な」
やま「どうぞ召上って」
 となみ/\とつぐ。素《もと》より好きな酒、又市二三杯飲むうち、少し止めて居たから顔へ色がぼうと出ましたけれども、桜色という訳にはいきません、栗皮茶《くりかわちゃ》のような色に成りましたが、だん/\酔《えい》が廻りますと、もとより邪淫奸智《じゃいんかんち》の曲者《くせもの》、おやまは年齢《とし》二十二でございます、美くしい盛りで、莞爾《にっこり》と笑います顔を、余念なく見て居りましたが、
又「あゝ見惚《みと》れますねえ、お前さんの其の、品の良いこっちゃなア…あゝ最う十分に酔《え》いました、もしおやまさん/\」
やま「はい」
又「あの何《なん》で、この先に伯父さんが有るが、彼《あれ》はあなたの真実の伯父さんかえ」
やま「はい私《わたくし》の真実の伯父でございます」
又「御両親はないのかえ」
やま「はい両親はまアない様なものでございます、母は亡なりましたが、親父は私《わたくし》の少《ちい》さい時分行方知れずに成りましてから、いまだに音沙汰がございません、死んだと存じまして出た日を命日として居りますが、ひょっとして存命で帰って来たらと姉弟《きょうだい》で信心して居ります位で」
又「はア左様かえ、お前さんまだ御亭主《ごていし》は持たずに」
やま「はい」
又「二十二に成って亭主《ていしゅ》を持たずに、此のどうも花なら半開という処その何うも露を含める処を、斯う遣《や》って置くは実に惜しいものじゃアね、お前さん」
やま「はい」
又「お前まアねえ、一杯飲みなさいな」
やま「いゝえ私《わたくし》は御酒は少しも戴きません」
又「其様《そん》な事云わんでも宜《よ》い、私《わし》のじゃアに依《よ》って半分ぐらい飲んで呉れても宜いじゃないか」

        三十八

やま「いゝえ半分などと仰しゃっては困ります、お厭なれば何卒《どうぞ》其処《そこ》へお残し遊ばして」
又「おやまさん、私《わし》は最うこれ四十に近い年をして、お前のような若い女子《おなご》を想うても是は無駄と知っては居るが、真実お前のような柔《やさ》しい、器量といい、其のどうも取廻しなり口の利きようといい別じゃアて、心に想うて居ても私はまア今まで口に出して言やせぬが何《ど》うだえ、私は真実お前に惚れたぜ」
 とおやまの手を取ってぐっと引寄せに掛りましたから堅い娘で驚きまして、振払って後《あと》へずうと下《さが》りまして、呆れて又市の顔を見て居りました。
又「怖がって逃げんでも宜《え》いじゃないか」
やま「あらまア貴方《あなた》御冗談ばかり仰しゃって困りますよ」
又「困る訳はない、宜《よ》いじゃアないか、えゝ只《たっ》た一度でもお前|私《わし》の云う事を聴いて呉れたら、お前の為には何《ど》の様《よう》にも情合《じょうあい》を尽そうと思うて居る」
やま「御冗談でございましょう、貴方の様な方が私《わたくし》の様な者にそんな事を仰しゃっても私は本当とは思いません」
又「何故《なぜ》、私《わし》は年を取って冗談やおどけにお前さん此様《こん》な事を言掛ける事はない、お前さん、実は疾《と》うから真に想うても云出し兼ていたが、酔うた紛れに云うじゃアないけれども、お前さん私は只《たっ》た一度で諦めますぜ」
