《いき》の止るようにうーんと睨合《にらみあ》いました時は側に居るお梅はわな/\慄《ふる》えて少しも口を利くことも出来ません。永禪は不図《ふと》後《うしろ》に火縄の光るのを見て、此奴《こいつ》飛道具《とびどうぐ》を持って来たと思うからずーんと飛掛り、抜打《ぬきうち》に胸のあたりへ切付けました。
二十九
又「やア斬りやアがったな」
と引金を引いてどんと打つ、永禪和尚は身をかわすと運の宜《い》い奴、玉は肩を反《そ》れてぷつりと破壁《やぶれかべ》を打貫《うちぬ》いて落る。又九郎は汝《おの》れ斬りやアがったなと空鉄砲《からでっぽう》を持って永禪和尚に打って掛るを引《ひ》っ外《ぱず》して、
永「猪口才《ちょこざい》な事をするな」
と肩先深く斬下《きりさ》げました。腕は冴《さ》えて居るし、刃物《きれもの》は良し、又九郎横倒れに斃《たお》れるのを見て婆《ばゞあ》は逃出そうと上総戸《かずさど》へ手を掛けましたが、余り締りを厳重にして御座いまして、栓張《しんばり》を取って、掛金《かけがね》を外す間もございません、処《ところ》へ永禪は逃げられては溜らぬと思いましたから、土間へ駈下《かけお》りて、後《うしろ》から一刀婆に浴せかけ、横倒れになる処を踏掛《ふみかゝ》ってとゞめを刺したが、お梅は畳の上へ俯伏《うつぶし》になって、声も出ませんでぶる/\慄《ふる》えて居りました。ところへ見相《けんそう》変えて血だらけの胴金を引提《ひっさ》げて上って来ました。
永「あゝ危《あやう》い事じゃったな」
梅「はい」
永「確《しっ》かりせえ」
梅「確かりせえたって私は窃《そっ》と裏から逃げようと思ってる処に、鉄砲の音を聞いて今度ばかりは本当に死んだような心持になりましたよ」
永「毒喰わば皿まで舐《ねぶ》れだ、止《や》むを得ぬ、えゝ悪い事は出来ぬものじゃ、怖いものじゃア無いか」
梅「本当に怖い事ね」
永「此処《こゝ》に泊ったのが何うして足が附いたか、もう此処に長う足を留めて居る事は出来ぬ、広瀬の追分を越えるだけの手形が有るから差支《さしつか》えはないが、今夜此処を逃げて仕舞うと、死骸は有るし夜中に山路は越えられないから今夜は此処に寝よう」
梅「怖くって、寝られやアしません」
永「今夜は誰も尋ねて来《き》やアせんから」
梅「死骸は何うするの」
永「宜《えゝ》わ」
と又九郎夫婦の死骸をごろ/\土間へ転がして、鉄砲を持って来て爺婆の死骸を縁の下へ入れましたが、能《よ》く死骸を縁の下へ入れる奴です。これから血の掃除を致し、図々《ずう/\》しく残りの酒を飲んで永禪和尚は鼾《いびき》をかいて寝ましたが、実に剛胆な奴であります、翌朝《よくちょう》身支度をして何喰わぬ顔で、此処を出ましたが、出ると急ぎまして、宜《よ》い塩梅《あんばい》に広瀬の渡《わたし》を越して、もう是れまで来れば宜いと思うと益々雪の降る気候に向って、行《ゆ》く事も出来ませんから、人知れず千島村《ちしまむら》という処へ参って、水無瀬《みなせ》の神社の片傍《かたほとり》の隠家《かくれが》に身を潜め、翌年雪も解け二月の月末《つきずえ》に越後地へ掛って来ます。芦屋《あしや》より平湯駅《ひらゆえき》に出で、大峠《おおとうげ》を越し、信州松本《しんしゅうまつもと》に出まして、稲荷山《いなりやま》より野尻《のじり》、夫《それ》より越後の国|関川《せきがわ》へ出て、高田《たかた》を横に見て、岡田村《おかだむら》から水沢《みずさわ》に出まして、川口《かわぐち》と云う処に幸い無住《むじゅう》の薬師堂が有ると云うので、これへ惠梅比丘尼を入れて、又市が寺男になって居てお経を教えて居る。其の中《うち》に尼はだん/\覚えてお経を読むようになると、村方から麦或いは稗《ひえ》などを持って来て呉れるから、貰う物を喰って漸《ようや》く此処に身を潜めて居る中に又市も頭髪《かみ》は生えて寺男の姿になり、片方《かた/\》は坊主馴れて出家らしく口もきく此処に足掛三年の間居りますから、誰有って知る者はございません。