おぶし》に味淋《みりん》を入れるから宜《い》いなどと小遣《こづかい》を貰うを悦ぶ者もあり、小僧も彼方此方《あちらこちら》へ付きまして内がもめまする。先妻は葛西《かさい》の小岩井村《こいわいむら》の百姓|文左衞門《ぶんざえもん》の娘で、大根畠《だいこんばたけ》という処に淺井《あさい》様と云うお旗下《はたもと》がございまして其の処へ十一歳から奉公をして居りましたから、江戸言葉になりまして、それに極《ごく》堅い人で、家を治めて居りました処が、夭死《わかじに》を致しましたけれども、田舎は堅いから娘を嫁付《かしづ》けますと盆暮には屹《きっ》と参りますが、此方《こちら》では女房が死んでからは少しも音信《おとづれ》をしない、けれども、向うには二人の孫があるので、柿時には柿を脊負《しょ》って婆様《ばあさま》が出掛けて来ます。
婆「はア御免なせえ」
男「へいお出でなさい、久しくお出でなさいませんね」
婆「誠に無沙汰アしました、皆《みんな》は変りねえか」
男「へい皆《みな》変る事もござりません…あの坊ちゃん田舎のお婆さんがお出でなすったよ」
 と云うと嬉しいから、ちょこ/\と駈出して来て、
正「お婆さんお
前へ 次へ
全303ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング