が開《あ》いて、渡しを渡って此処《こゝ》へ来る者が有れば、何でも三人だと、何う姿を隠しても坊主頭は後《うしろ》から見れば毛の無いのは分るから、眞達手前はなア三拾両|金《かね》遣《や》るがなア、此処から別れて一人で行《い》んでくれ、己はお梅を連れて高山越えをする積りだから」
眞「私《わし》も其の方が宜《え》いのでげす、斯《こ》うやって三人で歩くと、私はお梅はんを労《いたわ》り、あんたは無暗に駈けるから歩けやアしない、どうも私は草臥れていかぬ、それじゃア三十両お呉んなさい、その方が私は仕合せじゃ」
永「うん然《そ》うか、今金を遣るから、若《も》し渡し口の方から此方《こっちゃ》へ人でも来ると何うも成らぬから、模様を見て居てくれ、金の勘定をするからよう、封を切って算《かぞ》える間向うを見て居ろよ」
眞「まだ渡しは開きやアしません、この霙の吹ッかけでは向うから渡って来やアしますまい」
と眞達が浮《うっ》かり渡し口に眼を着けて居りますると、腰に差して居りましたる重ね厚《あつ》の一刀を抜くより早く、ぷすりっと肩先深く浴《あび》せますと、ごろり横に倒れましたが、眞達は一生懸命、
眞「やアお師匠さん、私《わし》を殺す気じゃな」
とどん/″\/″\/″\と死物狂《しにものぐる》い、縋《すが》り付いて来る奴を、
永「えゝ知れたこっちゃ、静かにしろ」
と鳩尾《みぞおち》の辺《あたり》をどんと突きまする。突かれて仰向《あおむき》に倒れる処を乗掛《のッかゝ》って止《とゞ》めを刺しました処が、側に居りましたお梅は驚いて、ぺた/\と腰の抜けたように草原《くさはら》へ坐りまして、
梅「旦那」
永「えゝ確《しっ》かりせえ」
梅「確かりせえと云ったって、お前さん酷《ひど》い事をするじゃないか、眞達さんを殺すなら殺すと云ってお呉れなら宜《い》いに、突然《だしぬけ》で私は腰が抜けたよ」
永「えゝもう宜《よ》いや、そんな意気地《いくじ》のない事で成るか」
と眞達の着物で血《のり》を拭って鞘に納め、
永「さア来い」
と無暗に手を引いて渡場《わたしば》へ参り、少しの手当を遣って渡しを越え、此処から笹沢《さゝざわ》、のり原《ばら》、いぼり谷《たに》、片掛《かたかけ》、湯《ゆ》の谷《たに》と六里半余の道でござりますが、これから先は極《ごく》難所《なんじょ》で、小さい関所がござりますから、湯の谷の利助《りすけ》と云う家《うち》へ泊りました。是れは本当の宿屋ではない、その頃は百姓|家《や》で人を留めました。此処で、
永「お梅、厭《いや》でも有ろうけれども頭を剃って呉れえ、どうも女を連れて行《ゆ》けば足が付くから」
と厭がるお梅を無理無体に勧めて頭を剃らせましたが、年はまだ三十で、滅相美しいお比丘様《びくさま》が出来ました。当人も厭ではあろうが、矢張身が怖いから致し方がない。
永「さ、幸い下に着て居る己の無地の着物が有るから、是を内揚《うちあげ》をして着るが宜《よ》い」
と云うので、是から永禪和尚の着物を直してお梅が着て、その上に眞達の持って居りました文庫の中より衣を出して着、端折《はしょり》を高く取って袈裟を掛けさせ、又袈裟文庫を頭陀袋《ずだぶくろ》の様にして頸《くび》に掛けさせ、先《まず》これで宜いと云うので、俄《にわか》にお比丘尼様が一人出来ました。
二十四
永禪は縞《しま》の着物に坊主頭へ米屋被《こめやかぶ》りを致し、小長いのを一本差して、これから湯の谷を出ましたが、その頃百|疋《ぴき》も出しますと何《ど》うやら斯《こ》うやら書付を拵《こしら》えて呉れますから、かに寺まで往《ゆ》く処《ところ》の関所は金さえ遣《や》れば越えられたものでござります。漸《ようや》く金で関所を越えて、かゞぞへ出て小豆沢《あずきざわ》、杉原《すぎはら》、靱《うつぼ》、三河原《みかわばら》と五里少々余の道を来て、足も疲れて居ります。殊《こと》に飛騨は難処《なんじょ》が多くて歩けませんから、三河原の又九郎《またくろう》という家に宿を取りました。
