傳「旦那もう過去ったから構わねえが、此の人が死人《しびと》と知らずに帯に掴《つかま》って出ると、死人《しにん》が出たので到頭ぼくが割れて縛られて往《い》きました」
庄「すると彼《あ》れから其の響けで永禪和尚が逃《の》げたので、逃げる時、藤屋の女房《じゃアまア》と眞達を連れて逃げたのだが、眞達を途中で切殺して逃げたので、ところが眞達は死人《しにん》に口なしで罪を負うて仕舞い、此方《こちら》は小川様が情深い役人で、調べも軽《かろ》くなって出る事は出たが、一旦《えったん》人殺しと賭博《とばく》騒ぎが出来《でけ》たから、誰あって一緒《えっしょ》に飯い喰う者もないから、これは迚《とて》も仕様がねえ、と色々《えろ/\》考え、何処《どこ》か外《ほか》へ行《い》こうと少しばかりの銭を貰うて流れ/\て此処へ来て、不思議な縁で、今は旦那の厄介になって居《い》るじゃ」
傳「旦那、……寺の坊主が前町の荒物屋の女房《にょうぼう》と悪いことをしやアがって、亭主を殺して堂の縁の下へ死人《しびと》を隠して置いたのさ、ところで其の死人に此奴《こいつ》が掴《つか》まって出たと云う可笑《おか》しい話だが、彼《あ》の時おれは一生懸命本堂へ逃げ上《あが》ったが、本堂の様子が分らねえから、木魚に蹴躓《けつまず》いてがら/\音がしたので、驚いて跡から追掛《おっか》けるのかと思ったが、然《そ》うじゃアないので、又逃げようとすると、がら/\/\と位牌が転がり落る騒ぎ、何うか彼《こ》うか逃げましたが、いまだに経机の角で向脛《むこうずね》を打った疵《きず》は暑さ寒さには痛くってならねえ」
庄「怖《おっ》かねえことであったのう」
傳「それが此処で遇おうとは思わなかったが、お互いに苦労人の果だ」
典「時に改って貴公にお頼み申したいことがあるが、今の婦人は主《ぬし》はないのか」
傳「えゝ主はない、たった姉弟《きょうだい》二人で弟は十六七で美《い》い男さ、此の弟は姉さん孝行姉は弟孝行で二人ぎりです」
典「親はないのか」
傳「ないので、伯父さんの厄介になって機《はた》を織ったり糸を繰《と》ったり、彼《あ》のくらい稼ぐ者は有りませんが、柔《やさ》しくって人柄が宜《い》い、いやに生《なま》っ世辞《せじ》を云うのではないから、あれが宜《よ》うございます」
典「拙者《てまえ》も当地へ来て何うやら斯うやら彼《こ》うやって、家《うち》を持って、聊《いさゝ》か田畑を持つ様になって村方でも何うか居《お》り着いて呉れと云うのだが、永住致すには妻《さい》がなけりア成らぬが、貴公今の婦人に手蔓《てづる》が有るなれば話をして、拙者の処の妻にしたいが、何うだろう、話をして貴公が媒介人《なこうど》にでも、橋渡しにでもなって、貰受《もらいう》けて呉れゝば多分にお礼は出来んが、貴公に二十金進上致すが、その金を遣《つか》ってしまってはいかぬけれども、貴公も左様《そう》して遊んで居るより村外れで荒物|店《みせ》でも出して、一軒の主《あるじ》になって女房子《にょうぼこ》でも持つようになれば、親類|交際《づきあい》に末永く往《ゆ》き通いも出来るから」
傳「有難うがす、私《わっち》も斯う遣《や》ってぐずついて居ても仕様がねえから女房《にょうぼう》も置去《おきざり》にしましたが、これは下谷の上野町に居りますが、音信《たより》もしませんので、向うでも諦らめて、今では団子を拵《こしら》えて遣って居るそうですが、そうなれば有難い、力に成って下されば二十両戴かなくっても宜《よ》い、併《しか》し苦しい処だから下されば貰います、それは有難い、私《わたし》が話せば造作なく出来るに相違ありませんから、行って話をしましょう」
典「早いが宜《い》いが」
傳「えゝなに直《すぐ》に往《い》きましょう」
と止せば宜《よ》いに直に柳田典藏の処を出て、これから娘の処へ掛合に参る。是が間違の端緒《こぐち》、この娘お山《やま》は前《ぜん》申上げた白島山平の娘で、弟は山之助《さんのすけ》と申して、親山平は十六年|前《ぜん》から行方知れずになり、母は亡《な》くなって、この白島村の伯父の世話になって居りますが、これから姉妹《きょうだい》が大難に遭いますお話、一寸一息つきまして。
