二十五
又「旦那此の婆《ばゞあ》はもと根津の増田屋で小澤《こさわ》と云った女郎《じょうろ》でございます」
婆「およしよ爺さん」
又[#「又」は底本では「婆」]「いゝやな、昔は鶯《うぐいす》を啼かして止まらした事もある……今はこんな梅干婆で見る影も有りませんがね、これでも二十三四の時分には中々薄手のあまっちょで、一寸《ちょっと》その気象が宜うがしたね、時々、今日は帰さねえよと部屋着や笄《こうがい》などを質に入れて、そうして遊んで呉れろと云うから、ついとぼけて遊ぶ気になり、爪弾《つめびき》位は静かに遣《や》ると云う、中々|粋《いき》な女でございます」
婆「およしよう、詰らない事を言って間が悪いやね、恥かしいよ」
又「恥かしいも無いものだ、もう恥かしいのは通り過ぎて居るわ」
永「おや左様かえ、何でも然《そ》うじゃろうと思った、中々お前苦労人の果でなければ、あの取廻しは出来ぬと思った、あゝ左様かえ、一旦泥水に這入った事がなければなア」
梅「おや然うかね、長く御厄介になって見ると私はどうも御当地の方じゃないと実は思って居ましたが、然うでございますか、不思議なものだねえ増田屋に、どうも妙だね、然うかね」
永「どうも妙だのう、それじゃアお前何かえ、江戸の者かえ」
又「いゝえ私《わたくし》はねえ旦那様富山|稲荷町《いなりまち》の加賀屋平六《かがやへいろく》と云う荒物御用で、江戸のお前さん下谷茅町《したやかやちょう》の富山様のお屋敷がございますから、出雲《いずも》様へ御機嫌伺いに参りまして、下谷に宿を取って居る時に、見物かた/″\根津へ往って引張《ひっぱ》られて登《あが》ったのが縁さねえ、処が此奴《こいつ》中々|手管《てくだ》が有って帰さないから、とうとうそれがお前さん道楽の初《はじま》りで酷《ひど》いめに遭いましたけれども、此奴の気象が宜《い》いものだから借金だらけで、漸々《だん/″\》年季が増して長いが、私の様な者でも女房《にょうぼ》にして呉れないかと云いますから、本当かと云うと本当だと申しますから、借金があっては迚《とて》もいかぬから、連れて逃げようと無分別にも相談をしたのが丁度三十七の時ですよ、それからお前さん連れて逃げたんだ、国には女房子《にょうぼこ》が有るのに無茶苦茶に此奴を引張《ひっぱ》って逃げましたが、年季は長いし、借金が有るから追手《おって》の掛るのを恐れて、逃げて/\信州路へ掛っても間に合わぬから、此奴をくり/\坊主にして私も坊主になってとうとう飛騨口へ逃込んだのよ」
永「ふうん然うかえ」
又「それがお前さん面白い話でどうも高山にもうっかり居《い》られないで、だん/\廻って落合の渡しを越えて、此の三河原と云う此処《ここ》の家《いえ》へ泊ったが不思議の縁でございます、先《せん》に又九郎《またくろう》と云う夫婦が有ってそれが私が泊って翌日立とうかと思うと、寒さの時分では有るが、誠に天の罰《ばち》で、人が高い給金を出して抱えて居る女郎《じょうろ》を引浚《ひきさら》って逃げた盗賊の罪と、国に女房子を置放《おきぱな》しにした罰が一緒に報って来て私は女房《これ》のか[#「か」に傍点]の字を受けたと見えて痳病《りんびょう》に痔《じ》と来ました、これがまた二度めの半病床《はんどや》と来て発《た》つことが出来ませんで、此処の爺《じゝい》婆《ばゝあ》に厄介になって居りますると、先の又九郎夫婦が誠に親切に二人の看病をして呉れ、その親切が有難いと思って稍《やゝ》半年も此処に居りまして、漸《ようや》く二人の病気が癒《なお》ると、此処の爺婆が煩《わずら》い付いて、迚《とて》も助からねえ様になると、その時私共を枕辺《まくらもと》へ喚《よ》んで、誠に不思議な縁でお前方は長く泊って下すったが、私はもう迚《とて》も助からねえ、どうもお前方は駈落者の様だが、段々月日も経って跡から追手も掛らぬ様子、何処《どこ》か是から指して行《ゆ》く所がありますかと云うから、私共《わたくしども》は何処も行く所はないが、まア越後の方へでも行こうと実は