永「まア此処《こゝ》は静かで宜《よ》い、殊に夫婦とも誠に親切な者であるから、暫《しばら》く此処に足を留めようじゃアないか、おれも頭の毛の長く生えるまでは居なければならぬ、此処なれば決して知れる気遣いは有るまい、汝《てまえ》も剃《そり》たて頭では青過ぎて目に立つから、少し毛の生えるまでは此処にいよう、只少し足溜《あしだま》りの手当さえすれば宜い、併《しか》し此処には食い物が無いが、これから古河町《ふるかわまち》へ往《ゆ》けば米も有るから米を買って、又酒や味噌醤油などの手当をして」
梅「それじゃア然《そ》うしてお呉んなさい」
と云うので多分に手当を遣《や》って、米や酒醤油を買いに遣るから、是は大したお客様と又九郎|爺《おやじ》が悦びまして、米を買ったり何かして、来年まで居ても差支えないように成りました。その中《うち》に彼《あ》の辺は雪がます/\降って来ますると、旅人の往来が止りまする事で、丁度足溜りには都合が好《よ》いと云って、九月の二十日からいたして十一月の三日の日まで泊って居りましたが、段々と頭の毛も生えるが、けれども急には生えは致しません。宿屋の亭主は気が利いていて、年はとって居るが。多分に手当をして呉れるから[#「呉れるから」は底本では「呉るれから」]有難いお客だと云って、何か御馳走をしたいと山へ往って、小鹿を一匹撃って来まして、
又「おい婆さん/\」
婆「あい何だえ」
又「小鹿を一匹撃って来たよ」
婆「何処《どこ》で」
又「あの雪崩口《なだれぐち》でな、何もお客様に愛想がねえから、温《あった》まる様に是れを上げたいものだ、己がこしらえるからお前味噌で溜りを拵《こしら》えて、燗鍋《かんなべ》の支度をして呉んな」
とこれから亭主が料理をしてちゃんと膳立ても出来ましたから、六畳の部屋へ来て破れ障子を明けて、
又「はい御免」
永「いや御亭主か」
又「まことに続いてお寒いことでございます、なれども沢山も降りませんでまア宜うございますが、是からもう月末《つきずえ》になって、度々《たび/\》雪が降りますると道も止りますが、まア/\今年は雪が少ないので仕合せでござります、さぞ日々御退屈でございましょう」
永「いゝやもう種々《いろ/\》お世話に成りまして、それに此の尼様が坂道で足を痛めて歩けぬと云うこと、殊に寒さは寒しするから、気の毒ながら来年の三月迄は御厄介じゃア」
又「へい有難いことでございます、毎日婆アともはア然《そ》う申して居ります、あなた方がお泊りでございますから、斯《こ》うやって米のお飯《めし》のお余りや上酒《じょうしゅ》が戴いて居《お》られる、こんな有難い事はございませんと云って、婆アも悦んで居ります、何《ど》うかなんなら二三年もおいでなすって下されば猶宜いと存じます、なんで此の山家《やまが》では何もございませんが、鹿を一匹撃って参りまして調《こし》らえましたが、何うか鹿で一杯召上って、あの何ですかお比丘尼様は鹿は召上りませんか」
永「いや、何《なん》じゃ、それは何とも、まア一体は食われぬのじゃけれどもなア、旅をする中《うち》は仕方がない、却《かえ》って寒気を凌《しの》ぐ為に勧めて食わせるくらいだから、薬喰《くすりぐい》には宜《え》いわな」
又「左様でげすか、鹿は木実《きのみ》や清らかな草を好んで喰うと申すことで、鹿の肉は魚よりも潔《きよ》いから召上れ、御婦人には尚お薬でございます……おい婆さん何を持って来て、ソレこれへ打込《ぶっこ》みねえ、それその麁朶《そだ》を燻《く》べてな、ぱッ/\と燃《もや》しな……さア召上りまし、此方《こっち》の肉《み》が柔かなのでございますから、さア御比丘様」
梅「有難う存じます、まア本当に斯《こ》う長くお世話に成りますとも思いませんでしたが、余《あんま》り御夫婦のお手当が宜《よ》いから、つい泊る気になりました」
婆「何う致しまして、もうこんな爺《じゞい》婆《ばゞ》アで何もお役には立ちませんから、どうか御退屈でない様にと申しましても、家もない山の中でございますから、外《ほか》に仕方もございません、どうか何時《いつ》までもいらしって下されば仕合せでと、爺も一層蔭でお噂致して居りますよ……爺さんお相手をなさいよ」