三十二
おやま山之助の姉弟《きょうだい》は、白島山平が江戸詰になりましてから行方知れずになり、母は心配致して病死致した時はおやまが八歳、山之助が三歳でござりますから、年の往《ゆ》きません二人の子供は家の潰れる訳ではないが、白島村の伯父|多右衞門《たえもん》が引取り、伯父の手許《てもと》で十五ヶ年の間養育を受けて成人致しまして、姉は二十二歳|弟《おとゝ》は十七で、小造《こづくり》な華者《きゃしゃ》[#「華者」はママ]な男で、まだ前髪だちでございます。姉も島田で居りますが、堅い気象で、姉弟してひょっとお父様《とっさま》がお帰りの有った時は、伺《うかゞ》わずに元服しては済まないと云うので二十二で、大島田に結って居ると申す真実正しい者で、互いに姉弟が力に思合《おもいあ》いまして、山之助は馬を引き或《あるい》は人の牛を牽《ひ》きまして、山歩きをして麁朶《そだ》を積んで帰る。姉は織物をしたり糸を繰《と》ったりして隙《すき》はございませんが、少し閑《ひま》が有れば大滝村の不動様へ親父《おやじ》の生死《いきしに》行方が知れますようにと信心して、姉弟二人中ようして暮して居ります。門口から旅魚屋の傳次がひょこ/\お辞儀をして。
傳「へい御免なさい」
山之助「はいお出でなさい」
傳「今日は結構なお天気で」
山「はい、何方様《どなたさま》で」
傳「へい私《わっち》も久しく此地《こちら》に居りますからお顔は知って居ります、私は廣藏親分の処《ところ》に居る傳次と云う魚屋でございますが親分の厄介者《やっけえもの》で」
山「へえそうでございますか」
傳「どうも感心でげすね、姉様《ねえさん》を大事になすって、お中が宜《いい》って実に姉弟で斯《こ》う睦ましく行《ゆ》く家《うち》はねえてえ村中の評判でございますよ、へえ御免なさいよ」
やま「さアお掛けなさい、何か御用でございますか」
傳「へえ姉様《ねえさん》まアね藪《やぶ》から棒に斯《こ》んな事を申しては極りが悪うございますが、頼まれたからお前さんの胸だけを聞きに来ましたが、あの大滝の不動様へお百度を踏みにいらっしゃいますね」
やま「はい」
傳「今日お百度を踏んで帰んなさる時、葮簀張《よしずっぱり》の居酒屋でそれ御ぞんじでげしょうね、詰らねえ物を売る、彼処《あすこ》にね腰を掛けて居た、黒の羽織を着て大小を差し色の浅黒い月代《さかやき》の生えた人柄の宜《い》い旦那をごらんなすったか」
やま「はい私《わたくし》は何だか急ぎましたから、薩張《さっぱり》存じません」
傳「彼《あ》の方は元お使番《つかいばん》を勤めた櫻井監物の家来で、柳田典藏と仰しゃる大した者、今は桑名川村へ来て手習《てなれえ》の師匠で医者をしてそれで売卜《うらない》をする三点張《さんてんばり》で、立派な家《うち》に這入って居て、これから追々《おい/\》田地《でんじ》でも買おうと云うのだが、一人の身上《みのうえ》では不自由勝だから、傳次女房を持ちてえが百姓の娘では否《いや》だが、聞けば何か此方《こちら》の姉《ねえ》さんは元|武士《さむれえ》のお嬢さんで、今は御運が悪くって山家へ這入って居る様子だが、彼の姉さんを嫁に貰《もれ》えてえが傳次お前は同じ村に居るなら相談して貰いてえと頼まれましたが、そうすれば弟御様《おとゝごさま》は一緒に引取り、先方《むこう》で世話をしようと云う、お前さんも弟様《にいさん》も仕合《しやあ》せで、此の上もねえ結構な事、お前さんの為を思って私《わちき》は相談に来たんだが、早速お話になるよう善は急げだが何《ど》うでげしょう」
やま「まことに御親切は有難うございますが、私《わたくし》の身の上は伯父に任して居りますから、伯父さえ得心なれば私は何うでも宜《よ》いので」
傳「へえ伯父さんあの多右衞門さんでげすかえ、へえ然《そ》うで、堅い方で、長い茶の羽織を着て居るお人かね、時々逢います、あの伯父さんさえ得心なれば宜しいの、宜しい、左様なら」