爰《こゝ》にお話は二つに分れまして寛政九年八月十日の事でございますが、信州|水内郡《みのちごおり》白島村《しろしまむら》と申す処がございます。是は飯山《いいやま》の在で山家《やまが》でございます。大滝村《おおたきむら》という処に不動様がありまして、その側《わき》に掛茶屋があって、これに腰を掛けて居ります武士《さむらい》は、少し羊羹色《ようかんいろ》ではありますが黒の羽織を着て、大小を差して紺足袋に中抜《なかぬき》の草履を穿《は》き、煙草を呑んで居りますると、此の前を通りまする娘は年頃二十一二でございますが、色のくっきり白い、山家に似合わぬ人柄の能《よ》い女で、誠におとなしやかの姿で、前を通って頻《しきり》[#「頻《しきり》」は底本では「頻《しき》」]に不動様を拝みお百度を踏んで居ります。武士は余念もなく彼《か》の娘の姿を見て居りますが、お百度だから長うございます。自分も用があるのに出掛けようともしませんで、お百度の済むまで、娘が往ったり来たりするのを見て、頭《くび》を彼方《あっち》へふり此方《こっち》へふり、お百度の歩く通りに左右へ頭を廻して、とうとう仕舞《しまい》まで見て居りました。
武士「あゝ美しいな、婆ア今あの不動様へお百度を上げて居た彼《あ》の女は、何処《どこ》の女だのう」
三十
婆「はいありゃア何《なん》でござりやすよ、あの白島村の者でござりやすが、能《よ》く間があると参詣にひえー参《めえ》りやすが、ありゃア信心者でござりやして、何でも廿八日には暴風雨《あらし》があっても欠かさないでござりやしてな、ひやア」
武士「宜《い》い女だね」
婆「ひやア此処《こけい》らにはまア沢山はねえ女でござりやすよ、ひやア」
武士「何処《どこ》の何者の娘かな」
婆「何だか知りやしねえが武士《さむらい》の娘で有りやすが、浪人してひやア此の山家へ引込《ひっこ》んだ者じゃアはと評判ぶって居りやす、ひやア」
武士「はア左様かのう」
男「ちょっと/\旦那え」
と後《うしろ》に腰を掛けて居りました鯔背《いなせ》の男、木綿の小弁慶《こべんけい》の単衣《ひとえもの》に広袖《ひろそで》の半纏《はんてん》をはおって居る、年三十五六の色の浅黒い気の利いた男でございます。
武士「いやお前はナニとんと心付かぬで、何処にお居《い》でかな」
男「この衝立《ついたて》の後に有合物《ありあいもの》で一杯やって居ります、へー、碌な物は有りませんが、此の家《うち》の婆さんは綺麗|好《ずき》で芋を煮ても牛蒡《ごぼう》を煮ても中々加減が上手でげす、それに綺麗好だから喰い心がようございます」
武士「はゝあ貴公何だね、言葉の様子では江戸|御出生《ごしゅっしょう》の様子だね」
男「へい旦那も江戸児《えどっこ》のようなお言葉遣いでげすね」
武士「久しく山国《やまぐに》へ来て居て田舎者に成りました」
男「今の娘を美《い》い女だと賞《ほ》めておいでなすったが、あれは白島村の何《なん》です元は武士《さむらい》だと云いますが、何《ど》ういう訳か伯父が有ると云うので、姉弟《きょうだい》で伯父の世話になって居ますが、弟は十六七でございますが、色の白い好《い》い男で、女の様でございます、それで姉弟で遣《や》ってるのだが彼《あ》の位のは沢山《たんと》はありませんな」
武士「はゝあ、貴公は御存知かえ」
男「へい、私は白島村の廣藏《ひろぞう》親分の厄介で、傳次《でんじ》と申す元は魚屋でございますが、江戸を喰詰《くいつ》めてこんな処《ところ》へ這入って、山の中を歩き廻り、極りが悪くって成らねえが、金が出来ませんじゃア、江戸へ帰る事も出来ません身の上で」
武士「はゝア左様かえ、じゃア彼の婦人を御存知で」
傳「へい朝晩顔を見合せますからね」
武士「あゝ左様かえ、貴公|些《ちっ》と遊びに来て下さらんかえ、私は桑名川村《くわながわむら》だから」
傳「じゃア隣り村で造作アございません」
武士「拙者も江戸児で、江戸府内で産れた者に逢うと、江戸児は了簡が小さいせえか、懐かしく親類のような心持がしますよ」