又「さアこの御酒を召上りませ、それから鍋は一つしかございませんから取分けて上げましょう」
永「いや皆|此処《こゝ》で一緒の方が宜《え》いから」
又「左様でげすか、いろ/\又|爺《じゞい》婆《ばゞあ》の昔話もございますから、少しはお慰みにもなりましょうと思いまして……婆さん、どうも美《い》い酒だのう、宜かろう何うだえ、えゝこの御酒はあの古河町へ往《い》かなければないので、又|醤油《したじ》が好《よ》いから甘《うま》いねえ、これでね旦那様、江戸の様な旨い味噌で造ったたれを打込《ぶちこ》んで、獣肉屋《もゝんじいや》の様にぐつ/\遣《や》れば旨いが、それだけの事はいきません、どうも是では旨くはないが、これへ蕨《わらび》を入れるもおかしいから止しましょう……へえお盃を戴きます、私《わたくし》も若い時分には随分|大酒《たいしゅ》もいたしましたが、もう年を取っては直《すぐ》に酔いますなア、それでも毎晩|酣鍋《かんなべ》に一杯位ずつは遣《や》らかします」
と差《さ》えつ押《おさ》えつ話をしながら酒宴《さかもり》をして居りましたが、其の内にだん/\と爺さん婆さんも微酔《ほろよい》になりました。
永「何うだい、お前方は何うも山の中にいる人とは違い、また言葉|遣《づか》いも分るから屹度《きっと》苦労人の果《はて》じゃろう、万事に宜く届くと云うて噂をして居ることだが、生れは何処《どこ》だね」
又「えゝ旦那様お馴染に成りましたから斯《こ》んな事を伺いますが、あなたは元は御出家様でございますかえ」
永「私《わし》は出家じゃア無い」
又「へえー左様でげすかえ、貴方《あなた》は其の頭髪《おぐし》がだん/\延びますけれども、元御出家様で是からだん/\お生《はや》しなさるのではないかと存じまして」
永「なに私《わし》は百姓だが、旅をする時にはむしゃくしゃして欝陶《うっとう》しいから剃るのじゃ、それに寺へ奉公をして居るから、頭を剃る事なぞは頓と構わぬじゃア」
又「へえー左様で、お比丘尼様はこの頃|御剃髪《ごていはつ》なすったのでげすな」
永「えゝいゝえ……なに然《そ》う云う訳じゃアないのじゃ」
又「へえ左様でげすかえ」
永「尤《もっと》も幼少の時分からと云う訳じゃアないが、七八年|前《あと》から少々因縁有って御出家にならっしゃッたじゃ」
又「へえー左様で、私共《わたくしども》の家《うち》には御出家様が時々お泊りになりますが、御膳の時はお経を誦《よ》んで御膳をお盖《きせ》に取分けて召上りますな、あなたも此の間《あいだ》お遣りなすったしお経もお読みなさいますが、お比丘尼様の方はそう云う事をなさる所を見ませんから、それで貴方は御出家お比丘尼様は此の頃御剃髪と思いまして」
永「それは門前の小僧習わぬ経を誦《よ》むで、寺にいると自然と覚えて読んで見たいのだが、また此方《こなた》は御出家じゃアが、もう旅へ出ると経を読まぬてえ、是が紺屋《こうや》の白袴《しらばかま》という譬《たと》えじゃアのう」
又「そうでございますかえ、私《わたくし》はまた御苦労の果じゃア無いかと思って、のう婆さん」
婆「お止しよ、ひちくどくお聞きで無いよ、欝陶しく思召《おぼしめ》すよう」
又「でもお互に昔は……旦那|私《わたくし》はねえ、ちょっと気がさすので、然《そ》ういう事を云いますが、この婆《ばゞあ》を連れて私が逃げまする時にゃア、この婆が若い時分だのにくり/\坊主に致しましてねえ、私も頭を剃《す》っこかして逃げたことが有るね、えゝ是は昔話でございますがねえ」
婆「爺さんお止しよ、詰らない事を言い出すね、よしなよ」
又「なに、いゝや、旦那の御退屈|凌《しの》ぎだ、爺《じゞい》婆《ばゞあ》の昔話だから忌《いや》らしい事も何もねえじゃねえか」
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