と直《すぐ》に伯父の処へ行《ゆ》きまして。
傳「へえ御免なさい」
多「はい何方《どちら》から、さア此方《こちら》へ」
傳「へえ私《わっち》は廣藏親分の処に居ります、傳次てえ不調法者で」
多「左様で御ざりやすか、御近所に居りましても碌にお言葉も交《かわ》しませんで、何分不調法者で、此の後《ご》ともお心安く願います」
傳「へえ私《わっち》も何分お心易く願います、就《つ》いてはね、今|姉《ねえ》さんの処へ往ったのでげすが……あなたには姪御《めいご》さんでありますね」
多「へえ、おやまに」
傳「へえ姪御さんに逢ってお話をした処が、伯父さんさえ得心になれば宜《い》いと云う嫁の口が出来たので、誠に良《い》い口で、桑名川村の柳田典藏と云う大した立派な武士《さむれえ》だが、運が悪いとは云いながら此方《こっち》へ来て田地や何かも余程有り、また是から段々|殖《ふや》そうという売卜《うらない》に手習《てなれえ》の師匠に医者の三点張と云う此のくらい結構な事は有りませんが、彼処《あすこ》へお遣《や》りなすっては何うで、弟御《おとゝご》ぐるみ引取ると云うので、随分お為になる処でございますが」
多「おやまが貴方《あなた》に御挨拶致すに伯父が得心なれば構わぬと言いましたか」
傳「えゝ言いました」
多「何うも自分ではお断りが仕憎《しにく》いから、大概の事は私《わし》の処へ行って相談して呉れと、まず言抜《いいぬけ》に云いますよ、彼《あ》れはなアとてもな無駄でございます」
傳「へえ何う云う訳で」
三十三
多「いえ十六年|前《あと》に親父《おやじ》が行方知れずになって、今に死んだか生きたか知れない、音も沙汰もねえでございますが、ひょっと親父が存生《ぞんしょう》で帰った時は、親父に一言の話もしないで聟を取ったり嫁に行っては済まぬと云って、姉弟《きょうだい》で、あゝ遣《や》って、元服もせずに居りますくらいでござりやすから、何処《どこ》から何《なん》と云っても駄目でござりやす、聟でも取って遣りたいが中々|左様《そう》言ったって聴きアしませんから」
傳「それじゃアお父《とっ》さんが帰らねえでは相談は出来ませんか」
多「へえ親父が帰れば直《すぐ》に相談が出来ますが、帰らぬうちは駄目でござりやして、ひやア」
傳「弱りましたね、左様なら」
と呆然《ぼんやり》帰って来て。
傳「へえ往って来ました」
典「いやもう待って居ました」
傳「へえ」
典「何《ど》うもね、お前は弁舌が宜《よ》し、何かの調子が宜《い》いから先方で得心するなら、多分のお礼は出来ぬが、直にうんと得心の上からは失礼の様だが、まア当座十金差上げるつもりで目録包にして此処《こゝ》に有るので」
傳「へえー、からどうも仕様がねえね、誠に何うもいけません、幾ら金を包んでも仕様がねえあれは」
典「何ういう訳で」
傳「何うたっていけません、誠に話は無しだねえ、親父が十六年あとに行方知れずに成ったから、親父の帰《けえ》らぬうちは嫁にも行《い》かぬ聟も取らぬ、元服もしねえ、親父に聴かねえうちにしては済まぬてえ彼《あ》れは変り者《もん》でげす、いけませんよ、へえ」
典「いかぬと云うのか」
傳「えー往《い》かねえと云うのでげす」
典「左様か仕様がない、それは仕方がない、それは先方《むこう》で厭《いや》なんでげしょうが、然《そ》う云わなければ断り様がないからだ、今時の者が親父が十六年も行方知れず音沙汰のない者を待って元服もせずに居るなんて、そんなら二十年も三十年も四十年も帰らぬ時は何うする、白髪《しらが》になって島田で居る訳にもいかぬが、それは先方が断り様がないから、然う云うのだ、宜しい/\、宜しいけれども実は事を極めて来たら直に礼をする心得で、ちゃんと金も包んで置いたが、仕方がない、是までの事だ」
傳「から何うも仕様がねえ変り者
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