思うと云うと、そんなら沢山も有りません、金は僅《わず》かだが、この後《うしろ》の山の焚木《たきゞ》は家《うち》の物だから、山の蕨《わらび》を取っても夫婦が食って行くには沢山ある、また此所《ここ》を斯《こ》うすれば此所で獣物《けだもの》が獲れる、冬の凌《しの》ぎは斯う/\とすっぱり教えて、さて私の家《いえ》には身寄もなし婆《ばゝあ》も弱《よぼ》くれて居るから、私が命のない後《のち》はお前さん私を親と思って香花《こうはな》を手向《たむ》け、此処《ここ》な家の絶えぬようにしてお呉んなさらんか、と云う頼みの遺言をして死んだので、すると婆様《ばあさま》が又続いて看病疲れかして病気になり、その死ぬ前に何分頼むと言って死んだから、前に披露《ひろめ》もしてあったので、近辺の者も皆得心して爺さん婆さんを見送ったから、つい其の儘ずる/\べったりに二代目又九郎夫婦に成ったのでございます、あなた恰《ちょう》ど今年で二十三年になるが、住めば都と云う譬《たとえ》の通りで、蕨を食って此処に斯う遣《や》って潜んで居ますがねえ、随分苦労をしましたよ」
永「そうかねえ、苦労の果じゃがら万事に届く訳じゃのう、でも内儀《かみ》さんと真実|思合《おもいお》うての中じゃから、斯うして此の山の中に住んで居るとは、情合《じょうあい》だね」
又「情合だって婆さんも私も厭《いや》だったが、外《ほか》に行《ゆ》く所がなし詮方《しかた》がないから居たので」
永「じゃア富山の稲荷町で良い商人《あきんど》で有ったろうが、女房子はお前の此処に居る事を知らぬかえ、此の飛騨へは富山の方の者が滅多に来ないから知らぬのじゃなア」
又「えゝそれは私が家を出てから行方が知れぬと云って、家内が心配して亡《なく》なり、それから続いて家《うち》は潰れる様な訳で、忰《せがれ》が一人ありましたが、その忰平太郎と云う者は、仕様がなくって到頭お寺様か何かへ貰われて仕まったと云う事を、ぼんやり聞いて居りましたが、妙な事で、去年富山の薬屋、それお前さん反魂丹《はんごんたん》を売る清兵衞《せいべえ》さんと云う人が家へ来て、一晩泊って段々話を聞きました所が、私共の忰は妙な訳でねえ、良い出家に成られそうでございまして、越中の国高岡の大工町にある宗慈寺と云う寺の納所になって、立派な衣を着て居る[#「着て居る」は底本では「来て居る」]そうで」
永「はアそれは妙な事だなア、大工町《だいくまち》の宗慈寺と云うは真言寺じゃアないか」
又「はい真言寺で」
永「そこにお前の忰が出家を遂《と》げて居るのかえ」
又「はい名は何とか云ったなア、婆さんお前《めえ》知って居るか、あゝそうよ……いゝや、眞達と云う名の納所でございます」
永「左様か」
とじろりっと横眼でお梅と顔を見合わした計《ばか》り、ぎっくり胸にこたえて、流石《さすが》の悪党永禪和尚も、これは飛んだ所へ泊ったと思いました。
二十六
又「それで婆さんの云うのには、前の事をあやまって尋ねて行ったら宜かろうと云いますが、何だか今更親子とも云い難《にく》いと云うのは、女房子を打遣《うっちゃ》って女郎《じょろう》を連れて駈落する身の越度《おちど》、本人が和尚さんとか納所とか云われる身の上になったからと云って、今|私《わし》が親父《おやじ》だと云っても、顔を知りますまいし、殊《こと》に向うは出家で堅固な処へ、何だか気が詰って往《い》けませんなれども、その話を聞いて一度尋ねて行《い》きたいとは思って心掛けては居りますが、たとえ是れで死にました処が、旦那様何でございます、まア其の本人《むこう》が坊主でございますから、死んだと云う事を風の便りに聞いて、本当の親と思えば、死んだ後《のち》でも悪《にく》いとは思いますまいから、お経の一遍位は上げてくれるかと思って、それを楽しみに致して居《い》る訳で」
永「なるほど然《そ》うかえ」
又「へえ……まことに長《なが》っ話《ぱなし》を致しまして」
婆「本当にお退屈様で嘸《さぞ》お眠うございましょう、此の通り酔うとしつこう御座いまして、繰返し一つことを申しまして……さア、此方《こっち》へお出でよう」
