点]のつかない事に成りみしたと云う訳は、お前《ま》さん宗慈寺の永禪和尚と云う者はえらい悪党でありみすと、前町の藤屋七兵衞と云う荒物屋が有って、その女房《じゃアまア》のお梅というのと悪《われ》え事をしたと思いなさませ、永禪和尚とお梅と間男をして居りみして、七兵衞が在《あ》っては邪魔になるというて、夫《とゝま》の七兵衞を薪割で打殺《ぶちころ》し、本堂の縁《いん》の下へ隠《かこ》したところが、悪《われ》え事は出来《でけ》ぬものじゃなア、心棒が狂い曲《まご》うたから、まア寺男からお前《ま》さんの子じゃア有るけれども眞達さんまでも悪《われ》え事に染《そま》りまして、それからお前《ま》さん此の頃寺で賭博《ばくち》を為《し》ますと」
又「賭博を、ふうん/\成程」
清「ところがお前《ま》さん二番町の小川様から探索が届いて居《い》るもんじゃから直《すぐ》に手が這入って、手が這入ると寺男の庄吉という者がお前《ま》さん本堂の床下《よかした》へ逃《の》げたところが、先に藤屋七兵衞の死骸《しげえ》が隠《かこ》して在《あ》るのを死骸《しげえ》とは知らいで、寺男の庄吉が先へ誰か逃込《のげこ》んで床下《よかした》に此の通りちま/\と寝《ねな》って居《お》りみすと思って、帯《おべ》の処へ後生大事にお前《ま》さん取付《とッつ》いて居りみすと、さ、するとお前《ま》さん出ろ/\と云うので役人《やこねん》が来《け》て庄吉の帯《おべ》を取って引《ひき》ずり出すと、藤屋の夫《とゝま》の死骸《しげえ》が出たと思いなさませ、さアこれはうさん[#「うさん」に傍点]な寺である、賭博どころではない、床下《よかした》から死骸《しげえ》が出る所を見ると、屹度《けっと》調べを為《し》なければ成らぬと、お役所《やこしょ》まで参《まえ》れと忽《たちま》ちきり/\っと縛《いまし》められて、庄吉が引かれみしたと、もう事が破れたと思って永禪和尚が藤屋の女房《じゃアまア》の手を取って逃《の》げた時に、お前《ま》さんの御子息の眞達どんも一緒に逃《の》げたに相違ないのじゃが、それが此の世の生涯で、大沓の渡しを越える渡口の所に、いや最《も》うはや見る影もない姿で誠に情《なさけ》ない、それは/\迚《とて》も/\何とも云い様のない姿に斬殺《けれころ》されて居りみしたが」
又「えー忰が斬殺《きりころ》されて」
清「いやもう何とも」
又「誰が殺しました」
二十七
清「あとで小川様がだん/″\お調べに成ったところが、流石《さすが》名奉行様だから、永禪和尚が藤屋の女房《じゃアまア》お梅を連れて逃《の》げる時のことを知って居《い》るから、これを生《え》かして置いては露顕する本《もと》というて、斬《け》って逃《の》げたに違いないと云うので、足を付けたが今《えま》に知れぬと云いますわ」
又「それはまア何《ど》うも有難う存じます、お前さんがお通り掛りで寄って下さらなければ、私は忰が殺された事も知らずにしまいます、それは何時《いつ》の事でございましたか」
清「えーとえーつい先々月|十九日《じょうくにち》の暁方《あけがた》でありみしたか」
又「十九日の明方……そうとは知りませんでのう婆さん、昨宵《ゆんべ》余《あんま》り寒いからと云って、山へ鹿を打ちに往《ゆ》きまして、よう/\能《よ》い塩梅《あんばい》に一疋の小鹿を打って、ふん縛《じば》って鉄砲で担《かつ》いで来ましたが、その親鹿で有りましょう峰にうろ/\哀れな声をして鳴きまして、小鹿を探して居る様子で、その時親鹿も打とうと思いましたが、何だか虫が知らして、子を探して啼いて居るから哀れな事と思って、打たずに帰って来ましたが、四足《よしあし》でせえも、あゝ遣《や》って子を打たれゝば、うろ/\して猟人《りょうし》の傍《そば》までも山を下って探しに来るのに、人間の身の上で唯《たっ》た一人の忰を置いて遁《に》げると云うは、あゝ若い時分は無分別な事だった……のう婆さん……昨宵《ゆんべ》婆《ばゞあ》と話をして居りましたが、まことに有難うございます、亡《なく》なりました日が知れますれば、線香の一本も上げ、念仏の一つも唱えられます、有難うございます、あゝ誠に何うも……何と云ったって一人の子にも逢えず、あなたが去年お出で下すってお話ですから、雪でも解けたら尋ねて行《ゆ》こうと存じて、婆さんとも然《そ》う申して居りました」
