から、支度をして相当の処へ縁付けたいと思って居るのじゃ」
萬「それははや有難い事でござります、それ程に思召《おぼしめ》して下さりますとは、何とお礼の申し様もないでござります、はい/\何うも有難い事でござります」
和「就いてなア彼奴《あいつ》は何ういう訳だか知らぬが、この高岡に永く居る気は無いと見えてなア遠くへでも行《ゆ》く心が頻《しき》りと支度をして、草鞋《わらじ》を造る処へ行って、足を噛《く》わぬ様に何うか五足|拵《こしら》えて呉れえとか、菅《すげ》の笠を買うて来て、法達《ほうたつ》に頼んで同行二人《どうぎょうににん》と書いて呉れえとか、それから白の脚半《きゃはん》も拵え笈摺《おいずる》も拵えたから、何でも西国巡礼にでも出るという様子でなア」
萬「へえそれは/\何で其様《そん》な馬鹿な事を致しますえ」
和「何ういう訳か知らぬが、まア此処に居るのが厭《いや》なので、並の女では旅が出来ぬから、巡礼の姿に成って故郷の江戸へでも行《い》こうと云う心かと思うが、それに就いても預かって居るのは心配じゃから、お前に此の事を話すのじゃ」
萬「こりゃアとんだ事で、何うも此方様《こなたさま》の御恩を忘れてぷいと巡礼に成って、一体まア何処《どこ》へ行《い》く気でござりましょう」
和「何処と云って、まア西国巡礼だろう」
萬「はいイ大黒巡礼と申しますると」
和「なに西国巡礼だ、西国巡礼と云って西の国を巡《めぐ》るのじゃ」
萬「成程、へえ成程、そう云えば左様《そう》いう事を聞きました」
和「なにそう云う事を聞きましたも無いもの、西国巡礼を知らぬ奴が有りますか」
萬「和尚様、どうぞ一寸《ちょっと》お繼を此処《こゝ》へお呼なすって下さい」
和「あい呼びましょう……繼や居るか」
繼「はい…」
 とは云ったが次の間で話を聞いて居りましたから、これは何でも叱られる事かと思いましたが、つか/\/\と出て来て和尚の前へ両手を突きます。……見ると大髻《おおたぶさ》の若衆頭、着物は木綿物では有りまするが、生れ付いての器量|好《よ》しで、芝居でする久松の出たようです。

        四十六

繼「お呼び遊ばしましたのは……おや叔父さん宜く」
萬「宜くたってお前急にお人だから来たんだ、おいお前なにか西国巡礼を始めるという事だが、何うも飛んだ話だぜ、和尚様の御恩を忘れては済まないじゃア無いか、それで和尚様は預かってる者が居なくなると困るから、私《わし》を呼んだと仰しゃるのだ、全体お前、何だって巡礼に出るのだえ、誰か其様《そん》な[#「其様《そん》な」は底本では「其様《そんな》な」]事を勧めたのかえ」
和「まア待ちなさい、お前のように半ばから突然《いきなり》に云い出しても、繼には分りゃアしない、始めから云いなさい」
萬「私《わし》は気が短いもんですから、突然《いきなり》出任《でまか》せに云いますので……えゝお繼お前何ういう訳で巡礼に出るのだえ、十二の時から御厄介になって十六まで和尚様が御丹誠なすって、全体お前は両親が無いじゃアないか、そこを和尚様が御丹誠なすって下すって誠に有難いことだ、それのみならず、もう年頃に成るから永く置いてはいけないから、相当な処へ縁付けたいと仰しゃってる、男の積りにして有ったがもう十六七に成れば臀《しり》がぶて/\して来るし、乳も段々とぽちゃ/\して」
和「これ萬助どん、余計なことを云わいでも宜いわな」
萬「でも貴方の仰しゃった通りに云うので……それで段々女に見えるから嫁《かたづ》けたいと云って支度の金《きん》までも出して下さる、それをお前が無にして行《ゆ》かれちゃア私《わし》が申訳が無くて困る、何だってまた、西国とは何だえ、西国とは西の国だ、そんな遠い処へひょこ/\行《い》こうと云うのは屹度《きっと》連れが有るに相違ない、えゝ私は永い間お祖父様《じいさん》の時分から勤めたのだが、お前のお父《とっ》さんが意気地《いくじ》なしだから此方《こっち》へ引込《ひっこ》んで来なすった、それで私は銭も何も有りやアしないが、大工町に世帯を持たしたが、引込むくらいだから何も出来やアしない、それから和尚様の御丹誠で悪党の一件の後《あと》の始末を附けられないのを、皆御丹誠下すった、それを今お前がぷいと行ってしまっては和尚様に済まない、己も亦方丈様に済まない、済まないよ、方丈様によ」