やま「あなた本当に仰しゃるのですか」
又「本当だって今まで如何《いか》にも好《よ》い娘じゃアと思うても色気も何も出やアせぬが、けれども朝夕膏薬を貼替えて呉れる其の優しい手で額を斯《こ》う押えて呉れまする、其のどうも手当に私《わし》は惚れた、さア最う斯う云い出したら恥も外聞もないじゃア、誰《たれ》も居《お》らぬは幸いじゃア、只《たっ》た一度で諦めるから」
やま「あら呆れたお方様で、それでは折角の貴方御親切も水の泡になります、伯父も彼様《あん》なお方はない、額に疵《きず》を受けるまで命懸で助けて下すったから、その御恩を忘れては済まないよと伯父も申しますから、私《わたくし》も有難いお方と存じて居りまして、実に届かぬながらお世話致します心得でございますに、そんな事を仰しゃって下さると実に腹が立ちます」
又「腹が立ちますと云ったって、恩義に掛けるわけではないが、けれども、宜《よ》いじゃアないか、私《わし》も命懸で彼処《あすこ》へ這入って助け、私が通り掛らぬ時は、悪者に押え付けられて、否《いや》でも応でも三人のため瑕瑾《きず》が付くじゃアないか、それを助けて上げたから、彼処で□□□□れたと思うて素性の知れた私に一度ぐらい云う事を聴いても宜いじゃアないか」
やま「貴方にはお内儀《かみさん》がお有んなさるではございませんか」
又「女房は有りやせん」
やま「あら惠梅様は貴方のお内儀でございます、お比丘尼様に済みませんから貴方の側へは参りません」
又「比丘だって彼《あ》れは女房ではない、彼れは山口の薬師堂に居た時に私《わし》は寺男に這入ったので」
やま「それでも夜分は一緒に御寝《げし》なるじゃアございませんか」
又「御寝なるたって彼奴《あいつ》が薬師堂に居た時、私《わし》は奉公に這入ったが、彼奴も未だ老朽《おいくち》る年でもないから、肌寒いよって、この夜着の中へ這入って寝ろと云うので、拠《よんどこ》ろなく這入って寝たが、婆ア比丘尼じゃアから厭で/\ならん、お前がうんと云うてくれゝば、惠梅に別れて、私は此処《こゝ》の家へ這入って働き男になり、牛《うし》馬《うま》を牽《ひ》いたり、山で麁朶《そだ》をこなし、田畑へ出て鋤《すき》鍬《くわ》取っても随分お前の手助けしようじゃアないか、然《そ》うして置いて下さい」
やま「そんな事を仰しゃっては困ります、それでは明日《あした》にも直《すぐ》にお発足《たち》遊ばして下さい、私《わたくし》は御恩になったお方ゆえ大事と思うから手厚くお世話をするのでございます、それを恩に掛けるなれば、私も随分貴方へ御恩報じと思って出来ないながらも看病して居る心得でございます、はい」
又「お前のように堅く出られては面白くない、そんな事を云わずに」
 と無理遣りに手を取って引寄せまする。この時は腹が立ちますから殴付《はりつ》けてやりたいと思うが、そこは命を助けられた恩義が有るから、余り無下にしても愛想尽《あいそうづか》し気の毒と存じまして、おやまは何うしようかともじ/\して居ります。