清「えゝ私《わし》ゃもう直《そご》に帰りましょう、まことに飛んだ事をお耳《めゝ》に入れてお気《け》の毒に思いますが、云《え》わぬでも成りませんから詮方《しょうこと》なしにお知らせ申した訳で、能《よ》くまア念仏ども唱えてお遣《や》りなされ、私ゃ帰りみすから」
又「じゃア帰りには屹度《きっと》お寄《より》なすって」
清「はい屹度《けっと》寄って御厄介に成りみすよ、左様《さよ》なれば」
婆「どうぞお帰りにお待ち申します」
清「大《おお》けにお妨げを致しみした、左様《さよ》ならば」
又「お前さん山手の方へよってお出《いで》なさいませんと、道が悪うございますよ、崩れ掛った所が有りますから、何時もいう通りにね、あの寄生木《やどり》の出た大木の方に附いてお出でなさいよ……あゝまア思い掛《がけ》なく清兵衞さんがお出でなすって、一晩お泊め申して緩《ゆっ》くり話を聞きたいが、お急ぎと見えてハイもう影も見えなく成った、のう婆さん忰の殺されたのは十九日の明方大沓の渡口だったのう婆さん」
婆「あい」
又「奥に泊って居る客人は己《おれ》の所《とこ》へ幾日《いっか》に泊ったっけな」
婆「あれは先々月のちょうど、二十日《はつか》の晩に泊りました」
又「二十日……えー十九日の明方に川を渡って湯の谷泊りと仰《おっし》ゃったが、ちょうど二十日が己の所へお泊りと……婆さん、あのお比丘さんの名はお梅という名じゃないか」
婆「何だか惠梅《えばい》様/\と云ったり、またお梅と呼びなさる事もあるよ」
又「はゝア何でも此の頃|頭髪《あたま》を剃《す》った比丘|様《さん》に違いない、毛の生えるまで足溜《あしだま》りに己の家《うち》へ泊って居るのだ、彼奴《あいつ》ら二人が永禪和尚にお梅かも知れねえぜ、のう婆さん」
婆「それア何とも云えないよ」
又「酒をつけろ」
婆「酒をつけろたってお前」
又「宜《い》いからつけろ、表の戸締りをすっぱりして仕舞え、一寸《ちょっと》明けられねえ様に、しん張《ばり》をかってしまいな、酒をつけろ」
婆「酒をつけろたってお前さん無理酒《むりざけ》を飲んではいけないよ、無理酒は身体に中《あた》るから、忰が死んだからってもやけ酒はいけないよう」
又「もう死んだっても構うものか、身体に中ったってよい/\になって打倒《ぶったお》れて死んだって、何も此の世に思い置く事はない、然うじゃないか、お前《めえ》は己が死んだって、一生食うに困るような事はねえから心配しなさんな、己はもう何《な》にも此の世の中に楽しみはねえから、酒をつけろ」
と燗鍋で酒を温《あたた》め、燗の出来るも待てないから、茶碗でぐいぐいと五六杯引っかけて、年は五十九でございますが、中々きかない爺《じゞい》、欄間に掛った鉄砲を下《おろ》して玉込《たまごめ》をしましたから。
婆「爺さんお前何をするのだえ、また鹿でも打ちに往《ゆ》くのかえ」
又「えゝ黙って居ろ、婆さん己は奥へ行って掛合ってな、何処《どこ》までも彼奴ら二人に白状させるつもりだが、きゃアとかぱアとか云って逃げめえものでもねえ、若《も》し逃げに掛ったら、手前《てめえ》は此の細口《ほそくち》から駈出して、落合の渡しへ知らせろ、此方《こっち》は山手だから逃げる気遣《きづか》いはない、えゝ心配するな」
と山刀《やまがたな》を帯《さ》して片手に鉄砲を提《さ》げ、忍足《しのびあし》で来て破れ障子に手を掛けまして、窃《そう》っと明けて永禪和尚とお梅の居ります所の部屋へ参って、これから掛合《かけあい》に成りますところ、一寸一息つきまして。
二十八
