其の時は怖いと思ったから言葉も掛けなかったが、何うも飛んだ災難じゃアないか、此の人は何うしたんだろう、目をまわして居る、おい巡礼さん何処の巡礼さんか確《しっ》かりしなさいよ、此処は谷の中でございますよ、可愛そうに何うしたんだろう、此の笠も柄杓も此の人のだ、己のじゃアない、だがまア何うしたんだろう、おゝ薬が有ったッけ」
 と貯えの薬を出して、飲ませようと思いましたが、確かり歯を喰《くい》しばって居りますから、自分に噛砕《かみくだ》いて、漸《ようや》くに歯の間から薬を入れ、谷川の流れの水を掬《すく》って来て、口移しにして飲ませると薬が通った様子、親切に山之助が摩《さす》って遣りますと、
繼「有難う/\」
山「お前さん確かりなさいよ」
繼「はい」
山「大丈夫です、私は胡散《うさん》な者じゃアございませんよ、私はお前さんと後先《あとさき》に成って洗馬から流して来た巡礼でございますよ」
繼「はい有難う怖い事でございました」
山「成程お前さんは何うなすったの」
繼「何うしたんでございますか人違いでございましょうが、私が山路に掛って来ると、後《あと》から大きな侍が追掛けて来まして、左様《そう》して私にねえ、汝《てめえ》は白島の山之助とか何とか云って、誠に久しく逢わなかったが汝の姉のおやまゆえに斯んな浪人に成ったから、汝の持ってる金を取って意趣返しをすると云うから、私は左様《さよう》な者で無いと云いますと、突然《いきなり》脇差を抜いたから、一生懸命に逃げようと思って足を踏外して、此処へ落ちましてございます」
山「それはお気の毒様、それじゃア私と間違えられたのだ、白島の山之助と云いましたか」
繼「はい」
山「その男は何と云う奴で」
繼「あの柳田典藏とか云いました」
山「それは大変、何うもお気の毒様、お前さんを私と間違えたのでございます」
繼「左様《そう》でございますか、私はそんな者でないと言いわけを云っても聞きませんで」
山「そりゃア全く私の間違いです、お…前さん女でございますねえ」
繼「いゝえ」
山「それでも今私が抱いて起した時に乳が大きくて、口の利き様も女に違いないと思います」
繼「左様でございますか、私は本当は女でございます」
山「左様でしょう、それじゃア私はお前さんと間違えられたのだ、私が山道へ掛ると胡麻の灰が来て汝《てめえ》は女だろうと云うから、いえ私は女ではないと云うと、そんな事を云っても乳を見たから女に違いない、金を持ってるから出せなんと云って私の頬片《ほっぺた》を嘗《な》めやアがったから、其奴《そいつ》の横面《よこつら》を打《ぶ》った処が、脇差を抜いたから、私は一生懸命に泥坊/\と云って逃げる途端に、足を踏外して此処へ落《おっこ》ちたんだ」
繼「おやまアお気の毒様」
山「私の方がお気の毒様だ」
繼「お前さん何処《どこ》へお出でなさるの」
山「私は
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