        三十九

 又市は増長して無理に引付け、髯《ひげ》だらけの頬片《ほうぺた》をおやまに擦《こす》り付けようとする処《ところ》へ、帰って来たは惠梅に山之助でございますが、山之助は気の毒だから後《あと》へ下《さが》る。惠梅は腹を立って、麁朶《そだ》を持って二三度続けて殴ったから胆《きも》を潰《つぶ》して、
又「いや帰ったか」
梅「まことに呆れてしまって……おやまさん、さぞ腹が立ちましたろう、私も恟《びっく》りしました、山之助さんにも誠にお気の毒で、お前さん何をするのだよ、おやまさんにさ」
又「誠に困ったなア、今御馳走が出たので一杯|遣《や》った処《ところ》、つい酔うてそのな、酒を飲めば若い女子《おなご》に冗談をするは酒飲《さけのみ》の当り前だ、突然《いきなり》打《ぶ》ちやアがって、打たんでも宜《え》いわ」
梅「おやまさんお腹も立ちましたろうが堪忍して下さいよ、私は少し云う事が有りますから彼方《あちら》へ行って居て下さい、余《あん》まりやれこれ云って下さると増長するのでございますから、どうぞ其方《そちら》へ……又市さん今の真似はあれは何《なん》だえ」
又「酔うたのだよ、酔うて居るから宥《ゆる》せと云うに……困ったね、突然《いきなり》打《ぶ》つとは酷《えら》い、疵《きず》が出来たらどうも成らん、みともないわ」
梅「何だえ今の真似は、ようお前|幾歳《いくつ》にお成りだよ、命を助けたの何のと恩義に掛けて、あの娘《こ》が彼様《あんな》に厭がるものを無理に引寄せてなぐさむ了簡かえ、呆れた人だね、怖い人だね」
又「怖い事は有りやせん、若い娘にからかうは酒飲の当り前だ」
梅「当り前だって宿屋の女中や芸者じゃアない、一軒の主《あるじ》じゃアないか、然《そ》うして姉弟《きょうだい》で堅くして彼《あ》アやって、温和《おとな》しくして居る堅人《かたじん》だよ、伯父さんも村方で何《なん》とか彼《かん》とか云われる人で失礼ではないか、お前さんを主人の様に、姉弟二人で私の事を尼様々々と大事に云って呉れるじゃアないか、それに恩を被《き》せてあんな真似をすれば、今までの事は水の泡に成るじゃアないか」
又「己が悪いから宥せ」
梅「宥せじゃアない、お前さんは何だね、あの娘《こ》がもし義理に引かされて、仕方なしにあいと云ったら、あの娘をなぐさんで、あの娘と訝《おか》しい中になると、私を見捨る気だね」
又「いゝや見捨てやアせんじゃア、そのような心ではない」
梅「おとぼけでない、嘘ばかり吐《つ》いて、越後の山口でお前の処へ這込んだ助倍《すけべい》比丘尼と云ったろう」
又「あゝ聞いて居たな、酔うた紛れだ……打《ぶ》つな、血が染《にじ》んで来た」
梅「私はお前さん故で斯様《こんな》に馴れない旅をして、峠を越したり、夜夜中《よるよなか》歩いて怖い思いをするのはお前さん故だよ、お前さんも元は榊原様の藩中で、水司又市と云う立派な侍では有りませんか、武士に二言はない、決して見捨てない、おれも今までの坊主とは違い、元の武士の了簡に成ったから見捨てないと云うから、亭主にしたけれども、お前さん何だろう、浮気をして私を見捨る人だと思うと心細くって、附いて居るも何だかどうも案じられて、見捨られたら何うしようと思うと、こんな山の中へ来てと考えると心細くなるよ」
又「見捨てやアせん」
梅「見捨てかねないじゃアないか、見捨てられて難儀するも罰《ばち》と思うのさ、終《つい》には七兵衞さんの祟《たゝり》でも、私の身も末《すえ》始終碌な事はないと思っては居りますけれどもね」
又「愚痴をいうな、一寸《ちょっと》酔うた紛れに云うたのだ…大きな声をするなよ」
梅「お前さんも高岡の大工町で永禪和尚という一箇寺の住職の身の上で有りながら、亭主のある私に無理な事を云うから、否《いや》とも云えない義理詰に、お前さんと斯《こ》ういう訳に成ったのが私の因果さ、それで七兵衞さんを薪割で殺して」
又「これ馬鹿、大きな声をするな」
梅「云いたくもないけれどもさ、先刻《さっき》云う事を聞けば、比丘尼を打捨《うっちゃ》ってしもうても、お前がうんと云う事を聴けば、おれは此の家《うち》へ這入って、寺男同様な働きをして牛《うし》馬《うま》を牽《ひ》いて百姓にもなろうと云ったが、能《よ》くそんな事が云われた義理だと思って居るよう」

        四十

又「それは悪いよ、悪いが大きな声をして聞えると悪いやアな」
梅「いったって宜《い》いよ」
又「馬鹿いうなよ」
梅「言ったって宜《よ》うございます」
又「宜《よ》いたって、此の事が世間に知れちゃアお互に」
梅「お互だって当りまえで、馬鹿々々しいね、本当に能《よ》くあんなことが云われたと思うのだよ、私は本当に高岡を出て、お前に連れられて飛騨の高山|越《ごえ》に」
又「そんな事を云うな、己が悪いよ」
梅「唯《たゞ》悪いと云えば宜《い》ゝかと思って、お前は見捨る了簡になったね」
又「あいた/\/\痛い、捻《ねじ》り上げて痛いわ、何《なん》じゃア」
梅「痛いてえ余《あん》まりで」
又「また殴付《はりつ》けやアがる、これ己が悪いから宥《ゆる》せと云うに、おれが酔うたのだ、はっと云う機《はず》みじゃア」
梅「わたしはもう厭だ、此処《こゝ》に居るのは厭だよ、立つよ」
又「おれも立つよ、おれが悪いから宥せ」
 と悋気《りんき》でいうが、世間へ漏れては成りませんから、又市は種々《いろ/\》に宥《なだ》めて、その晩は共に臥《ふせ》りましたことで、先《ま》ず機嫌も直りましたが、翌朝《よくあさ》になり、又市は此処に長く居ては都合が悪いと心得、正午《ひる》時分までは何事もなくって居りましたが、昼飯を食ってしまって急に出立と成りましたから、おやまも悦び、いやな奴
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