又九郎は年五十九でございますが、中々きかん気の爺《おやじ》で、鉄砲の筒口《すぐち》を押し握ってそっと破れ障子を開けると、此方《こちら》はこそ/\荷拵《にごしら》えを致して居る処《ところ》へ這入って来ましたから、覚《さと》られまいと荷を脇へ片付けながら、
永「誰じゃ」
又「へい爺《じゞい》でございます」
永「おや是は/\、さア此方《こちら》へお這入りなさい、未《ま》だ寝ずかいのう」
又「まだ貴方《あなた》がたもお寝《やす》みでございませんか」
永「寝ようと思っても寒うて寝られないで、まだ起きて居ました」
又「へい早速お聞き申したいことが有って参りましたが、貴方がたのお国は、何処《どちら》でございますかな」
永「うーん何《なん》じゃ、私《わし》は大聖寺《だいしょうじ》の者じゃ」
又「大聖寺へえー、大聖寺じゃアありますまい、貴方がたは越中の高岡のお方でございましょうがな」
永「うゝんイヤ私《わし》は大聖寺の薬師堂の尼様のお供をして来た者じゃア、何で高岡の者とお前が疑って云いなさるか」
又「お隠しなさってもいかねえ、貴方は高岡の大工町宗慈寺という真言寺の和尚様で、永禪さんと仰しゃるだろうね」
永「何を言うのじゃ、そんな詰らぬ事をそれは覚えない、何《ど》ういう事で私《わし》を然《そ》う云うか知らぬけれども、それは人違いだろう」
又「隠してもいけません、そちらの惠梅様というお比丘尼|様《さん》は前町の藤屋という荒物屋の七兵衞さんのお内儀《かみさん》で、お梅さんと云いましょうな」
永「何を詰らぬ事……飛んだ間違いでお前の事をあないな事を云う」
梅「まア何うもねえ、どう云うまアその間違だか知れませんが、けれどもねそんな何うもその、私共は尼の身の上で居《い》る者を、荒物屋の女房《にょうぼ》なんてまア何う云う何《なん》かね……お前さん」
永「さア何ういう訳で其様《そないな》ことを、さア誰がそんな事を言ったえ」
又「隠しちゃアいけねえ、あなたは一箇寺《いっかじ》住職の身の上で、このお梅さんと間男をするのみならず、亭主の七兵衞が邪魔になるというので、薪割で打殺《ぶちころ》して縁の下へ隠した事が、博奕《ばくち》の混雑から割れて、居《い》られねえのでお梅さんの手を引いて逃げて来なすった時に、私の忰の眞達と何処《どこ》でお別れなすったい」
永「これ何を云う、何を云うのじゃ、思い掛けない事を云って、眞達なんて、それはまるで人違いじゃア無いか、何ういう訳じゃ、眞達さんと云うのは昨夜《ゆうべ》話に聞いたが、私《わし》は知りアせぬが」
又「とぼけちゃアいけねえ、お前さん、しらアきったって種が上《あが》って居るから役に立たねえ、眞達を連れて逃げては足手まといだから、神通川の上《かみ》大沓の渡口で忰を殺して逃げたと言ってしまいなせえ、おい隠したっても役に立たねえ」
永「何うもこれは思いがけないことを言って、まアそんな事を言って何うもどゞ何ういう理窟で其様《そん》な事を云うか……のう惠梅様」
梅「本当に何だって其様《そんな》事を云いますか、私どもの身に覚えのない事を言いかけられて、何うも何ういう訳で、その何だか、それが実に、それはお前は何ういう訳で」
又「何ういう訳だってもいかねえ、種が上って居るから隠さずに云え、云わなければ詮方《しかた》がねえ、お前方二人をふん縛《じば》って落合の役所へ引いても白状させずには置かねえ、さア云わねえか、云わなければ了簡が有る、おい云わねえか」
と云われこの時は永禪和尚もこれは隠悪《ぼく》が顕《わ》れたわい、もう是れまでと思って爺《じゞ》い婆《ばゞあ》を切殺して逃げるより外《ほか》はないと、道中差《どうちゅうざし》の胴金《どうがね》を膝の元へ引寄せて半身構えに成って坐り、居合《いあい》で抜く了簡、※[#「てへん+丙」、第4水準2−13−2]《つか》へ手をかけ身構える。爺も持って参った鉄砲をぐっと片手に膝の側へ引寄せて引金に手を掛けて、すわと云ったら打果そうと云うので斯《こ》う身構えました。互いに竜虎の争いと云おうか、呼吸
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