和「まア/\そう小言を云いなさるな……お繼何も隠さいでも宜い、何ういう訳で白の脚半や笈摺《おいずる》や柄杓《ひしゃく》を買ったのだの、大方巡礼にでも出る積りであろうが、何の願いが有って西国巡礼をするのじゃい、巡礼と云えば乞食同様で、野に臥《ふ》し山に寝、或《あるい》は地蔵堂観音堂などに寝て、そりゃもう難行苦行を積まなけりゃア中々三十三番の札を打つ事は出来ぬもんじゃ、何う云うものだえ、巡礼に出るのは」
繼「はい然《そ》う旦那様が笈摺を拵《こしら》えた事までも御存じでございますれば、お隠し申しは致しません、叔父さん…萬助さんお前さんにも永々御厄介に成りましたけれども、私の親父を殺して逃げたのは、永禪和尚と継母《まゝはゝ》お梅の両人《ふたり》に相違ございません、小川様のお調べでも親を殺したのは永禪和尚と分って居り、永禪和尚は元は榊原様の家来で水司又市と申す侍と云う事も、小川様のお調べで分って居りますが、お父さんが非業に殺され堂の縁の下から死骸が出ましたのを見てから、寝ても覚めても今迄一|時《とき》も忘れた事はございません、実に悔しいと思いまして、夜も枕を付けると胸が塞《ふさ》がり、枕紙の濡れない晩は一晩もございません、それで何うかお父さんの敵《かたき》を打とうと思いましても、十一や十二では迚《とて》も打つことは出来ませんが、もう十六にも成りましたし、お弟子さんのお話に三十三番札所の観音様を巡りさえすれば、何《ど》んな無理な願掛《がんが》けでも屹度《きっと》叶うということを聞きまして、何うせ女の腕で敵を打つ事は無理でございますが、三十三番の札を打納《うちおさ》めたら、観音様の功力《くりき》で敵が打てようかと存じまして、それ故私は西国巡礼に参りたいので、実は笈摺も柄杓《ひしゃく》[#ルビの「ひしゃく」は底本では「ひゃくし」]も草鞋までも造ってございますから、誠に永々お世話様に成りましたのを、ふいと出ては恐れ入りますが、いよ/\参る時はお断り申そうと思って居りましたところ、ちょうど只今お話が出ましたから隠さずにお話し申します、何卒《どうぞ》叔父さんからお暇《ひま》を頂いて巡礼にお出しなすって下さい、私は江戸に兄が一人有りまして、今では音信《いんしん》不通、縁が切れては居りますが、その兄が達者で居りますれば、それが力でございますから、兄弟二人で敵を打ちまする心得、何《いず》れ無事で帰って来ましたら、御恩返しも致しましょうから、何卒叔父さん和尚様にお暇《いとま》を頂いて敵討《かたきうち》にお遣《や》りなすって下さいまし」
萬「旦那様え、敵討え、旦那様」
和「いやはや何うもえらい事を云い居《お》るな、何うじゃろう萬助」
萬「どうも、飛んだ事を云い出しました……敵討……年の行《い》かぬ身の上で、お父さんの敵を討ちたいというのは善々《よく/\》此の子も口惜《くや》しいと見えます、もし旦那様、私《わし》も何うも、それは止《よ》すが宜《よ》いとは云い悪《にく》うござりますが、何うしたら宜うございましょう」

        四十七

和「これは何うも留《とめ》ることは出来ぬなア、思い立ったら遣《や》るが宜い」
萬「遣るたって何うも私《わし》は主人の娘が敵討をすると云うなら、一緒に行《ゆ》きてえのだが、今いう通り婆が死に掛って居るから、それを置いて行く訳にもいきませんが、一人で行《い》かれましょうか」
和「いや其処《そこ》は所謂《いわゆる》観音力で、何《ど》んな山でも何んな河でも越えられるのが観音力じゃ、敵を討ちたいという的《まと》が有って信心して札を打てば、観音の功力《くりき》で見事敵を討遂《うちおわ》せるだろう、こりゃア望《のぞみ》の通り立たせるが宜《よ》い」
萬「はい/\/\」