又「宜《いゝ》やな」
婆「誠にお邪魔さまで……さア…此方へお出でよ、また飲みたければお飲《あが》りな」
と手を引いてお澤《さわ》と云う婆さんが又九郎を連れて部屋へ参りました跡で、
梅「旦那々々」
永「えゝ」
梅「もう、此処《ここ》には居られないからお立ちよ、早くお立ちよ」
永「立つと云っても直《すぐ》に立つ訳にはゆかん」
梅「いかぬたってお前さん怖いじゃア無いか、此処は剣《つるぎ》の中に這入って居るような心持がして、眞達の親父と云う事が知れては」
永「これ/\黙ってろ、明日《あした》直に立つと、おかしいと勘付かれやアしないかと脛《すね》に疵《きず》じゃ、此の間も頼んで置いたが、広瀬《ひろせ》の追分《おいわけ》を越える手形を拵《こしら》えて貰って、急には立たぬ振《ふり》をして、二三日の中《うち》にそうっと立つとしようじゃア無いか」
梅「何うかしてお呉んなさい、私は怖いから」
とその晩は寝ましたが、翌朝《よくあさ》になりますと金を遣《や》って瞞《ごま》かして、何うか斯《こ》うか広瀬の追分を越える手形を拵えて貰い、明日立とうか明後日《あさって》に為《し》ようかと、こそ/\支度をして居りますると、翌日|申《なゝつ》の刻下《さが》りになりまして峠を下って参ったのは、越中富山の反魂丹を売る薬屋さん、富山の薬屋さんは風呂敷包を脊負《しょ》うのに結目《むすびめ》を堅く縛りませんで、両肩の脇へ一寸《ちょっと》挟みまして、先をぱらりと下げて居ります。懐には合口《あいくち》をのんで居る位に心掛けて、怪しい者が来ると脊負《しょっ》て居る包を放《は》ねて置いて、懐中の合口を引抜くと云う事で始終|山国《やまぐに》を歩くから油断はしません。よく旅慣れて居るもので御座ります。一体飛騨は医者と薬屋が少ないので薬が能《よ》く売れますから、寒いのも厭《いと》わずになだれ下りに来まして。
薬屋清「やア御免なさいませ」
又「おやこれはお珍らしい……去年お泊りの清兵衞さんがお出《いで》なすった、さア奥へお通りなさい、いやどうも能く」
清「誠に、是れははや、去年は来《け》まして、えゝ長《なが》えこと御厄介ねなり居《お》りみした、いやもう二度《ねど》と再び山坂を越えて斯《こ》う云う所へは来《け》ますまいと思うて居りみすが、又慾と二人連れで来《け》ました……おや婆様この前は御厄介になりみした、もうとても/\この山は下りは楽だが、登りと云うたら足も腰もめきり/\と致して、やアどうも草臥《くたぶ》れました、とても/\」
又「今夜はお泊りでげしょう」
清「いや然《そ》うでない、今日は切《せ》みて落合まで行《よ》く積《つもり》で」
又「婆さん今日は落合までいらっしゃるてえが仕方が無いのう、まア今夜はお泊りなさいな、この頃は米が有ります、それに良い酒もありますからお泊りなさい、お裙分《すそわけ》をしますから」
清「いや然うは往《よ》きませぬ、何《ど》うでも彼《こ》うでも落合まで未《ま》だ日も高いから行《よ》こ積りで」
又「それは仕方が無いなア、然うでしょうがまア一杯飲んで」
清「いゝや……」
又「そんな事を云わずに、これ婆さん早く一杯…」
婆「能くお出でなさいました、去年は誠にお草々《そう/\》をしたって昨宵《ゆうべ》もお噂をして居りました」
又「清兵衞さん、去年お泊《とまり》の時に、私の忰は高岡の大工町の宗慈寺と云う寺に這入って、弟子に成って居ると云う貴方《あなた》のお話が有ったが、眞達と云う忰は達者で居りますかな」
清「いや何うも是《こり》ゃはや、それを云おう/\と思って来《け》たが、お前《ま》さん余《あんま》り草臥《くたぶ》れたので忘れてしまったが、いや眞達さんの事に就《つ》いてはえらい事になりみした」
又「へいどうか成りましたか」
清「いやもうらちくち[#「らちくち」に傍
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