傳「そうです、変な言葉の奴ばかりいますから貴方《あなた》のような方に逢うと気丈夫でげす、閑《ひま》で遊んで居りますから何時《いつ》でも参ります」
武士「何うだえ拙者宅《てまえたく》へ是を御縁としてな、拙者《てまえ》は柳田典藏《やなぎだてんぞう》と申す武骨者だが、何うやら斯《こ》うやら村方の子供を相手にして暮して居ります」
傳「何で、何方《どちら》の御藩《ごはん》でげす」
典「なに元は神田橋近辺に居た者だ、櫻井監物《さくらいけんもつ》の用人役をも勤めた者の忰だが、放蕩を致して府内にも居《お》られないで、斯ういう処へ参るくらいだから、別して野暮な事は言わぬが、兎も角も一緒に、直《じ》き近い細川を渡ると直《す》ぐだ」
傳「御一緒に参りましょう」
とずう/\しい奴で、ぴょこ/\付いて来ました。
典「さア、此方《こっち》へ這入りなさい……庄吉、今お客様をお連れ申したから」
庄「はい大層お早くお帰りで、今日は此の様にお早くお帰りはあるまいと思って居りました……さア此方《こちら》へお客様お這入りなさい」
傳「へいこれは何うも、御免なさい……おや庄吉さんか」
庄「や、こりゃア傳次さんか、いゝやア是れははや、何うも」
傳「何うした思い掛けねえ」
庄「何時も変りも無《の》うて目出とうありますと」
傳「いやア何うも、何《なん》とも彼《かん》とも、お前《めえ》にも逢いたかったが、彼《あ》れから行端《ゆきは》がねえので」
典「庄吉|手前《てめえ》は馴染か」
三十一
庄「いや馴染だって互いに打明けて埓《らち》くちもない事をした身の上で……まア無事で宜《い》いな」
傳「何時《いつ》此方《こっち》へ来たのだえ」
庄「何時と云うてお前も此方へ何時来たでありますと」
傳「いや何《ど》うも私《わっち》もからきし形《かた》はねえので、仕ようが無いから来たんだ」
庄「旦那妙なもので、これは本当に真の友達で、銭が無けりゃア貸して遣《や》ろう、己《お》らが持合《もちあわ》せが有れば貸そうという中で有りますと」
傳「随分此の人の部屋で燻《くずぶ》った事もあるのでねえ」
典「左様かえ、兎も角も」
と是から有合物《ありあいもの》で何かみつくろってと云って一杯始めると、傳次は改めて手を突き、
傳「私《わっち》ア旅魚屋の傳次と申す者で、何うか御贔屓になすって……大層机などが有りますね」
典「あゝ田舎は様々やらでは成らんから、出来はしないが、村方の子供などを集めてな、それに以前少しばかり易学《えきがく》を学んだからな売卜《うらない》をやる、それに又《ま》た少しは薬屋のような事も心得て居《お》るから医者の真似もするて」
傳「へえー手習の師匠に医者に売卜に薬屋でがすかこれは大丈夫でげす、どうも結構なお住居《すまい》ですな」
典「田舎では種々《いろ/\》な事を遣らぬではいかぬ、荒物屋は荒物ばかりと極《き》めてはいかぬて」
傳「妙でげすな」
典「さアお酌を致しましょう」
傳「へえ…有難う」
典「まずい物だが召上れ」
傳「頂戴致します……庄吉さん久し振で酌をして呉んねえ、何うも懐かしいなア、何うして来たかなア」
庄「本当に思掛けなくゆやはや恥かしいな、何うしてお前も此処《こゝ》へ来たか」
傳「旦那おかしい事があればあるものさ、此の人はね越中の高岡で宗慈寺という寺に居りました寺男でね、賭博《ばくち》をしておかしい事がありやした……今では過去《すぎさ》った事だが、あれは何うなったえ」
庄「何うたって何うにも彼《こ》うにも酷《ひど》い目に遭《お》うたぜ、私《わし》ア縁の下に隠れて、然《そ》うしてお前様|死人《しびと》とは知らぬから先に逃げた奴が隠れて居ると思うたから、其奴《そいつ》の帯を掴《つか》んでちま/\と隠れて居ると、さア出ろ、さア出ろと云うので帯を取って引かれるから、ずる/\と引摺《ひきず》られて出ると、あの一件が出たので」
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