和「じゃア斯《こ》うしよう、是は追々に預かった小遣の貰い溜め、また別に私《わし》が遣りたい物もあり、檀家から貰うた物も有ります、沢山《たんと》持って行《ゆ》くのは危いから、襦袢の襟や腹帯に縫い付けてなア、旅をするには重いから、軽い金に取換えて、そうして私が路銀に足して二十両にして遣ろうかえ」
繼「有難う存じます」
萬「私《わし》も遣りてえが、銭がねえ、此処《こゝ》にある一分二朱と二百文、これを皆《みんな》遣ってしまおう、さ私は是れが一生懸命に遣るのだ」
繼「有難う存じます」
 是から檀家へ此の話を致しますると、孝行の徳はえらいもので、彼方此方《あちらこちら》の檀家から大分《だいぶ》餞別が集まって、都合三十両出来ました。その内二十両はぴったりと腹帯肌襦袢に縫付けて人に知れぬように致し、着慣れませぬ新らしい笈摺を引掛《ひきか》け、雪卸《ゆきおろ》しの菅《すげ》の笠には同行二人《どうぎょうににん》と書き、白の脚半に甲掛草鞋《こうがけわらじ》という姿で、慣れた大工町を出立致しまする。其の時には土地の者も憐《あわ》れに心得て、とうとう坂井まで送り出したと申す事でござります。これから先《まず》高田へ来ましたのは、水司又市は以前高田藩でございますから、若《も》しも隠れて居りはせぬかと、高田中を歩きましたが、少しも心当りがございませんから、此処を出立して越後路を捜したが、頓《とん》と手掛りが有りません。だん/\尋ねて新潟へ参ると、新潟は御承知の通り人出入りの多い処でございますから、だん/\諸方を歩いて聞きますると、人の噂に川口には不思議な尼がある、寺男がお経を教えて、尼が教わるということだが、大方あれは野合《くッつきあ》って逃げた者であろう、寺男は何でも坊主で、女は何歳《いくつ》ぐらい、是々《これ/\》是々と云うことが、ぷいとお繼の耳に這入ったから、扨《さて》はと直《す》ぐに川口へ来て尋ねると、つい先日《さきのひ》出立したと云うことを聞きましたから、さては山越しをして信州路へ掛ったのではないかと思いまして、信州路へかゝりましたが、更に手掛りがございませんから、信州路へ這入って善光寺へ参詣をいたし、善光寺から松本へかゝって、洗馬《せば》という宿《しゅく》へ出ました。洗馬から本山《もとやま》へ出、本山から新川《にいがわ》奈良井《ならい》へ出て、奈良井から藪原《やぶはら》へ参りまするには、此の間に鳥居峠《とりいとうげ》がございます。其の日は洗馬に泊りまして、翌朝《よくちょう》宿を立って、お繼が柄杓を持って向う側を流して居ると、その向側《むこうがわ》を流して行《ゆ》く巡礼がある。と見ると、是も同じ扮装《いでたち》の若衆頭《わかしゅあたま》、白い脚半に甲掛草鞋笈摺を肩に掛け、柄杓を持って御詠歌《ごえいか》を唄って巡礼に御報謝《ごほうしゃ》を…はてな彼《あ》の人も一人で流している、私は随分今まで諸方を流して慣れてるから、もう此の頃はそんなに旅も怖いと思わぬが、彼の人は未だ慣れない様子、誰か連《つれ》でもある事か、それとも一人で西国へ参詣をするのか、矢張《やっぱり》三十三番の札を打ちに行《ゆ》く人では無いかと思いましたが、道中の事で気味が悪いから、迂濶《うっかり》と尋ねることも出来ません。その此方側《こちらがわ》を流して通ると云うのは、白島山之助が姉の敵を討ちたいと申して、無理に伯父に暇《いとま》を乞うて出立した者、山之助も向うへ巡礼が来るなと思いましたけれども、知らぬ人に言葉を懸けて何様《どん》な事が有るかも知れぬ、姿は優しいが油断は成《なら》ぬと思って言葉を懸けません、其の晩は鳥居峠を越して宮之越《みやのこし》に泊りましたが、丁度八里余の道程《みちのり》でございます。翌朝お繼は早く泊りを立出《たちい》でゝ、前《せん》申す巡礼と両側を流し、向うが此方《こちら》へ来れば、此方が向側と云う廻り合せで、両側を流しながら遂々《とう/\》福島を越して、須原
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